番外編 かけがえのない宝物

 茶髪に甘めのマスク。色素の薄い茶色い瞳。穏やかな性格。お世辞というわけではなく、陽太はかなり女性からモテた。外見を気にし始めた小学生の高学年頃から告白された数は……果たして数えきることができるだろうか。――否、きっと洩れてしまう人が片手に収まらないくらいはいるはずだ。それは人数もそうだが、彼自身がそんなに頓着していないせいもある。

「なあ、陽太ってどんな子が好みなわけ?」

 高校生の時の、いわゆる恋バナ。そう聞かれると、陽太はわざとらしく「うーん」と顎に手を当ててから、こう答えた。

「生き物を大事にする子」

 てっきり「大人しい子」とか、「美人な子」とか、そんな答えを予想していたグループのメンバーは、予想外の回答に思わず笑ってしまった。

「まじか! 意外なとこきたなー」

 小さい頃から動物園や水族館が好きで、将来の夢は獣医。すでにそう決めている。家にはシベリアンハスキーとチワワという、見た目が対照的な二匹が家族として迎えられていて、彼はこの二匹を溺愛していた。

 陽太の学生かばんには、狼のストラップがついていた。それをグループの一人が手に取り、まじまじと見つめた。

「いや、まあ確かに陽太ならそうか。こいつの犬に対する溺愛っぷりを見たら、こいつに彼女ができない理由、お前らも分かるよ」

 彼はグループの中でも特に親しく、付き合いが長い。陽太のことを一番よく知っていた。

「え。それは別に関係ないんじゃ……」

 と一応は否定してみるもののしかし、思い返せば犬に構う時間は多く、彼女ができたとしても犬たちを優先しやしないか――と自問自答してしまった。



 その女性は、陽太の前に突然現れた。

「離してください! 警察呼びますよ?」

 スマートフォンを片手に、もう片手を男に捕まれて困惑している女子高生に出くわした。駅付近の賑わいからほんの少し外れただけの場所で、通行人はいるものの、誰も彼女を助けようとしていなかった。

 たまたま用のあった駅でこんな場面に遭遇するなんて、初めてのことだ。慣れていないので恥ずかしかったが、不思議と「勇気」という言葉は、彼の行動には含まれていなかった。

「あんた、この子のこと見過ぎ。ちょっとは周りを見れば? 自分のやってること、恥ずかしいとは思わないの?」

 少々キザだったか。赤面しそうになるのをなんとか堪えつつ、余裕のある表情を続けた。男は一度は反抗しようとしたが、慌てて周囲に目を向けると、彼の方が顔を赤くして走り去ってしまった。

「……あ、ありがとうございました……」

 通行人はもう自分には関係ないと思ったのか、二人の動向を気にする様子もなく、自分が歩く予定の方向に目を向けている。完全に二人きりの世界だ。

「いや。それよりも大丈夫? 怪我とかはない?」

「だ、大丈夫です……」

 少女の返答に、陽太は違和感を抱いた。さきほどまでは勇ましく、ナンパなんて慣れっこな子かと思っていたのだ。俯く彼女が気になり、かがんでみると、目に涙を溜めて、それでもなお我慢しようとしている女の子がいた。

「え、と……」

 その後に続く言葉を見つけられず、少しの間、陽太は少女の頭を抱きかかえながら、彼女が落ち着くのを待った。

 少女は落ち着くと、改めて陽太にお礼を言った。何かお礼を、とせがむ彼女だったが、年下の女の子にさすがにそこまでさせるわけにはいかない。そうしているうちに、ふと、少女の目が狼のストラップを捉えた。学生時代もつけていたものを、今もつけている。

「わあ、これ可愛い。狼が好きなんですか? 私も動物大好きなんです、特に犬が」

 これをきっかけに、お守りにと少女に狼のストラップを譲った。それから少しして、彼らは付き合うこととなる。

 陽太が二十一の時だった。



 みゆきとのデートは、お互いの犬の散歩がメインだった。陽太があの日みゆきと出会った駅は彼女の最寄り駅で、陽太の最寄り駅の隣。みゆきの家の近くに大きな公園があり、そこで犬を交えて遊ぶことがほとんどだった。そんな中で、たまに動物園や水族館を訪れていた。みゆきが大学生になると、見つけたドッグランに行くのにドライブデートもした。

「うーん癒される!」

「――犬に?」

「犬にも、陽太にも!」

 そう言って陽太に抱きつくみゆきを見て微笑ましく思ったのか、犬たちも楽しそうにじゃれ合っていた。



 彼女が成人すると、「結婚」というワードが陽太の中で色濃くなっていた。

 黒い長髪を色っぽくなびかせ、こんな美人の中に天真爛漫な性格が隠れていようとは、誰も思わないだろう。結婚を意識すればするほど、彼女が綺麗に見えた。

 ある日、みゆきに白いワンピースをプレゼントすることになった。これを着ると、黒髪が青空の下に映えるだろう、なんて想像しながら。けれど、試着室のカーテンを開けた彼女を見た途端、陽太のイメージとは違う女性がそこにいた。

「……どう、かな?」

 遠慮がちに、上目遣いで陽太に尋ねる。その姿はまるで、花嫁――。

「……それにしよう。すっごく似合ってる」

 本心なのに、まるでそうではないかのように視線が泳いでしまう。浮ついた気持ちを自覚し、みゆきを直視できなかった。けれどそれを彼女は気にも留めていないようで、嬉しそうにはにかみながら、レジに向かった。

「待って、会計は俺がする」

「えっ、そんな、悪いよ」

 陽太は、まあまあ、と言って、みゆきの腕からワンピースを手に取ると、「誕生日プレゼントってことで」とスタスタとレジに行ってしまった。

 実はこの日、陽太はとっておきの誕生日プレゼントを別に用意していた。それを渡すため、個室のレストランも予約してあった。想像がたやすい、ありがちなパターンだと思っていたため、いいカモフラージュになるかも、なんて悪戯心も潜みながら。

 そしてコース料理の大半を胃に収め、あとはデザートを待つのみとなった。サプライズの誕生日ケーキが運ばれてきたら、いよいよこいつ・・・の出番だ。陽太の緊張感だけが少しずつ高まっていった。

 夜景にもゆっくりと目を向け、綺麗だねと雰囲気を存分に堪能しているうちに、ついにケーキがやって来た。

「うわあ、美味しそう~」

 店内のBGMが、一時的に祝いの曲に変わる。それが終わるのを待って、「誕生日おめでとう」という陽太の言葉を合図に、みゆきはろうそくの火を吹き消した。

「それからさ、みゆき……」

 陽太はごそごそと鞄を探った。

「大学を卒業したら、俺と……結婚してくれないか?」

「陽太……」

 みゆきは目の前に差し出された、婚約指輪を見つめた。けれどその視界もすぐに滲んでしまい、どんな指輪なのか、デザインがよく分からない。

 陽太の顔を見て、小さな声ではい、と返事をするのがやっとで、しかしそれでは伝わったかどうか不安な彼女は、何度も首を縦に振った。

 みゆきにとって、今までで一番幸せな時間だった。

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銀の世界 降矢めぐみ @megumikudou

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