【10】GAME3―信頼―
ブザー音とともに扉が開くと、数人の気はピエロから反れ、扉へ向いた。
ピエロに背中を向けた者のうち、近くにいた――少なくとも五メートル近くは離れていたが――バスケットボールのユニフォームを着ている若い女の子と、鳶職人姿の弘が連続でピエロの刃の餌食となってしまった。
ピエロは瞬間的にナイフを
開いた傷口からは鮮血が勢いよく飛び散る。広がる血溜まりは白い部屋に鮮やかなコントラストを生み出した。
そして二人の体は、崩れるように血溜まりに沈んだ。
「きゃあああああっ」
どこからともなく悲鳴が聞こえた。
ピエロの近くにいた者たちは、お互いにもつれ合うようにしてなんとか距離を取るが、彼にこれ以上動く気配はない。
美月は完全に足がすくんでいた。駆け寄りたいという気持ちはあっても、駆け寄る勇気はない。翔はどうするつもりなのだろうと、左にいる彼の顔をかろうじて見上げた。彼は美月の視線に気づくと、美月が駆けつけようとしているとでも勘違いしたのか首を横に振った。
翔自身は、間に合うのであれば駆け寄りたい気持ちを、歯を食いしばって必死に抑えていた。
「他の鬼が動くかもしれない、下川さんを守ることが優先だ!」
翔にそう言われ、後ろにいるはずの真由美の無事を確認しようとした時、美月の目に刀が映った。それを握る右手は翔のものだった。
ピエロは、カラフルな衣装を再び血濡れの衣装へと染め上げた。目は血走り、口は裂けそうなほどにニンマリしている。
翔以外にも、武器を手にしている者が数人いた。しかし、いざ武器を活用できる時が訪れても、実行に移す者はいない。
そんな人々の心中など露知らず、この状態を見て自分が不利と認識したのか、ピエロは自分に一番近い道であるモニターの左の扉へ向かって走っていってしまった。
それを見た美月は、今度こそ女の子と弘のもとへ駆け寄る。うつ伏せに倒れている女の子に声をかけると、弱々しいが息はあり、肩から腰までの大きな傷の痛みに顔を歪めていた。
美月は彼女の手を握り、涙を溜めた目で弘を見る。
弘の傷は、恐らく頸動脈を切られただろう出血量だった。ふらついたのか仰向けに倒れていて、目は見開き、白い虚空を捉えられていない。顔には一瞬で感じたであろう驚きや恐怖、絶望といったものが残されていた――。
犠牲者が出ない道は存在しないこの戦場からは、すでに三人がゲームオーバーとなっている。まだゲームが始まって間もないのに、さらに二人増える可能性がある。
そして三度目の今日、事態は最悪とも言える状況だった。この混乱ですでにこの部屋から逃げてしまった者もいる。
ターゲットに関して言えば、白軍服の男性は燕尾服を着た男性を連れ、さっさとモニター下の扉へ行ってしまった。コック姿の女性は二人について行けずに取り残されて、ここから出るべきか残るべきか、オロオロしている。ナース服を着た真由美は、いつの間にか美月の腕を掴んでいた。
翔は白い部屋をぐるりと見渡した。
ざっと見てここに残っているのは十人くらい。そして自分を含め、四人が武器を所持している。
ふと、翔の頭を何かがよぎった。今武器を手にしている人物に、共通点があるような気がした。
しかし思考はすぐに切り替わる。少女の苦しそうな息遣いが聞こえたからだ。翔は視線を、床で苦しむ少女に移した。
「まだ息はありそうだね」
「はい。でも、すごく辛そう」
美月は目に涙をためて、翔を見上げた。本当に心配しているのが分かる。
翔は考えた。この少女がゲーム終了まで生きていれば、それだけで人数を稼げる。でもそれまでにかかる労力もあることは事実だ。この瞬間に別の殺人鬼に襲われれば、彼女を置いて行かざるを得ない。
こちらが勝つための単純な計算。
しかしそうできるかと言えば、翔の答えはノーだった。痛みに必死に耐えているこの少女を犠牲にできるほど、彼は冷静になれない。
