【6】GAME2―目の前に獲物あり―

 ふと、自分の手首の異変に気づいた者がいた。確かにゲーム一日目、自分はある凶器・・を手に入れた。しかし二度目のゲームが始まった時には手元にはなかったのだ。そのため、凶器は手に入れた回しか使えない――そういうものだと認識した。

 けれど、これを見る限りはその認識は誤っている。ここはバーチャルゲームの世界。凶器の出し入れ・・・・も自由自在ということか。

 その人物は口の両端を器用に上げた――その表情を気づかれまいと、俯いて。



 最初に集められる白い部屋を出てしまうと、時間の経過を知る術はない。あとどれくらい歩き続けなければいけないのか――ただ歩く以上に、精神的に厄介なことだった。

 美月たちが歩いているのは宗介の「カン」で選んだ道で、柱のあった空間をそのまま直進してきたのだ。

「めんどくさいなあ、鏡って」

 前から二番目を歩く真由美がふてくされた声を出した。時折左の拳で鏡をコンコンと叩きながら歩く。幅が狭くなっているので二人並んで歩くことはできず、宗介、真由美、美月、俊一の順で一列にならざるを得なかった。この窮屈さが苛立いらだちを募らせる。

 ただ最後尾を任されている俊一のみ、こういうふうに並んで歩く様子が小学校の登下校みたいだ、と思っていた。

 ふと、先頭を歩く宗介が急に足を止め、美月たちを振り返った。口元には人差し指が添えられている。

「どうしたの?」

 俊一まで聞こえるくらいの小さな声で、真由美が眉をひそめて問いかける。宗介もまた同じくらいの声量で、どこかから声が聞こえた気がする、と足を止めた理由を説明した。

 美月たちは一歩一歩慎重に足を進めた。期待とも不安とも言える緊張が一気に押し寄せる。

 歩きながら美月は、狭くなった道が少しずつまた広くなってきたことに気がついた。くるっとUターンをするように曲がったところで道は極端に広くなっており、宗介はその先に数人の人影を視認した。

 後ろの三人もそれに気づくと、頷き合って数メートルの直線をゆっくりと進む。その先には椅子があった場所よりもずっと広い――白い部屋に近い広さの――空間が存在し、四方に道が一つずつ続いていた。

 この空間も鏡張りであることは変わりないのだが、空間を照らすライトの位置が少し高く、四方の道は分かりやすく黒い枠で囲われている。黒枠様様のおかげで、宗介たちは逃げ道を把握した。そう言えば先ほど椅子があった場所も、四方の道には白い枠があったことを美月は思い出した。

 空間の中で、彼らは四対一になって対面していた。

 よく見ると、四人と対峙しているのは一度目のゲームで一緒だった、鳶職人姿の林田弘だった。ターゲットであるシェフの格好をしている女性の盾となるような形で、他の三人――メイド服の女の子、ピエロ姿の男性、CAの服を着た女性が彼との間に並んでいる。

「どうかしたんですか?」

 念のため距離を保ったまま、先頭の宗介が尋ねた。

 ピエロの格好をした色黒の男性が、弘を指さしながら声を張って説明した。

「あいつ、殺人鬼なんだよ! 俺の腕を切りやがった!」

 彼はそう言って、美月たちに左腕の傷を向けた。水平にできた傷口からは血が出ているのが、少し離れた美月たちの位置からもしっかり見て取れた。

「しかもこの小汚い男、さっき一人殺してるんだから」

 弘を「小汚い」扱いしたのはターゲットであるコックの女性だ。彼女は、彼が貴族姿の男性を殺したと説明した。

「なのに、それを認めないんだよ、こいつは!」

「だから違うっつってんだろ! 俺は何もしちゃいない! あいつが勝手に言ってるだけなんだよ!!」

 ピエロに対抗して、弘も負けじと必死に声を張り上げた。

「だって見てくれよ! 凶器なんか持っちゃいない! 信じてくれよ!」

 彼はTシャツの上に着ていたベストを放り投げ、続いてズボンのポケットを裏返して見せた。

 眉を下げて懇願する弘を見て、美月は彼は無実なのではないか、という気がしてきた。けれどもそれを確かめる手段はない。

 弘が一歩足を前に出した途端、四人は同じだけ後退する。

「頼むよ……」

 弱々しく語尾を小さくする弘を見かねて、宗介は詳細の説明を求めた。これにも傷を負ったピエロ本人が答えた。

 弘が後ろ手に持っていたナイフを自分の左隣にいた貴族姿の男を一突きにし、抜いてそのまま滑らせ、さらに自分の左腕を切りつけたこと。傷は思ったより深くないようで、彼はしっかりとした口調で説明した。

