待ち望んでいた朝

 ガヤガヤと、落ち着かない教室内。

 それもその筈。今日は年に一度の、文化祭なのだからっ。


「普段じゃ見られないくらいにニコニコしてるわね、夕梨」

「え? だ、だって、このTシャツを着れるのが嬉しくて」

「フフ、随分気に入ってるのね」

「うん。これ、可愛いから」

「可愛い、ねぇ」

 胸のあたりに「2ー4」とポップな字体で書かれ、背中にはアイスクリームのイラストがプリントされた、緑色のクラスTシャツ。

 これがまた渋めなグリーンであるため、一部の女子は小さく文句を言っていたが、私はそんなこと気にしない。

 クラスの一員として、これを渡されたこと、着れることが、何事にも変えられない程に嬉しいのだ。

 だから私にとってシャツのカラーなんてものは、取るに足らない要素。今私の体と密着しているこれに、もう何も求めることはない。

「アタシにはどう頑張っても可愛く見えないのは、抹茶が嫌いだからなのかしらね」

「アハハ、もしかしたらそうかもね」

「まぁでも、これってファッションというより思い出だもんね。可愛いとか気にしない方がいっか」

「うんうん。着てることに意味があ──」


「おい、皆! 海斗が来たぞ!!」


 雄叫びにも聞こえるその声は、彼方君のものだった。

「あら。本番だから気が向いたのかしらね」

 ドアの方に目をやりながら、腕を組んで話す杏奈。

「そ、そうなのかな。……どちらにせよ、来てくれてよかった」

「……そうね」

 今度はこちらを見て、杏奈がフッと微笑む。

 ……彼女から見た私が、笑っていたからだろう。

 すると、教室前方のドアがガタガタ、と頼りない音を立てた。

「えっと……。ひ、久しぶり、皆。準備とか全然参加してなかったくせに、本番だけ来ちゃってごめんね」

「気にするな海斗。誰もお前を責めたりはしない。むしろ、今日だけでも来てくれたことに感謝してるはずだ」

 彼方君の言葉通り、戸山君を責める人などいない。それは彼が人気者であることも勿論だが、単純に、「戸山海斗」という人間が、良い人間だからである。

「……ありがとうっ。卓也、皆!」

 戸山君の瞳には涙が滲んでいた。

 そんな光景を見ていると、私まで泣きそうになってくる。

「……うぅっ」

「グスッ……」

 しかしそれは、私に限ったことではないようだ。

「海斗。それよりそのー……、大丈夫、なのか?」

 そう口にする彼方君の表情は、「感動」というより「心配」に近かった。

「? 何が?」

 問い掛けられた戸山君はとぼけているが、それ以外の全員は、彼方君の質問の理由を理解していることだろう。

「いや、なんというか、顔色が悪いように見えるぞ。それに、少し痩せたか?」

 そう。

 戸山君は身体的に、大きく変化していたのである。

 目の下にはクマが目立ち、「傷」というより痣のような何かが体中に散らばっており、更には「痩せ」から「ガリ」になった。

 失礼ではあるが、「見るに堪えない姿」という表現がぴったりだと思う。

「……今日朝食を抜いてきたんだよ。それが原因じゃない?」

 “たった一回食事を抜いた程度で、そんな姿になる訳が無いだろう!”と、誰もが思った。

 しかし、彼は真実を口にしようとしていない。

 皆はそれを分かっているから、ただ静かに俯いた。

「そうか。なら後でパンでも買って、食べておけよ」

「うん」

 なんだか妙な空気が流れている、我らが二年四組の教室内。

 しかしそんなのはお構いなしに、普段通りのテンションでチャイムは鳴り響く。

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