難しい顔をしている翔を、美月はじっと見つめた。どうやっても刀が視界に入る。真由美も近くにいるのに、刀は出したままだ。
「青葉さん、その剣どこで……」
「後で説明するよ。今は安全な場所を確保しないと」
仕方のないことだけど、美月は気になって仕方がなかった。
下手に動くと殺人鬼だという誤解を招く可能性がある、一触即発の雰囲気が漂う中、一人の男が前方から近づいてきた。海賊の服を着た喜一だ。
反射的に身構えた翔に、彼は両手を体の前で振ってみせた。
「ちょ、ちょっと待った! 私は医者だよ」
喜一はたどたどしく自身の腰に手を回すと、巻かれていた青いスカーフのようなものを絞って少女の背中に押し当てた。
「傷口が大きいな……誰か、布ないか?!」
周囲に呼びかける喜一を見て、この様子を遠目に見ていた人たちは、固まった体を動かして自身の服を確認した。
「僕のこれも使ってください」
そうこうしているうちに、宗介が黒い布を差し出す。彼が言う「これ」とは、自信の学ランだった。中にワイシャツを着ているので、学ランの上を丸ごと使ってくれということらしい。
「ありがとう! これで肩の方を押さえよう」
彼女の傷は肩から肩甲骨付近が一番深い。肩から斜め下に振り下ろされるかたちで受けたためだ。
警官の格好をした俊一も駆け寄った。彼は翔とともに殺人鬼に備えることになり、喜一が処置を行う間、周囲に気を配った。
一方で、この部屋を出る者もいた。バスケットボール選手姿の少女のもとに残ったのは、美月を含めて六人だった。
「ねえ、これあと三十分ずっと押さえてるの?」
美月の後ろから、ターゲットである真由美が覗き込む。まだ始まってから十分も経っていない。怪訝そうに眉をひそめる真由美からは、じれったさが感じ取れた。時々扉に目をやるということを何度も繰り返し、同じ場所に留まることを全身で否定している。どの道手遅れなのではないか――という気持ちもあった。
真由美の疑問に対して、少女の傷口を押さえている手元を見ながら喜一が答える。
「出血の程度にもよるけど……少なくとも十分は押さえてなきゃ。あとは様子を見ながらってところかな」
そうは言ってみたものの、喜一としては厳しい現実を突きつけられているなと感じていた。
ピエロがナイフではなく、例えば刀を使っていれば、刃先に力が伝わりにくく、傷はもう少し浅く済んだだろう。
ため息が出そうなのをなんとか堪えているような状態の中、状況は悪化する。
初日と同様に、空気を吹き込む音が聞こえてきた。これの正体が明白でない以上、自分たちは逃げなくてはならない。
ひとまず翔が少女をおぶり、白い部屋を出ることになった。
「あの人は……」
俊一の視線の先には、先ほどから動いた様子の見られない
喜一は弘の脈を確認し、左手で彼の瞼を閉じた。
重い空気を纏いながら、美月たちは鏡の世界へと足を進めた。
散り散りとなった中、集団で最も人数が多いのは美月たち七人だった。
この様子をモニターで見ている彼は、彼女たちに感心していた。
結構バラけたな、と呟きながら、薄めに薄めたバーボンの入ったグラスを手にする。
「……やっぱり苦い」
そう言って顔をしかめ、再びモニターに視線を向ける。
見ているだけというのは正直退屈にしかならないと思っていたが、プレイヤーの行動を見ていると案外楽しめるものだった。
特に美月や翔、真由美らの信頼に近いものを築いている様子は、なんとも不思議だった。
「あ、この人も動き出した」
一つの画面に釘づけになるところだったが、ちょうどその隣のモニターが映す内容にも、とても興味が湧いた。その画面が映していたのは、ハンドガンを片手に持つチャイナドレスを着た芽衣の姿だった。
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