 鳶職人の隣を歩いていたメイドの女の子は、後ろから声が聞こえるまで気づかなかったと言う。

 しかし、この話に違和感を覚えたのは美月だけではないらしく、宗介、真由美、俊一はお互いに顔を見合わせた。

 四人を代表して、真由美が怪訝けげんそうに疑問を口にする。

「ねえ……そんなことを隣にいる人に気づかれずにできるとは思えないんだけど」

 真由美の一言で場の空気は一変した。急な襲撃でパニック状態に陥っていた頭が冷静になり、弘には不可能だったのではないか、という考えが各々に浮かぶ。

 すると、メイド服の女の子が少しずつ後ずさりを始めた……弘からではなく、ピエロの男性から離れるように。

「そうだよ、おかしいよ……人を二人も刺したのに、服に血が全然ついてないんだもん……」

 震えがちなその声を聞いて、全員が弘に目を向ける。服はおろか、袖口や手にも確かに血は付いていなかった。

 そもそも後ろを歩く貴族姿の男と自分の距離も分からないのに、後ろ手に殺すのは難しい。そんな単純なことさえ気づけないくらい混乱していた。

 疑惑の目が一気に自分に向いたため、ピエロの表情には明らかに動揺の色が窺えた。何か言おうとするが、それより早く、CAの格好をした真面目そうな女性が横槍を入れた。

「出しなさい。ナイフか何か持ってるんでしょう?」

 先ほどまでは弘が殺人鬼だと信じていた癖に、掌を返したような彼女の態度に、ピエロの男は苛立ちを覚える。

 しかしふと、その言葉で思いついた。弘と同様に自分の服にも血が付いていなければ、凶器だって持っていない・・・・・・

「……フン、そんなに言うなら、調べてみろよ」

 そう言って彼は両手を頭の横でひらひらさせている。

 自信ありげな様子は予想外だったのか、CA姿の彼女は眉をしかめつつ、それでも服を調べようと近づいた。メイドとコックの二人は、CAの後ろへ回る。

 しかしカラフルな服からは傷口が覗くだけで、凶器になるような刃物は出てこなかった。捨ててしまったのだろうか――そう考え目線が下の方に向いた彼女には油断が生じた。その瞬間を逃すまいと、CAの視界にナイフが現れる・・・

「――っ!!」

 彼女が命拾いしたのは、ふと目線を上げた瞬間に、ピエロが突き出したナイフが出現したからだ。あのまま足元を見ていたら、気づくのが遅れていた。

 かわされた――はずだったのにピエロの手には、ナイフが刺さる感触がしっかりと得られた。刺さったナイフを抜くと、メイド服を着た小さな身体が、糸を失った操り人形の如く床に崩れた。

 CAの女性は反射的に横に避けたため、後ろにいたメイドの女の子は何が起きたのか分からないまま、胸にやいばを受けてしまったのだ。

「あ……」

 目の前で人が刺され、シェフの女性は腰を抜かして後ずさる。――そんな彼女は単なる恰好の獲物でしかなかった。

「いやあっ」

 ワンクッションを置いて悲鳴を上げたのは真由美で、彼女はもと来た道を戻ろうときびすを返した。

「――待って! 一人になっちゃだめ!」

 咄嗟に真由美の腕を掴んだ美月だったが、彼女の腕は美月の手を勢いよくすり抜ける。どうすればいいか狼狽うろたえる美月の背中を宗介が押してくれた。

 美月が走り出した直後、背後からコックらしき女性の悲鳴が聞こえた。



 ピエロの男には我慢の限界だった。

 ナイフを手にしていて、しかも獲物がこんなにも無防備に、こんなにも近くにいるのだ。

 小学生の頃から、自分には言葉にできない欲求があった。それは視界をうろつくありを踏み潰すと治まった。

 そのうち蛙、野良猫と次第に対象は大きくなった。この時点では家で飼っている犬を殺さないくらいには、欲求のコントロールができていた。

 しかし学校でクラスメイトと言い合いになり、むしゃくしゃして帰ってきた自分を出迎えたのは、間抜けそうに舌を出している自分の家の犬だった。それを見た瞬間、台所の包丁しか頭になかった。カッターも持ってはいたが、スペードはゴールデンレトリバーだ。

 母親はリビングにいて、息子が突然ナイフを掴んで飛び出して行くのを見て慌てて追いかけた。そして目にしたものは、飼い犬に刃物を向ける自分の息子。

 スペードも、彼の手も、血まみれだった。

「ひぃっ――」

 声を上げてしまったことを、自分に向かってくる息子の目を見て後悔した。けれどその後悔の念は長く彼女を苦しめることはなく、彼女の命は尽きた。

 振り返って玄関を見ると、妹の靴があることに気づいた。包丁を右手にゆっくりと階段を上る。

 不思議と冷静だった。妹はどんな反応をするだろうかとか、父親が帰ってきたらどうやろうかとか、そんなことが頭の中を巡っていた。

 そう考えているうちに妹の部屋の前に着いてしまった。おもむろにドアを開けると、妹は勉強机に座っていた。名前を呼ばれた妹は振り返って笑みを浮かべるが、すぐさま彼の異変に気づき、その表情は一変する。

 極上の味を堪能できた彼の顔には、妹のそれとは違う笑みが浮かんでいた。

 やがて早番のシフトを終えた父親が帰ってきて、状況に青ざめながらも通報したことで事態は終息した。体格のいい父親を殺すことはやはり難しかった。

――中学二年の春のことだ。

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