夢とお話

 放課後、アタシは誰も居ない海斗の教室に足を踏み入れる。

(もぬけの殻ね……。まあ、待っていれば来るわよね。それに、勇気が出なくてどこかで震えてるだけかもしれないし♪)

 期待で胸が張り裂けそう。

 おかしな点はあったけれど、だ〜い好きな海斗からのお誘いだもの。わよね。

「お、おまたせ」

 あ、海斗の声っ。

 体を弾ませ振り返る。

 そこには、少し辛そうな海斗の姿。

 しょんぼりしてても格好良いけど、こんな時だもの。少しくらい、明るい顔をしたら?

(……なんて、本当は、目の前に居てくれるだけで幸せ♪)

「全然、待ってないわ。海斗と喋れると思うと、ワクワクが止まらなくって」

「う、嬉しいよ」

「……元気ないわね。何かあったの? 今朝だって、変な事を言ってたし」

 どこか上の空な海斗に思い切って尋ねる。


 そんな顔されたら、守りたくてたまらなくなるじゃない。


「別に、何でもないよ。その……一つ、良い?」

「ん?」

 質問に答えてくれなくったって良い。この瞬間が幸せ過ぎて、ずっとこのままでいたくなる。

 カーテンの隙間から入る小さな光が、スポットライトのように海斗を照らす。

 まるで役者ね。

「木嶋さんの事……監視してたの?」

「!! ぁぁぁああああ!!」

「!?」

『監視』という言葉を聞いて、体が反応した。腹の底から叫び、鞄を投げつける。

 仰天した様子ではあるが、海斗は嫌な顔一つせずアタシに鞄を返してきた。

「ご、ごめんね?」

「……ア、アタシも熱くなりすぎちゃったわ。ごめんなさい」

「そんなに怒るとは思わなくて……。ただ、単純に気になっただけで」

 海斗にあんな事言われるなんて思わなかった。だって、杏奈あのバカにしかあのメールは送ってないのよ!? つまりは、杏奈が海斗にあれを見せた事になるじゃない!

 それだけじゃない。杏奈が海斗に見せたなら、絶対木嶋夕梨にも情報がいく。

 本人にバレるのは……さすがにヤバい。

 アタシにだって、そのくらいは分かる。

「見たのね、メール」

「う、うん」

「その事だったのね、話って」

「う、うん」

「アタシのメールがあまりにも異常だったから、今朝変な質問してきたのよね?」

「! ……うん」

 なんだ。なんだなんだなんだっ。

 アタシの期待を返してよ。……木嶋夕梨と、別れてよ。

「か、海斗は本当に、木嶋夕梨が好き……?」

 は?

 何を訊いてるのよ、アタシ。

「え、急だなぁ。えっと……うん。まあね」

 海斗ははにかんだ。

(違うの、今の質問は取り消し!)

 そう何度も訴えた。けれど届くはずがない。

 直接聞きたくなんてなかったの。だって、ダメージが強過ぎるから。

「じゃあ、アタシはどうなの? 木嶋夕梨にあって、アタシに無い物って一体何?」

 縋り付くように、海斗の袖を引っ張る。

 アタシは海斗の望む事なら何でもするし、昔から海斗を知ってる。最高のパートナーになり得る存在と言っても過言ではないのよ。

 にも関わらず、海斗はアタシから遠ざかっていく。年月が経つたび、どんどん離れていく。

 全てを歪ませたのは、やっぱり──アンタなのよ、木嶋夕梨ぃ!

「……木嶋さんは、一緒に居るとなんだか心が和む。互いにいろいろ補い合ったり、励まし合ったりしてさ。単純に楽しいんだよ。けどね蘭、お前は……色んなものに満ち溢れてる。全て一人で解決させようとして、助け合いを好まないんだ。正直居心地悪いよ、昔からの仲と言えど」

 長々と語る海斗。

 けどね、ロクに聞いてないわ。

 木嶋夕梨は褒めちぎって、アタシのことは貶すのね。

 その気なら、良いわ。

 アタシが──夢から覚ましてあげるから。

「……本っ当。訳分かんない。そんなにあの陰キャが良いの? ──すぐに正気に戻してあげるわ」

 これ以上ここで喋ってたら、頭がおかしくなりそう。

 アタシはそう思って、教室から出ていった。


     ▼ ▼ ▼


「おはよう」

「……」

「ね、ねぇ。おはよう」

「……」

「無視なんて、酷い……」

「……」

 ごめんなさい。ごめんなさい。

「また、無視だって」

「折角※※さんが挨拶してあげてるのに、生意気だね」

「挨拶もできないとか、人間として終わってるよ」

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


 ──ハッ!

