疑惑・不安は、やがて大波乱。

「ねぇ、木嶋さん。ちょっと、話があるんだけど」

「えっ。な、何?」

 杏奈・蘭と文化祭についての話で盛り上がっていたところに、戸山君は現れた。

 この三日間くらいまともに会話もせず気まずい雰囲気だったので、普段以上に恐怖心が湧く。

「大事なことだから、二人きりがいいんだけど……。赤江、蘭、木嶋さん借りていい?」

「どーぞどーぞ。彼氏さんからの呼び出しじゃ断りようがないわよ」と杏奈。

「まあ二人だけの時間も確保しておくのは大事よね」と蘭。

「え」

「ありがとう。──じゃあ木嶋さん、ちょっと来てもらっていいかな?」

「……う、うん」


 そのまま戸山君にずっと付いていくと、目的地の予想がついてきた。きっと彼が目指しているのは、以前私と杏奈が使用した東階段の踊り場だ。

 よほど周りに聞かれたくない、重大な話なのだろう。

(気が重いな……)

 思い当たることは戸山君の異変による関係のもつれ。彼は別れようとしているのだろうか? それとも、(喧嘩はしていないけれど)仲直りのような類のものを求めているのだろうか?

 それが分からないし、読めないのだ。ただただ真剣な面持ちであることは確かなのだが、それが何からくるものなのか、見て察するのは難しい。

「よし、もういいかな。……いきなりであれなんだけど、早速本題に入っちゃうね」

「ほ、本題……」

「うん、本題。なんとなく、俺達の間で話題に挙がりそうな事、あるでしょ? 今日はそれについて真面目に話し合いたいんだ」

「……分かった」

 あちらは私の目をまっすぐに見てこようとするけれど、なんだか怖くて視線を合わせられない。

 どうしよう。どうしよう。

 他人と恋人関係になったのも、また破局しそうな崖っぷち状態になるのもこれが初めてなのだ。全てが不安で仕方ない。

 少し前までは、様々な脅威にされされてもいつも隣で戸山君が解決策を導き出そうとしてくれていた。しかし今回はその戸山君が敵、みたいになってしまっているのだ。

「木嶋さんはさ、どう思ってるの? 俺のこと」

「!」

 不意に、少し胸が熱くなった。この質問がまるで愛情確認のようだ、と思ったためである。

 何を呑気なことを……。とときめきを呆れで誤魔化そうとしたが、実際この状況は愛情確認するための場と言っても過言ではないことに気付く。

「え、えっと……。いつも優しくて笑顔で、傍にいて守ってくれて。つ、つい頼ってしまうというか尊敬するというか、意外と関わり合うことで偏見も消え失せたって感じでそのつまり……」

 私が想像以上に挙動不審だったから驚きでもしたのだろうか、戸山君の顔が心なしか紅潮する。

「お、俺が想像したいたよりも大切な存在だったみたいだね。──でもさ、本当言うと、別れたいんでしょ?」

「えっ……。ど、どうしてそうなるの?」

「とぼけなくていいよ。この前言ってたよね。「戸山君とは距離置きたい」って」

 戸山君の視線が、私から外れた。

 呆れなのか、悲しみなのか、分からないけれど。良い印象を与えていないということだけは、確かだ。

「そ、それって杏奈と話してたやつ?」

「うん。あっ勿論、聞くつもりなんてなかったんだよ、卓也がしつこくてさ。本当に本当だからね?」

「……戸山君がそういう人じゃない事くらい、分かってるよ」

 誰にも聞かれていないと思って本音をぶちまけていたのに、まさか本人に届いていたとは。

 彼が聞き取ったのが『距離置きたい』のピンポイントだったのも非常にまずい。結構しっかり理由話してた筈なんだけどな。

 しかしそれも過ぎた話。正直に母のことを全て伝えたら、またいつもの戸山君に戻ってくれるだろう。

(……本当に、戻っていいの?)

