彼の耳には、届かない

(さぁ、戸山君と、話すぞ)

 そう意気込んで、深く息を吸う。どうも彼の顔を見ると全身の筋肉が硬直してしまうみたいだ。

 だからリラックスしなければならない。

「フゥ……」

「そういうことしてると逆に緊張しない?」

「えっ。あ、杏奈。そうかな」

「まあ個人差はあると思うけど、深呼吸よりもアタシと話してた方が心安定するんじゃない?」

 確かに杏奈との会話ではもうドギマギすることはない。むしろ数回の相談を経て、大分落ち着いて話ができるようになったと言える。

「た、確かにそうかも」

 ただし話し方は中々改善されない。いつかは、直ると良いのだけれど。

「でしょ。なんか、ほっこりする話題が良いわよね〜」

「ほっこり……。あ、杏奈って何か動物って飼ってる?」

 やっぱり人間以外の動物の話が一番和む気がする。私がずっと好きだったものでもあるし。

「あ〜、動物ね。確かに可愛いとは思うけど、色々お世話サボっちゃいそうで飼う気になれないのよね。そう言う夕梨はどうなの」

「わ、私も飼ってないけど、いつかは……って」

「そう。まあ今じゃ時期が悪いわよね。色々あるから」

「うん。でも全てが解決すれば、きっと」

「じゃあその為に、頑張らないといけないわね〜」

 そっと私の肩に手を置いた杏奈。そしてその手はグイと私を押すようにして、肩から離された。

「もう大分落ち着いたでしょ。行ってきなさい」

 実際の姉とはかけ離れているけれど、お姉さん感のあるその声と容貌に安心感を抱く。「う、うん」

 杏奈のおかげか無駄にあれこれ考えたりというのはない。けれども、戸山君の顔が視界に入ればすぐに目を逸らしてしまう。踏み出す勇気がひとりでに、飛び去ってしまう。

(駄目、駄目だ、こんなんじゃ。変えたいって思ってても、何もできてない)

 胸に手を置いてしっかりと自分に言いきかせる。

 ちゃんと呼吸をしないと。表情だって整えないと、すぐに歪んでしまう。感情が押し寄せて。

 相手は──戸山君は勘違いをしてしまっているだけなのだ。真実を伝えたら、きっと笑って名前を呼んでくれる。そう、きっと。

 早くしなければ休み時間が終わってしまう。一人で居る今が絶好のチャンスなのに。これを逃したら、もうタイミングは巡ってこないかもしれないのに。

 なのにどうして、足が、口が、動かないのだろう。杏奈がわざわざ話し掛けてくれたのが無意味になってしまうではないか。友達の優しさを無下にする行為だぞ、それは。

「……と、ととと、とや」

 ようやく開いた口。だがひどく震えて戸山君に声を掛けるまでに及ばない。杏奈も後ろで呆れ果ててるんだろうな。ごめんね、本当に。

「……」(……)

 傍から見ても心の中も、怖いくらいの静寂に包まれる。

 私はいつまでも、意気地なしなのか? 伝えたい何かがあるのに、黙ったまま他人も己も不幸にして、死んでいくのか?

 いや、そんなのは嫌だ。絶対に。どうせなら幸せになりたい。せっかく戸山君が私に魅力を感じて、告白までしてくれたのだから。

 勘違いが故に破局だなんて、そんな悔いが残ること……。相手も自分もモヤモヤして、また未来を生きていかなければならない。

 どうせ別れるならもっと潔く、拗れるように複雑ではなく単純明快な理由で、ちゃんと双方が納得するようにするべきだ。少なくとも私はそう思う。

「とや、戸山く──」

「無理に口を開かなくていいよ。どうせ……別れたいだけでしょ?」

「……そんな」

 戸山君は声に気付いたのか私の所に寄ってきて、切なく囁いた。

 そして私はその彼の耳には届かないように、絶望を呟く。

 違うのに。そうじゃ、ないのに。

 話に耳を傾けてすらくれないんだ。私のことが、嫌いなんだね、そんなに。

(……辛いよ、戸山君)

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