【58】最終話―寒空の下で―

「――という方向性のもと、お客様にとっての利便性を高められるようなものにしたいと考えております。以上です」

 藤山が一礼し、翔たちの企画はプレゼンを終了した。

「青葉さん、お疲れ様です」

 プレゼンターを務めた藤山が、翔の背後から声をかけた。

「お疲れ。やっぱりお前が喋ると、場の雰囲気変わるな」

 彼の喋りは評判がよく、上司からも評価が高い。翔が勤めるこの会社では、比較的勤続年数が長めの人が行うことが多かったプレゼンターを藤山は任され、堂々とその役目を終えた。翔も多少の経験があるものの、今回のように大きな企画では今でも緊張するものだ。

「まさか、自分が抜擢ばってきされるとは……ここまでやれたのも、先日青葉さんが話を聞いてくださったおかげです」

「そんなことはないだろ。もともとお前に備わっていたスキルだ。それを惜しみなく発揮できただけのことだよ」

 翔は、先日彼の話を聞いた時には驚いた。

――俺、転職しようか迷ってて。

 この業界に憧れ、ここまで勢いで突っ走ってきたものの、彼は自身に限界を感じていた。一度思い悩むとこれまで平気だったことがあれこれ不安に思えて、結果的に集中力を欠いていたらしい。

 しかし、自分の目は正しかった、と今の翔は思う。企画の提案を受け、上はかなりいい反応だった。あの雰囲気の手ごたえを、翔は知っている。

「俺も負けてられないな」

 以前のような覇気が戻った後輩の背中を見送ると、翔は軽く伸びをして、東京の街に広がる青空を見渡した。



 季節は巡り、秋を一気に通り越して、ここ最近は肌寒い日が続いている。

 美月が相談に乗った友達は、後期から休学し、イギリスに留学していた。両親の反対に頭を悩ませていた彼女だが、美月の応援の甲斐もあり、なんとか説得できたようだ。

 みゆきの墓参りに行ってから、美月は真由美とこまめに連絡を取るようになっていた。先輩後輩という間柄ではあるものの、美月自身の交友関係の幅も広がり、充実した毎日を送っていた。

『ねえ、今週空いてる日ある? 買い物付き合って』

 真由美からのメッセージが届いた。彼女は美月のお気に入りのスタンプ、ねこまるを時々使ってくれる。そんなところが可愛いな、と内心思いつつ、美月はその週の金曜日を提案し、ねこまるのスタンプを添えた。

 真由美は就職が決まったアパレル商社の、広報部への配属が決まった。ファッションのことはもちろん、アプローチの方法や戦略についての本を持ち始め、最近の彼女はますます輝いて見えた。実際に大学内でも、雰囲気が変わったと人気も上昇中だ。

 そんな中、彼女自身にはすでに気になっている人がいるようで。その人と会うのに、洋服を見に行きたいそうだ。

「別に、彼に会うって言っても、仕事関係だし? 内定者は他にも来るし、二人っきりじゃないし……!」

 金曜日、ランチをしながら美月は真由美にそう弁明された。気になっている会社の先輩とのデートかと思いきや、そうではないらしい。

「話してたらたまたまね、同じ業界の人と集まる機会があるんだって。なんでも、就活時代に知り合った人だとか。で、そこに参加させてくれることになったの。私とあともう一人の内定者をね。……しかも女!」

 あの子も絶対に狙ってるんだ、と真由美にとっては目の上のたんこぶのような存在らしいが、入社前から先輩や同期と仲良くできるのは、美月からすれば羨ましかった。

 会社は関係なく完全なプライベートの集まりのため、スーツでなくてもいいとのこと。それならばと少しでも好感を持ってもらえる服装を探したいらしい。

「そう言えば、美月はどうなの?」

「え、どうって?」

 なんのことかピンときていない様子の美月に、真由美はわざとらしく大きなため息をついた。

「あのねえ、『え?』じゃなくって。翔さんよ! 会ってるんでしょ?」

 会ってはいる。会ってはいるのだが――。

「とは言っても、津田さんと上杉さんの面会に行くくらいで……。あとは一回だけご飯に誘ってもらったけど、そういう雰囲気じゃ――」

「へえ、ご飯行ったんだ? どういう話したの?」

 真由美は前のめりになっている。

「どう……って、最近どうかとか、私の就活の話とか、青葉さんの仕事の話とか……」

 美月の話を聞くからに進展はなさそうで、真由美は肩を落とした。

「なあーんだ、全然じゃん。来月クリスマスだよ、いいの?」

 彼女の煽りに、美月はかあっと顔が熱くなるのを感じた。

「い、いいも何も私、青葉さんに彼女がいるかどうかも知らないし――」

「じゃあまずそこから聞く!」

「ええ……」

 翔との話題に食い気味な彼女に、彼への気持ちは曖昧なままだとは言い出せなくなっていた美月は、否定も肯定もせずこの場を乗り切ろうとした。けれどそれでは、自分のことを正直に話してくれている彼女に申し訳ないと思い直し、実は……と切り出してみることにした。