 ドクン、ドクン。

(嫌な夢、見た……)

 ──おかしい。

 あんな夢、しばらく見ていなかったのに。というか、思い出したくなんてなかったのに。

 今日は調子が悪いのかもしれない。

 嫌な汗が、毛穴という毛穴から噴き出してくる。

「ハァ、ハァ、ハァ」

 息が苦しくなっていく。

 あぁ、駄目だ。今日は休んでしまおうか。

 前見た時からの空白の期間が長すぎたためか、それとも今の生活が充実しつつあるからか、分からない。

 いずれにせよ、今日は心と体を落ち着かせた方が良さそうだ。

 学校に欠席の連絡を入れようと、電話を手に取った。

(え〜と、番号はいくつだったっけ?)

 机上の紙の束をペラペラとめくっていく。学校の電話番号を見つけて、入力しようとする。

(ん?)

 ふと、教科書の上に付箋が貼られているのに気が付く。母からのものだろうか。

【学校を休むなら、私の用意した参考書、p126〜p180までやっておきなさい】

 とても綺麗な字でそう書かれていた。けれど、内容はえげつない。

 メモには特に「この教科!」とは記載されていない。即ち、全教科取り組めという事だ。具合が悪いのに。

(さすがに無理……)

 あの量をこなすよりかは、まだ授業を受けた方が良い。私は急いで荷物をまとめ、家を飛び出した。

 そういえば母、私がうなされていた事に気が付いたのだろうか? ……でなければあのようなメモは残さないから、そう考えるのが自然だろう。


(危なかった……)

 ギリギリのところで、間に合った。

 林田先生が出席を取り始める。

(そういえば、先生と話したかったのに忘れてたな。今日はどうだろう。いやでもまずは、戸山君達の会話がどんなだったかを聞かないと)

 最近、人間関係で色々悩むようになってきたな。良い成長なのかもしれないが。

 今までの私は全てに目を背けてきていたから、壁が目の前に立ち塞がった時、どういった行動を取ればよいのか分からない。

 それでも、私なりの最善策を導き出し、それを乗り越えようとはしてきた。結果が現状だが。

「木嶋ー。……木嶋っ。おい、木嶋!」

「え? あ! は、はいっ」

 まずい。

 ぼーっとしていて、自分の名前も聞き逃してしまった。


「大丈夫? ボケッとしてたけど」

「う、うん。ちょっと考え事してただけだから」

「やっぱり、蘭のこと不安?」

 戸山君の表情はどこか沈んでいる。元気がないという事は、昨日の会話での蘭さんは悪い状態だったに違いない。

「ち、ちょっとね。あんなメールが送られてた訳だから、普通に怖いし」

「だよね。……はぁ、あんな子じゃなかったのになぁ。どうして変わっちゃったんだろう」

 戸山君は頭を掻きむしった。もしかしたら、結構解決は困難な問題なのかもしれないと思うと、寒気がした。

「昨日、どうだった?」

 彼女のことは全て知っておきたくて、問い掛けた。あんな夢を見た訳だし、事が好転していないのは確かだ。

 ただでさえ解らない蘭さんの内面が、また黒く塗り潰されていく。またしても真実に遠ざかっていく。

 そんな気がしてならないのである。

「う〜ん。言いづらいんだけどね……「正気に戻してあげる」って言われたんだ。また近い内、何かしてくるかも。止められなくて、本当ごめんね」

「そ、そんな。戸山君は悪くないよ」

 なんだか最近、しょんぼりした戸山君しか見ていないような気がする。

(元気がある戸山君の方が、良いなぁ……)

 これが割ととんでもない思考であると気付くのは、まだ遠い未来の話。


(それにしても、「正気に戻してあげる」か)

 一人ベッドに横になり、考える。

(蘭さんにとっては、戸山君は『異常』に見えてるのかな? 蘭さんの方がおかしい。これは一目瞭然のはずなのに)

 自分がおかしいと理解していながらも奇行に走るというのも、まあ変な話か。

 けれどもしかしたら、彼女は前からずっと何も変わっていないのかもしれない。それというのも、戸山君が見ていない所で心を腐らせてしまったという可能性も考えられるからだ。

(狂おしい程の愛……。そんなもの、本当にあるのかな)

 確かに蘭さんは1,2本くらい頭のネジが外れているんじゃないかと疑いたくなるような行動をするけれど、『愛』とはそこまで人間を動かすのか?

