【3】GAME1―始動―

 モニターの男の言葉を合図に、四方の扉が開いた。

 そして白い服を着た三人は、ちょうどモニターの向かいの扉へ向かって走り出した。

 サバイバルゲームが、いよいよ始まった。



 ターゲットの三人は、迷路に入る瞬間、一瞬躊躇ためらったように見えた。けれど止めた足を再び動かし、すぐに姿は見えなくなる。美月や翔の位置からは、ぼんやりと光が反射しているような様子しか分からない。

 白い部屋で待機することになった他の十七人は、少しの間、誰も何も喋ることはなかった。お互いがお互いを疑い、少しでも動くと皆敏感に反応した。

 その静寂をからかうかのように、突如異変が起きた。シューという何かが吹き出す音とともに、一人の男性が大きな声を上げた。

「おい、あそこを見ろ! もしかしたら毒ガスじゃないか?!」

 野球のユニフォームを着た体格のいい男性が指さす方を見上げると、白くて分かりづらいが確かに通気口のようなものがあり、何かが噴き出しているように見えた。他に音の原因が考えられるものはない。本当に毒ガスなのかは分かりかねたが、この異様な状況下でそれを疑わない方が難しかった。

 この一言が引き金となった。「毒ガス」というワードでパニック状態となり、その結果、四方の扉に駆け込むことを余儀なくされた。ターゲットが逃げた扉に向かった人に、行くな、と制止する声が聞こえた。

 美月も翔に袖を引かれるようにして、モニターの左にある扉へと走った。

 それぞれが勢いよく迷路に突入しようとするも、しかし入口で立ち止まった。その理由は、いざ自分が入ろうとした時に分かった。

 迷路は鏡でできていたのだ。

 ターゲットもそうだったように美月たちもまた、鏡にぶつかるのを避けるためにと、その後は慎重に足を進めた。

 美月と同じ扉に入って来たのは四人。最初の左右の分岐点を右に進む。翔、学ラン、工事現場にいるような鳶職人、新撰組の格好をした男性四人とともに、鏡の道を歩いた。

「鏡ばっかりだ! 武器なんてどこにもねえじゃんかよ」

 美月と翔の前を歩く鳶職人姿の男性が、苛立ちをあらわにした。彼のさらに前を歩く学ランを着た男性が、それに応える。

「そうですね……あれ以降分かれ道もありませんし、少し拍子抜けです」

 くねくねとしている道であるものの、分かれ道は見つけられない。何があるか分からず、最初は慎重に進んできたけれど、ただただ足を進めるだけの行為を退屈と感じられる頃だった。

 しかし、文句を言っていた鳶職人の男が急に駆け出し、美月たちと数メートルほどの距離をとった。

「そうだっ、この中に殺人鬼がいるかもしれねえんだろ? 後ろを歩かれてたまるかよ!」

 彼の言葉で自然と足が止まる。鳶職人以外の四人の距離も、心なしか開いたように感じた。そして白い部屋と同じ、お互いを探るような視線は、やがて後ろを陣取っていた美月と翔に集中した。

 疑心の目を一気に向けられ、美月の心臓がドクンと脈打った。さっと血の気が引いていく。翔もそれを察知し、緊張のこもった声で弁明した。

「この状況で怪しい行動をすれば、殺人鬼だと疑われる。ゲームも始まってまだ序盤、今動いたって怪しまれるだけです。もちろん、俺たちのどちらかが殺人鬼なら、ね」

 彼の言葉に納得した美月は、詰まった息を少しだけ吐いた。しかし、鳶職人姿の男性は相変わらず猜疑の目を向けている。

 意図せず訪れた沈滞ムードの中、学ランを来た若い男性が明るく提案した。

「確かに彼の言うことは一理あります。彼らが殺人鬼であるにしろないにしろ、今は危機迫る状況じゃありません。……どうでしょう、ここはひとまず自己紹介をしておきませんか」

 重苦しい雰囲気はできることなら避けたい――それは誰もが同じなようで。学ランを着た男性から新撰組、鳶職人の男性の順でそれぞれ桐生宗介きりゅうそうすけ上杉龍之介うえすぎりゅうのすけ林田弘はやしだひろしと名乗り、美月と翔もそれに続いた。

 自己紹介を終えたところで再び鏡の道を進むと、先頭を歩く金髪の新撰組――上杉龍之介が、正面を向いた先にある鏡の違和感に気づいた。

「この鏡……少し歪んでねえすか?」

「ああ、この歪み方、もしかし痩せ鏡でしょうか」

 学ランを着た桐生宗介が、鏡を見てすぐに説明した。

「洋服を試着する時の鏡って、実は細く見えるようになっているんです。それを痩せ鏡って言うらしいですよ」

「それなら聞いたことある。確か十パーセントくらい縦長に見えるんだったかな」

 痩せ鏡について補足した翔は、顎に手を当てながら観察した。一方の女性である美月は、今まで試着することは何度もあったにもかかわらず、全く気づいていなかった。

 鏡はよく見ると、かなり歪んで見える。気づきやすいようにわざとそうしてあるようだった。

 宗介が歪んでいる部分をゆっくり押してみると、扉であることが分かった。

 龍之介は自分の顔を指さして、オレすごくねえすか、と同意を求めている。やけにテンションが高くなった彼が場の雰囲気を和ませつつ、全員で隠し扉の先に進んでみることにした。