「えっ、そうだったの?」

 案の定、真由美は目をこれでもかというくらいに見開いて驚いている。その顔を見せられると罪悪感がさらに湧いてくるが、彼女には本音を話しておきたかった。

「最初はね、私たち二人で黒幕探しに動いて……ドキドキしたの。年上の男の人と、あんなふうに近い距離になったことはなかったし」

 けれど、その気持ちは徐々に変化していった。

「でも、ゲームが進むにつれて、なんていうか――戦友? っぽい関係に思えてきて」

 それにね、と美月は続ける。それを真由美は真剣な眼差しで、黙って聞いていた。

「津田さんを見て、ちゃんとしなきゃって思ったの。この気持ちとしっかり向き合わなきゃって。これが恋なのかどうか……正直、今まではゲームをどう乗り越えるか必死で、そんなこと考える余裕なんてなくなってたから」

 黒幕は誰なのか、どうすれば陽太を説得できるか、そういったことに神経をすり減らしてきた。今までとは違う、普段の翔についてもよく知っていきたいと美月は思う。

「真面目ね。でもまあいいんじゃない。向き合いたい、知りたいってのも前向きなことだし。美月がどういう結論を出そうと、応援するから」

 真由美からすれば、じれったいなと思わなくもない。けれど美月は美月なりに、しっかりと歩もうとしている。そこは自分が口を出すことではないと、何も言わずにおくことにした。



 十二月に入り、寒さは一層厳しさを増してきた。外を歩くと、マフラーで首元を温める人の姿をちらほら見かけるようになった。それでも美月はまだ耐えたいと思い、時折吹く冷たい風に首をすくめている。

 午前中に家を出た美月は、お昼になる頃には翔と合流し、お昼を食べてから陽太に面会に訪れた。

 前代未聞の事件となったものの、陽太の証言により、彼には殺人罪が適用された。これに対する民衆の意見は、ネットを中心に今も議論が続いている。実際に亡くなった人数は多いものの、みゆきに関する情状酌量が認められたこと、また再犯の可能性が低く、更生が見込まれることから、処分は有期懲役にとどまった。

 美月や翔とガラス越しで話すのではなく、カフェや居酒屋で心から語らいたいと、最短の仮釈放を目標に今を過ごしていた。

「いいなー、昼はオムライスか。俺、目がないんだよね。翔、俺がここ出たらさ、まずとびっきりのオムライスおごってよ」

「ったく。好みは?」

「デミグラス!」

 陽太は心から笑っているようだった。その様子に、美月はホッとする。約束はまだ数年は先の話になってしまうが、実現するといいな、と翔の顔を見た。

 そしてそんな美月を見た陽太が、こんな質問をする。

「ねえ、二人って付き合ってんの?」

「えっ?」

 二人同時に声が出た。美月は顔を赤くして首をふるふると横に振り、翔は思わず椅子から立ち上がって否定した。

「つ、付き合ってない! 友原さんに失礼だろ」

「なあんだ、てっきり俺は……。じゃあ、今日みたいなランチとかで、どんな話すんの?

 美月は真由美にもしたのと同じ説明をした。

「ふーん。……ふーん」

 陽太は意味ありげに二度繰り返し、咀嚼そしゃくした。

「美月ちゃん、将来はどういう系に進みたいとかあるの?」

「私は――」

 まだはっきりとは見えていなかった。けれど、なんとなく頭に浮かぶ仕事もある。

「私、誰かの不安な気持ちに寄り添えたらいいな、って思っていて。業界とかは、まだ全然決まってないんですけどね」

「そっか。美月ちゃんならなれるよ、そんな人に。ね、翔?」

「うん。俺たちが保証する」

 将来のことについて、今まであまり考えたことはなかった。けれど、このような気持ちを抱いたのは間違いなくゲームがきっかけだ。あの体験がなければ、恐らくもっと別の何かを考えていたに違いない。

 面会を終え、冬の寒空を見上げた。息をすれば、冷たい空気が一気に鼻を通り抜けていく。次にこの季節を迎える頃には、美月には就職が迫っている。真由美は社会人だ。

 隣にいる翔や陽太の笑顔のおかげで、心は温かい。ふと、家族の笑顔が浮かんだ。年末には一人暮らしをしている兄が帰省し、家族四人が揃う。その時が楽しみでたまらなくなった。

 この温かさを、いつも持っていられるわけでも、ずっと持ち続けていられるわけでもない。ふとした瞬間に奪われてしまう、失ってしまう、不確かではかないものだ。

「友原さん?」

 足を止めた美月に、翔も立ち止まって振り返った。美月は「なんでもないです」と言って笑うと、彼に追いつくために一歩を大きく踏み出した。


――――――――――


最後まで読んでくださってありがとうございます、降矢めぐみです。

連載からここまで、約2年ほどかかってしまいました。

途中別のお話が書籍化することとなり、こちらのお話の更新が途絶えてしまうこともありました。――が、終盤にはPVも少しずつ増えてきて、読んでいただける嬉しさを噛みしめています。

一度は挫折したストーリーでしたが、公開することを決め、読みやすくなるよう設定を変更するなどしてきて、実際にはものすごい期間をかけて作り上げた作品となりました。このお話に悩ませられることもありましたが、無事完結させられることができ、あの時間もあってよかったなあ、と思います。

本編はこれにて完結ですが、このあと番外編が続きますので、よければそちらもお付き合いください。

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