【30】GAME7―喪失感―

 自分の正体を言い当てられた龍之介は、咄嗟に口を開くことすらできなかった。かろうじてあ、いや……と口ごもるが、その後に言葉が続かない。

 動揺している龍之介を見て、夏子の口角が上がった。

「安心して。誰にも言いませんから」

「は?」

 龍之介には、夏子が何を言っているのか理解できなかった。混乱する様子の龍之介に、彼女はさらに畳みかける。

「その代わり、お願いがあるんです」

「お願い?」

「ええ。私、武器を持ってないでしょう? 一人になって探しに行くよりも、すでに武器を持っている人が守る、ということになりましたし。でも、それだけじゃ不安なんです」

 夏子は目を伏せてから、龍之介を真っ直ぐに見た。

「だから、私の命が脅かされた時は、私の命を優先して守ってくれませんか?」

 龍之介は驚きを隠せず、ただただ目を見開いた。なにしろ、殺人鬼だと確信を持っている人物に対して、守ってほしいと言っているのだから。龍之介はごくりとつばを飲み込み、ようやく質問を返した。

「それは……あんたを殺すな、ってことっすか?」

「そんな感じです」

 龍之介は、彼なりに夏子を観察してみた。手入れがされていないようなショートボブに地味な顔つき。スタイルはいいというよりも、肉付きがよくない感じだ。一言で言えば、冴えない女性。万が一彼女が殺人鬼だったら――と龍之介は思ったが、それならば自分に明かしてくれただろうと思い直した。彼が殺人鬼であると分かっているのなら、彼女は殺人鬼であることを隠す必要はないはずだ。

 そこまで考えたところで、龍之介は夏子の願いを聞き入れることにした。

 龍之介が美月に協力を約束していることを夏子は知らないから、彼が夏子を口封じのために殺す可能性があると考えたのかもしれない。殺人鬼のゲームクリア条件はターゲットである真由美と鷹雄を殺すことなのだから、表面上、彼にとってデメリットはない。ただそのデメリットも、今の龍之介にとってはあまり関係のないことなのは、夏子の知るところではないだけだ。

 約束を結びつけ、安心した夏子は、再び歩き出した。



 宗介、鷹雄、勇真の三人は、モニターの向かいにある道を進んでいた。先頭を歩く勇真が後方を気にしているのは、彼の頭の動きで宗介と鷹雄に伝わっていた。鷹雄は鏡越しに勇真と目が合う度に、彼を睨みつけている。

 分かれ道を右に進むと、シングルベッドが三つくらい置けそうな、少し広めの空間が待っていた。

 そこで、先頭を歩く勇真の足が止まった。

「どうかしました?」

 基本的には物腰柔らかな宗介だが、勇真に対しては当たりが強い。突き放すような声色だ。

「い、いや、そろそろ休憩でもと思って――」

「ふん。所詮豚は豚だな」

 鷹雄は四隅の一角へと近づくと、壁に背を向けて腰を下ろした。勇真と宗介も彼に倣い、同じように座り込む。

 宗介は鷹雄の様子を探り見た。これまでとあまり変わっているようには見えないが、どこか覇気がない。先ほどモニターの男に啖呵を切った時の彼はどこに行ったのか。

「これだと、急な襲撃に対応できませんけど」

 鷹雄は顔を上げない。

「……別に。お前は武器を持ってないんだし、好きにしろ。おい豚、お前は常に武器を出しておけよ」

 鷹雄が顔を上げたと思ったら、すでにその目は勇真に睨みを利かせている。それでもどこか調子の出ない自分に、鷹雄自身が戸惑っていた。何かが違う。わけの分からない感情が支配して、気が散ってしまう。

 鷹雄の目に委縮した勇真は、首をすくめた。

「と、友達が死んだからって、俺に当たるなよな……」

 勇真の声は小さかったが、確実に鷹雄の耳に届いた。

 鷹雄はハッとした。表現のしようがなかった気持ちに気づいた。

 喪失感だ。

 中学の時に出会ってから、鷹雄のそばにはいつも拓海がいた。育った環境は全く異なる二人だったが、どこか波長が合い、互いの存在が当たり前にまでなっていた。まさか、こんなゲームをやらされる時まで一緒なんて――と笑えてくるが、この笑いを共有することはもうできない。

 鷹雄は、心がぽっかり空いたような寂しさを自覚した。そして、改めて復讐することを拓海に誓った。

 鷹雄の目つきが変わった――宗介はそう直感した。

それから、鷹雄の背後に拓海が立っているような、妙な感覚を覚えた。両手をポケットに入れて仁王立ちになり、鷹雄と対角線上に座る自分を見下ろしているようだ。宗介は思わず視線を自分の足元に逸らした。

 何故、自分が見下ろされなければならないのか。宗介は苛立いらだちを飲み込んで、鷹雄に声をかけた。

「よければその鎌、俺が持ってましょうか? 正直に言って、彼より戦力になると思いますが」

 宗介が勇真の持っている鎌を目で捉えると、自分の物だと固持するように、勇真は鎌を握りしめた。

 鷹雄はすぐに否定した。

「その必要はない」

「どうして?」

 鷹雄はすぐには答えず、黙って宗介を見つめた。

「殺人鬼じゃないと証明されていても、お前は信用できない。俺のカンだけどな」

「……へえ」

 宗介は笑みを貼りつけた。足で隠した方の拳は、拓海の面影を認めた時から固く握られていた。

 いざとなれば、鷹雄は勇真の武器を奪って自分の命を優先させるつもりでいた。しかし、宗介が手にしているとそれが難しくなる。鷹雄自身は拳銃を手に入れているが、強力な武器ゆえ、殺人鬼に奪われることを一番に避けたい。ともなれば、場合によっては鎌が役に立つかもしれない。

 鷹雄は、自分と鎌との距離を、何度も目で測っていた。



 モニターの左の扉を進むのは、真由美、茜、芽衣の三人だ。女性のみという構成は、芽衣への期待があってのものだった。彼女がアクションを専門にこなすことを知ると、場は盛り上がった。

 茜も、以前抱いていた芽衣への不信感はいったん取っ払い、会話に交じっていた。

「だから殺人鬼を殺せたんですね」

 そう口にすると、芽衣への疑念は徐々に薄らいでいく。そうだ、彼女は殺人鬼を殺している。彼女も殺人鬼ならば、そんなことはしないはずだ。

「どうかしらね。別に私がアクションをやってることとは関係ないんじゃない?」

「えー、でも芽衣さん、ピエロ殺したって本当? 嘘ついてたりして」

 真由美が芽衣を信じ切っていることは、芽衣が一番よく分かっていた。

「あら、そしたらターゲットさんはまずいんじゃない? 私に殺されちゃうわよ?」

「その時は芽衣さんがくれた拳銃で応戦しまーす。容赦しませんよ」

 まるで女子会のような空気に包まれていた。

 しかし、これもまた女子の集団ならではのものだろうか。茜は一人、この場に違和感を感じた。真由美が、これまでまともに自分と会話をしていないのだ。質問をしても一言でそっけなく返し、別の話題に芽衣を巻き込む。真由美の目に、茜は映っていないような気がしていた。

 茜が黙る度に、芽衣が茜にも話を振ってくれていた。それでも茜に染みついている孤独感が、じわりじわりと息を吹き返している。

 美月が消してくれていたと思っていた。けれど、そう簡単に拭い去ることができるものではなかったらしい。一度よぎってしまえば無視することはできない感情だ。

 茜と真由美たちの距離は、少しずつ開いていった。茜のにじむ視界から真由美と芽衣が完全に消えると、彼女は歩くことをやめた。

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