【23】あと四回
話を聞かせてくれるという女性の勤務が終わる十四時に、レストランの向かいのカフェで待ち合わせると、少し遅れて彼女が店に入ってきた。
あのレストランでの勤務が半年になるという彼女は、注文したパンケーキをほおばりながら説明した。
「浮気してたんですよ、店長。榊さんと。そのことがバレないように、必死だなって思って聞いていました」
先ほど言っていた「嘘ばっかり」というのは、店長が和恵と電話をしていた理由についてのようだ。
「榊さんは独身だけど、店長は妻子持ち。榊さん男好きで、男と女じゃ態度が大違いなんだから! 店長、入ってすぐ目をつけられちゃって、少しずつなびいちゃったらしいよ。でも家庭があるからあんまり優先してもらえなくって、それだけじゃ足りないみたいであのババア、年いってるくせに男に甘えて、他にも何人かと関係持ってるって噂」
彼女のマシンガントークはなおも続く。
「そんで私たち女には容赦ないんですよ。絶対に運べない量のオーダーを一気にトレーに乗せて渡して、落としちゃった子に恥かかせたり、自分の会計ミスを人のせいにしたり、挙句の果てには……あ、結構可愛い子がいたらしいんですけど、辞めちゃったみたいなんだよなあ。確か自殺したって。可愛い子ほどいじめたがるみたいですよ~」
美月と翔は目を見合わせた。
「それっていつの話?!」
過剰に反応した翔に、彼女は引き気味に答えた。
「えっと、確かちょうど一年前くらい?」
「その自殺した子の名前は?!」
「あ、そこまでは……」
美月も翔に負けじと粘ってみる。
「それじゃあ、名前を知ってる人はいますか?」
「いるかなあ……。あの時一気に人、辞めちゃったって聞いたし。さっきの話も、噂みたいなもんだし」
彼女はそう言いつつも、勤続年数の長い男性に連絡をしてくれることになった。
『すいません、名前までは聞いてないですね。その事件があった一ヶ月後にあそこでバイト始めたんで』
スマートフォンのスピーカー機能を使って、男性は答えてくれた。
二人にお礼を言って別れると、美月と翔はあてもなくぶらぶらした。その間二人は同じようなことを考えていた。
なるほど、店長が急に慌てていたのは、仕事で和恵に連絡を取っていたのではなく、プライベートでかけていたからだ。彼は和恵の様子について、「いつもどおり彼女の話を私が聞く感じ」と言っていた。美月も翔も、「いつもどおり」とは「職場での和恵と変わらずいつもどおり」だった、と自然と思ってしまった。しかし彼はきっと、「普段電話している時と変わらずいつもどおり」という意図で言ったに違いない。
妻子がいるのに、テレビの前でそんなこと公にできない。だから業務連絡と偽り、しかし正直に状況を話しているうちに生じてしまった
少しだけ見えたように思えた突破口だったが、美月たちの手を掠めて遠のいてしまった。重い空気の中、翔はどこかあがくように前を向いた。
「一応、店長にも聞いてみようか。自殺した子の名前を知ってるかどうか。もしかしたら前任の店長から何か聞いてるかも。もしくは、前任の店長に話を聞けるよう、お願いしてみよう」
「はい!」
美月と翔は、レストランが混む時間を避け、十五時頃に再びレストランを訪れていた。ランチの時間が終わり、店内の客もまばらだ。
店長はどこかと店内を見回すと、若い男性店員が店長に耳打ちしているのが目に入った。二人の目線は次第に美月と翔に向く。どうやら二人の来店を店長に知らせてくれたらしい。
店長は二人を視認すると、複雑な表情を浮かべた。まだ何かあるのか――そういった顔だ。
「お忙しいところ、何度も申し訳ありません」
翔が先に口を開くと、店長は引きつった笑みを作った。
「いえ。ところで、まだ何か?」
さっさと済ましてしまおう――そう思った翔は、単刀直入に切り出した。
「一年前に自殺した女の子……ですか。すみませんが分かりません。前の店長の時にそういう子がいた、とだけは聞いているんですが」
「では、その店長にお話を伺いたいのですが、連絡先をご存じありませんか? もしくは店長から僕たちのこともお伝えいただいて、電話でお話しさせていただくか、アポイントを取りつけたいのですが」
急に美月と翔が押しかけるよりも、その方がいいだろうと翔は判断した。店長は最初は渋っていたが、あくまでも彼を仲介でという条件のもと、前の店長に連絡してくれた。
「お久しぶりです、
店の受話器から、少しだけ声が漏れている。どうやら男性のようだ。
「ええ、その子について、話を聞きたいという人がいて……ええ、あ、ちょっと代わりますね」
翔が自分に代わるよう合図をすると、店長は受話器を差し出した。
「もしもし、青葉翔と申します。突然このようなお電話をして申し訳ございません。実は――」
美月は翔が電話しているのを、両手を胸の位置でぎゅっと握りしめて見守っていた。詳しい話を聞けなくても、今ここで名前だけ教えてもらえるだけで、かなり大きな一歩となる。
電話を切った翔は、ふうと息を吐いた。
「……どうでしたか?」
美月が恐る恐る尋ねると、翔はにっこり笑った。
「会ってくれるそうだ。平日は忙しくて時間が取れないから、土曜日に」
「本当ですか!」
翔は、うん、と頷いた後、しかしすぐに笑みを消した。
「こっちも切羽詰まった状況だから、本当は名前だけでも今聞きたかったんだけど……。話す心の準備を、土曜までにさせてくれってさ」
「そうですか……」
今日は火曜日だ。土曜日となると、あと四回、ゲームを無事に乗り切らなくてはならない。その間に犠牲者が出ないといいのだが。
どうしようもないので、店長にお礼を言い、店を後にした。二人は店長に連絡先を教え、何かあったら連絡を取れるようにしておいた。
前進したかしていないのか、不安定な状況に、帰りの会話は少なかった。けれど無駄ではない。そう思った美月は、駅での別れ際、翔の背中に声をかけた。
「ひとまずあと四回、よろしくお願いします!」
美月が折った腰を元に戻すと、翔は顔の横で手を振って、優しく笑っていた。
翔は部屋の電気をつけると、ソファに体を預けた。目をつぶると、別れ際の美月の姿が浮かんできた。
「強くなったな……」
いや、彼女はもともとそんなに弱くないのかもしれない。大人しい性格で、武器を手に入れてなくて……ただ自分が守るべき存在なのだと、彼女を認識していただけだったのかもしれない。
正直なところ、土曜日までお預けというこの状況に、翔は参っていた。本人が話してくれないというのは仕方ないが、あと四回、犠牲者が出ないまま終わるとは思えない。すでにゲームオーバーとなった人の知人から情報を集めようにも、テレビでの情報だけでは居場所を特定できない。名前を調べようにも、殺人鬼に悟られれば偽名を名乗る可能性もあるから、できれば個々に聞いていきたいところだ。
翔は最終手段として、龍之介を使って残りの一人の殺人鬼を突き止める、という方法を考え、そんなことしか思い浮かばない自分を自嘲した。
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