【57】贖罪とは

 陽太が自首をしたという速報が、美月の心臓をドクン、と鳴らした。宗介については何も言われない。自分で言ったとおり、彼は一人で警察へ行ったのだ。

 美月も真由美も、画面に釘付けになった。食堂内にいる生徒のざわつきなんて、微塵も聞こえなくなるほどに。

「警察は詳しい内容を聞くとともに、事実関係を一つ一つ照らし合わせていくとのことです」

 速報は終了し、話題は政治家の汚職問題に移った。画面から視線を戻すと、周囲のBGMが復活した。

「……あの人、自首したんだ」

 美月はあらかじめ聞いていたが、彼女はそれを知らない。なんだか隠し事をしているようなモヤモヤした気分になって、みゆきの墓参りに行ったことまでを真由美に話した。

「お墓参りかあ。私も行こうかな、ちょうど命日過ぎたし。場所覚えてる?」

「なんとなくだけど、大丈夫だと思う。案内するね」

 そう言って初めて、彼女たちはお互いの連絡先を入手した。メッセージアプリの真由美のアイコンは、男性とのツーショット写真だ。

「これ、彼氏さん?」

「うん、まあ。でも、別れようかな」

 真由美はぼんやりと、浮かない顔をした。

「えっ、どうして?」

「好きだ、って言われて付き合ってるわけじゃないんだよね。同じように私も、あいつのこと好きなのか分かんない。二人で飲んで、意気投合して、そのまま成りゆきで――みたいな」

 そんな中途半端な状態では、と思い直したらしい。

「美月のアイコン、これなんのキャラ?」

「あっそれ、ねこまるって言ってね、スタンプにもなってるんだ」

 美月が表示させたねこまるのスタンプを見て、彼女はふーん、と無表情で呟いた。画面にはゆるふわな猫のキャラクターがいる。それをひととおり眺めて、彼女は持ち主にスマートフォンを返した。

 お互いのアイコンの話が終わると、気まずい沈黙が訪れた。別の話をしつつも、二人の頭には先ほどのニュースが強く刻まれている。

「……不公平、なのかな」

 目線をテーブルあたりに落としたまま、真由美がボソッと呟いた。

「え?」

「だってあの人は、人を殺した――ってまあ直接手を下したわけじゃないけど、人が死ぬ仕組みを作って、その罪を償うべく自首したんでしょ。だったら私だって、罪を犯してる。みゆきは自殺、私も直接殺したわけじゃないけど、それと同じくらいあの子を苦しめた。だったら私だって、罪を償わないとおかしいのかな、って」

 事実とは異なる内容を噂として広め、その結果大学に居づらくなったという部分を見れば、名誉棄損ともなりえるだろう。しかし刑事罰はともかくとして、家族に訴えられれば損害賠償責任を負うことは間違いない。

 けれど美月の思うことは別にあった。

「確かに、もしかすると何かの罪に問われるかもしれない。でも、みゆきさんはきっと、そんなことは望んでないと思う」

 彼女の言葉に、真由美は顔を上げた。

「みゆきさんなら、きちんと謝れば、『もういいよ』って言うんじゃないかって、そんな気がするの。宗介さんだってそう。津田さんに誘われて協力していたけど、あの人も津田さんと同じように苦しんでた。もう、罪を償えなんて言わないと思うな」

「それはそうかもだけど……」

 テーブルの上で両手を揉む真由美に、美月はその両手を自身のそれで包み込んだ。

「それよりもさ、みゆきさんのお墓に行って、きちんと心から謝ろう。それで、同じようなことはもうしないって誓って、みゆきさんの分も、前を向いて生きていこう」

 真っ直ぐに真由美の目を見る美月。彼女の瞳が、まるでみゆきの真っ直ぐな瞳と重なったように見えて、息を呑んだ。

 動物の中でも特に犬が好きで、自分の前世は犬だと信じていた純粋な彼女。その一方で芯の通った強さがあり、その生き方が羨ましいと思った。でも自分はそんなふうにはなれない。自分が大事で、周りのものを「いいもの」で塗り固めていって……たとえその中に嘘が紛れていようとも、目を背け続けた。けれどみゆきがくれたものは、いつだって嘘偽りなどなかった。彼女は、彼女だけはいつも本気で向き合ってくれて、いいところは心から褒めてくれたし、悪いことは正直にそれを伝えてくれた。