 彼が普段の調子を取り戻せば、母の感知する彼の『臭い』がより強くなってしまう可能性がある。それは避けたい。

 最近はチェックもより強化されているから、今以上の触れ合いをしたら即バレる。それにここ数日私が築き上げてきた、無臭と林田先生の評価もガタ落ちだ。

 戸山君のことだから、母のことを話したらすぐその壁をぶち壊そうとしてくるかもしれない。けれど、今までとは訳が違うのだ。私が本気で恐怖しながらも、多少の感謝と愛情を向けてきた女・木嶋羽愛わいあの心はそう簡単に変えられない。闇を持っている期間が桁違いなのだから。

 だったらせめて、私一人で戦った方が良い。生まれてからずっと彼女の苦労をこの目で見てきた私なら、少しは──

(なんて、無理に決まってる。お母さんに対しては愛とか同情とかよりも、圧倒的に『恐怖』がかってるんだから)

 分かりきったことだ。今更改めて考えるまでもない。

 けれど私はずっと戸山君に頼ってばかりだった。彼が居なければ杏奈も蘭も恐れるべき対象だった。

 だからこそ、私自身も変わらなければならない。強くなるのだ、どうにかして。

「? 木嶋さんどうしたの? 黙っていないで、俺と別れたいかどうかを教えて?」

 何て、言えばいいのだろうか。

 どう答えてもこの先、かなり面倒なイベントが発生してしまうような気がする。

 だけれども、それから逃げる策を考えてはいけない。いかにして解決し明るい未来を、平穏な生活を取り戻すかを練らなくては。


「……別れたくは、ない。で、でも──しばらくの間、一旦離れたいんだ」


「へ? な、何、ソレ。いくらなんでも虫が良すぎるんじゃないかな」

「わ、分かってる。どうしようもない我儘だって。でも、でもきっと。長い期間をかければ解決できるかな、って思うから」

「『解決』? 何を? 何か問題を抱えてるなら、力になるよ。一人で悩む必要ない。恋人同士なんだから、支え合おうよ」

 今までに見たことがないような表情だ。

 冷や汗ダラダラで、瞳はもはやどこを見ているのかすらわからない。ただ必死に、呪われたように説得しようと迫ってくる。

「わ、私達の関係は、支え合うとは言わないと思う。私、戸山君に頼ってばかりで何もできていなかったから。だから、一人で頑張らせてほしいんだ」

「どうして? 俺が何とかできるなら、木嶋さんはその後ろに付いてくるだけで大丈夫なんでしょ? わざわざ苦労する道を選ぶなんて、そんなのおかしい。おかしいよ。そんな出鱈目並べてさ。ハッキリ言ってくれればそれで良かったのに。──土手先輩が好きなんだって」

「え!? ど、どうしてここで、写真部の部長が?」

 少し冷静さを取り戻したのか、ふぅと俯いた戸山君。けれど相変わらずその瞳には様々な心情が蠢いていて、別の人が乗り移ったみたいだ。

「赤江が言ってたよね、「この子は先輩を一目拝みたくてやってきた」って。それってつまり、木嶋さんは土手先輩に憧れてるってことでしょ? 無論、恋愛的な意味でね。写真に興味あるとは思えないし、それ以外に説立てようがないよ」

「えっ。え、えぇ??」

 ちんぷんかんぷんだ。どうしてこんな意味不明な話を事実だと思い込んでいるのだろう。それにまた、変な所だけ部分的に彼の耳に届いている。この混乱は意図的なものなのでは? と疑いたくなるくらいだ。

 それにしても……戸山君って、こんなに怖かっただろうか? 威圧感が物凄いのだが。

「と、戸山君。さすがにそれは誤解だよ。その台詞は杏奈が調子に乗って言っちゃっただけで、深い意味なんて何もないよ」

「じゃあどうして距離を置きたいなんて……!」

「だから、さっき言った通り新たな問題があるんだよ。でも、戸山君の力は借りたくないから一人で頑張って解決してみせるって──」

「う、うぅ……。うああぁぁぁぁああ!!」

 見えない拳から抵抗できない力でボコボコにされているかのように怯えきって、縮こまってしまった戸山君。終いには大声でどこか壊れた雄叫びを上げ、走り去っていった。

 その様子はさながら、日本語を発せる野生動物。よほど精神的に苦しんでいたと見受けられる。

(どうしてあんなに必死になってたんだろう。……それに、私達ってもうこれで終わりなのかな。さすがにそうだよね。だって戸山君、叫び声上げて走っていっちゃったんだもん。なんかあっけなかったな。彼の元でなら幸せになれるかもしれない、なんて考えてたのに)

 まだ少し彼の声が響く階段で、私は静かに瞬きを繰り返していた。

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