(……そういえば私も、変わったもんな)

 戸山君への想いは『恋』ではない。けれど、私の中で段々と特別な人間になりつつある。と、思う。

 ならば蘭さんが変なのも、納得がいかなくはない。

(まあどうせ、いくら考えたって分からないか)

 そう言ってまとめてしまったらお終いだ。

 だが、とりあえず今日は寝よう。

(今日はあの夢、見ませんように……)


     ○ ○ ○


 翌日も、また同じ夢を見た。

 けれど学校は休まなかった。

 よくよく考えたら、休んだって何も解決はしない。いっそ、当たって砕けてしまえば良いのだ。

 戸山君の大胆さに、影響を受けてきたか……?

 ガラリと教室の扉を開き、中に入る。

 いつもと変わらない動作。いつもと変わらない身なり。

 その筈なのに、何故だか私に視線が集まっている。

 もしかしたら何か付いているのかも。と思ったが、そうだったとしても私はそこまで注目される人間ではないからと、考えを掻き消した。

 ならば考えられるのは……蘭さんが何かしたという可能性。というか、それしか無かろう。

 ヒソヒソ話し声が聞こえる。だがそれは小さ過ぎて、内容までは耳に入らない。

 私は構わず前に進んでいった。状況が分からないのだし、ここでウジウジはしていられない。

(蘭さんが何かしてきたとしても、私には、がいる)

 そう思いながら歩を進めると、心が少し軽くなる。

 戸山君に、杏奈さん。

 今はまだまだ少ないけれど、もしかしたら、これからもっと増えていくかもしれない。

(なんて、さすがに無いか)

 そんな事を考えていると、改めて思う。『私は変わったのだな』と。

 ずっと縮こまりっぱなしであったこの私が、今では様々な出来事に一喜一憂し、多くの人達との関わりを大切にするようになった。

 これは他ならぬ、彼のお陰である事は確かだ。

「おはよう木嶋さん。その、(多分蘭だろうけど)変な噂が流れてるよ。「木嶋さんが杏奈さんを付け回して秘密を握った」っていう……」

「さ、察したよ」

 なるほど。そういう事か。

 以前蘭さんが流した私達の交際の噂も事実だった訳だから、今回のものも、生徒達みんなにとっては信憑性が高いのかもしれない。

 ただでさえ、杏奈さんの異変があるのだから。まず、香澄さんは一瞬で信じるだろう。

「色んなとこで何か言われると思ったけど、それが原因なのね。自分がしたのと同じような行為の噂を流すなんて、中々やるわね。アイツも」

 腕を組み、表情を険しくして杏奈さんが加わる。

(ちょ、杏奈さんが加わると面倒な事に……)

 内容からして、自分がこの場に居てはいけない事くらい察知してくれないだろうか?

「マジで何考えてんのかしら。いや、そもそも……アイツのやる事に、目的なんてあるの?」

 杏奈さんがポツリと呟いた。

 確かに杏奈さんのやる事全ては思い描いただけの未来の為の行動であって、正しい答えを見失っている気がする。

 これには、戸山君も同意した様子だ。

「分からない。どこを見てるのか、何を求めてるのか」

 彼女の中では、自分の存在がのではないか? 戸山君はそんな不安に苛まれているように見える。

 蘭さんは何度も、「海斗のため……」みたいな事を口にしていたが、彼自身がそんな事を望んでいないのは明らかだった。

 蘭さんの脳内では戸山君も、彼女にとって都合よく動いてくれる事だろう。それと、現実の区切りが上手くいっていないだけという可能性もある。

「まあこういうのにも慣れてるけどね、性格上。ただ、蘭にはちょっとお灸をすえてやらないとね」

 杏奈さんがニタリと笑う。

 だけれど、何をしようというのだ? この現状で、何かできる事って……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る