 その先も、当然のように鏡で囲まれた道が続いている。念のため物音が聞こえないのを確認して、今度は宗介を先頭に、新たな鏡の道へ足を踏み入れた。



 結局この日、美月たちは他の誰にも会うことはなくゲームを終えた。一人目の犠牲者が出たことは、五人は知るよしもない。そして鏡の世界に無情のブザー音が反響すると、ゲーム参加者たちの視界は闇に包まれた。



 美月が目を覚ますと、視界にはいつもと変わらない自分の部屋があった。北側に面しているため、この海開きのシーズンでも、朝ならそれほど暑くはない。

 部屋の中央に置かれた長方形のテーブルには、やりかけのレポートを進めようとノートパソコンが置いてある。結局電源を入れることはなかったのだが。

 今日の講義は三限からなので、そんなに早く起きる必要はない。なんとなく頭が重いように感じて、ふと昨夜から見ていた夢の内容を思い出した。

――リアルだった。内容を鮮明に覚えていて、途切れることなく繋がっている。

「ごめん美月~ゴミ捨てておいて~」

 もう一度寝ようとまぶたを閉じたところで、母親の声がそれを邪魔した。仕方なくゴミ捨てのついでに起きることにした。

 一階のリビングに降りると、ちょうど仕事に行く母親と玄関の前ですれ違った。

「あら、起きてきたの。ゴミよろしくね~」

 いつも通りの日常。母親の柔らかい声色に、手足の感覚がはっきりするような安心感を覚えた。

 小走りで玄関へと向かう母はおっとりした性格だ。どうせまたぼんやりニュースでも見ながら船を漕いでいたのだろう、と美月は推察する。彼女が見ていたであろうテレビは占いの時間だった。

『十一位は牡羊座のアナタ! ショッキングな知らせが舞い込んでくるかも。ラッキーアイテムのオレンジジュースで元気をチャージしよ!』

 美月は「ショッキングなニュース」を気にしながらも、たまたま冷蔵庫に入っていたオレンジジュースになんとなく手を伸ばした。グラスに注ぎリビングに戻ると占いは終わり、ニュースが流れていた。

 本日、七月十九日のトップニュースは有名女優が婚約を発表したことだ。美月はその女優には興味がないのでテレビを消し、のろのろと支度を始めた。

 大学に着くと、講義を一緒に受ける友達と昼食を済ませた。彼女は最近悩みがあるようで、気分の浮き沈みが激しい。しかしこの日は、美月もまた夢のせいで憂鬱ゆううつな気分で、彼女の話を聞く余裕はなかった。お互いに静かにぽつりぽつりと話をして、講義の教室へ向かった。

 講義を受けても集中力を保てず、美月にしては珍しく、机の下でこっそりとスマートフォンをいじった。

 好きなアイドルグループの画像でも検索しようとインターネットを開いたところで、たまたま目に入った「変死体」という文字が気になり、普段ならほとんど自分からは見ないニュースの欄に目をやった。

 そのニュースによると今朝の五時半頃、隣の県にある住宅街の一角でそれ・・は発見されたらしい。

 朝早くに起きてくる予定の娘が起きてこないので、母親が二階にある本人の部屋の前で声をかけた。返事はなく、疲れているのだろうと一度リビングに戻ったが、遅刻する時間になっても降りてくる気配がない。起こそうと部屋に入って体を揺すったところ、異変に気づいたのだという。

 遺体には目立った傷跡はなく、まるで眠っているかのようだったらしい。その遺体は司法解剖に回されたが、死因は不明とのことだ。

 また遺体の傍にはスマートフォンが置かれており、電源を入れてみたところ奇怪な画面が表示されたようで、関連を調べていると書かれている。その画像も載っていた。



 『あなたはゲームオーバーです

  count:1 四条凛』



 翔は目が覚めると、少し汗ばんだ気持ち悪さもそのままに、昨夜の夢の内容を覚えている範囲で紙に書き出していた。朝の太陽が眩しいせいもあるが、眠気が吹っ飛んでいる理由はそれではない。

 改めて書き出してみるとあまりにもはっきりと覚えているため、不気味ささえ感じる。よく夢には自分の中の無意識が関係していると言うが、果たしてこれほどまでに鮮明な夢が構築可能なのか。

 もう少し考えたいところだが仕事に行く準備をしなければならず、今日が金曜日――平日であることを恨む。

 一人暮らしのため、翔には朝食を準備してくれる人はいない。仕方なく紙をベッド横の引き出しにしまうと、顔を洗ってテレビをつけ、そのまま朝食の支度を始めた。

 たまたま付けたニュース番組にざっと目を通すと、いつものように会社へと向かった。

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