 自分がどれだけ大きなものを失ったのかを、真由美は改めて実感した。そしてそれは、もう戻らないということも。

 真由美は、温もりに包まれた両手を見つめた。失ったものもあるけれど、新しく得たものもある。もう、間違いたくはない。失いたくはない。そう思って、片方の手を美月の手の甲に回した。

「そうだね。みゆきの分も、しっかり生きていかなきゃ」

 真由美は久しぶりに心から笑った気がした。



 美月と真由美は、お盆に入る前にみゆきの墓参りを済ませた。陽太に連れられてきた時同様、照りつける日差しが頭を悩ませる。

 真由美は長いこと、みゆきのお墓の前で手を合わせていた。きっと伝えたいことがたくさんあったのだろう。立ち上がった彼女は、少しすっきりとした表情をしていた。

 お盆はあいにくの雨が続いた。父親が休みを取って旅行に連れて行ってくれたが、台風の影響もあり、観光どころではなかった。それでもゆったりと温泉に浸かり、休み明けの講義に向けてエネルギーをチャージできた。

 お盆が過ぎ、次の月曜日には、美月にとって二つ目の集中講義が始まった。今度の講義には、仲のいい友達もいる。全員集合というわけにはいかなかったが、五人集まるだけでも久しぶりのことで、自然とテンションが高くなった。そんな中、一人そのテンションについていけていない友達がいた。思い返せば彼女は、夏休みに入る前から様子がおかしかった。

 他の三人は気づいていないのだろうか。それとも自分の気のせいだろうか。そんな気持ちもあった。けれど、もし彼女が何かに悩んでいて、少しでも支えになれるのなら――ふと、みゆきのことが頭に浮かんだ。

「ねえ。気のせいだったらごめんね。でも、なんか悩んでる?」

 声のボリュームを抑え、気持ち体を詰めた。彼女は美月の質問に、目線を彷徨さまよわせた。唇をぎゅっと噛み締め、それからゆっくりと、重い口を開いた。講義が始まるまでに彼女の話は終わった。始まってからは周囲の邪魔にならないよう、筆談でやりとりをして。講義が終わると、ありがとう、と友達の笑顔が見られた。

 当時は美月も仮想空間でのゲームが始まって間もなく、話を聞く余裕がなかった。少し遅くなってしまったけれど、彼女が思い詰める前に相談に乗ることができて、美月はほっとした。



 仮想空間でのゲームを終え、みゆきの墓参りに行ったあとは、今までどおりの日常が戻っていた。翔は休みを取った分、周囲のフォローに入りつつ、自身の仕事を進めていた。

「なあ青葉。今日飲みに行こうぜ」

 ゲームで頭を悩ませていた時は、同僚との付き合いもかなり減らしてしまった。それでも誘ってくれる仲間をありがたく思いつつ、彼は快く誘いに乗った。

 ふと翔は、部下である藤山が気になった。今日は出社しているようだが、以前のような覇気がないのは変わらない。ミスも徐々に減ってきてはいるものの、昔の彼ならばしないようなミスばかりだ。

 トイレに行こうと席を立つと、同じ企画チームの上司が話しているところに出くわした。翔が声をかけると、彼らはやけに元気に「お疲れ」と返し、その話の続きを避けるように彼を見送った。何か聞かれてはまずいことなのかと不安を覚えつつも、どうしても気になってしまい、角を曲がったところで立ち聞きすることにしてしまった。

「それでさ、藤山なー」

「そうですねえ。やはり彼には荷が重すぎたのでしょうか。なんなら……外しますか?」

 翔は耳を疑った。上司たちは藤山のミスが目立つことを企画の大きさ、重要さのせいだと思っている。このままでは、上司たちの中で踏ん張ってきた彼の努力が無駄になってしまう。

 さすがに今ここで割って話に入ることはできないので、トイレから戻ると、翔は藤山に声をかけた。

「なあ藤山。今夜空いてないか?」

「今夜……ですか? 特に予定はありませんけど……」

「なら、飲みに行かないか?」

 彼のオーケーをもらってから、翔は同期の誘いをいったん断り、別の日程を確保してもらった。

「そっか、藤山ね。別に構わない、しっかり面倒見てやれよ! ……そんでもって、俺と飲む日はお前のおごりだからな、青葉?」

「はは、分かってるって。我がまま聞いてくれてありがとな」

 翔は苦笑いしつつも、同期の気遣いに感謝した。

 彼がその場を去ると、同期の男は呆れた顔で呟いた。

「お前のそういうとこ、いいと思うぜ」

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