【5】GAME2―届かない声―

 突然発せられた美月の声に驚いて、翔は目を見開いて彼女を見た。当然他の人の視線も集中する。美月は目立つことが苦手で、普段はこうして注目の的となることなどないから、声が震えそうだ。

「昨日出た案を試してみませんか?」

 美月自身が新しい案を思いついたわけではなかった。しかし、刻々と過ぎていく時間に焦りを感じたことも事実で。そんな気持ちを翔がすくった。彼は誰かが一人になること危惧し、ターゲットの三人に同意を求めた。

「けどそれはそっちに都合がいいだけで、俺たちにとってはメリットはないだろ」

 翔の説明に、ターゲットの一人である白軍服の男性が反論した。

 彼の言うことも一理あった。ターゲット以外の参加者たちはターゲットを守りやすくなるし、殺人鬼はターゲットを狙いやすくなる。ターゲットにとっては自分を殺す可能性のある人間を傍に置くことになるのだ。

 けれど、すかさず翔もまた白軍服の男性の意見を否定した。

「そんなことはないですよ。確かにこの案だとターゲットのあなたたちは鬼と接する機会ができてしまう。だけどそれ以上にあなたたちを守る人間を近くに置くことができる」

 自分たちを利用するメリットについて、彼はそれ以上は口には出さなかった。その代わり、ターゲットのみで行動することの核心に触れる。

「確かにターゲットのあなたたちが、直接殺人鬼と闘うのは危険極まりない。でも……分かってますか? 俺たちだけに、最悪殺人鬼を殺し、罪を被れって言ってるんですよ。俺たちだって殺人鬼と対峙するのは怖い。なのにあなたたちはリスクを負わず、俺たちだけがその恐怖と戦わなくてはならない……それって、不公平だと思いませんか?」

 誰だって自分の命が大事だ。しかしこのゲームは、自分の命だけ守っていても結果的に助かるわけではない。

 白スーツの男性はその後に言葉が続かずに口を噤んでしまった。

 もちろんターゲットだって、好きでターゲットになったわけではない。殺される恐怖は計り知れないし、殺さなくとも済む可能性もある。

 けれど、一人になった人物が殺された事実が重くのしかかっているのだろう。

「……乗ってやる」

 この一言を契機に意見がまとまった。一人減ったため、ターゲットをグループ内に一人ずつ含めた六人のグループが二つと、七人のグループが一つできた。

 美月は翔と一緒になり、グループを決める直前に声をかけてきた、学ラン姿の宗介とも同じになった。

 宗介は翔と同じ歳であることを知り、鼻の下を指で擦りながら顔に笑みを広げた。柔らかい茶色の髪にぱっちりした目で、よく見るとなんとも甘いマスクの男性だ。同じ歳でも翔の方が大人びて見えた。

 美月が二人のやり取りを見ていると、宗介が急に前屈みになって聞いてきた。

「そう言えば翔と美月ちゃん、昨日も二人でいたよね」

 そう言った彼の口元は緩んでいる。

「モニターの男の人にまだ起きてない人を起こしてって言われた時に、私が青葉さんに声をかけたんです」

 ね、と言うように、間に挟まれている翔に顔を向けると、彼は耳を赤くしてうなじを掻いた。

 和やかな雰囲気もつかの間、ビーとブザー音が響き渡った。そして昨日と同様に四つの扉が開く。

 真っ白い部屋も、奥に見える鏡だらけの道も、昨日となんら変わらない。無機質なのに威圧感さえ覚えるこの空間は、美月たちゲーム参加者を無言で迎え入れる。

 きっと明日も、明後日も同じなのだろう。

 けれども少なくとも自分のグループからは死者を出したくない。不安に駆られながらも美月は両手の拳を握りしめ、自分が進む予定の扉を見つめた。



 扉が四つあるのに対してグループの数は三つしかないので、モニターの向かいの扉以外の道に進むことになった。

 美月たちは六人のグループで、一緒になったターゲットは下川真由美。昨日とは別の道を進む中、ナース服を着た彼女は美月の左隣を歩く。真由美の後ろには翔がいて、美月は先ほどのフォローに対するお礼の気持ちを彼に伝えた。

「青葉さん、さっきはありがとうございました。……上手くいって、誰も死なないといいですね」

「うん、そうだね……」

 優しく微笑むも、翔はどこか浮かない表情だった。

 少し歩いたところで、宗介が昨日と同じように自己紹介をしようと提案した。彼から美月と前に続き、美月の前を歩く海賊姿の男性――船尾喜一ふなおきいち、その左隣の警官服の男の子――久我山俊一くがやましゅんいち、そしてその後ろで美月の左にいる真由美、最後に翔という順に自己紹介が終わった。

 この道を行ったことがあるのは船尾喜一と久我山俊一の二人だった。

「とは言っても、この先は分かれ道がとても多くてね。どこをどう曲がったか、正確に記憶はしてないよ」

 最初の分かれ道を右に進んでしまうと、その後の分かれ道はかなりの数らしい。彼が説明する間に、最初の分かれ道が現れた。



「ねえ」

 できるだけ色んな道を行ってみようと分かれ道は左を選び、歩き続けていたところ、真由美は少し気怠けだるそうに言葉を投げかけた。

「別にこのまま進まなくてもよくない?」

 どこまでも鏡、鏡、鏡……さすがにおかしくなりそうだった。ターゲットでもあるという不安もあるのか、あまり顔色がよくない。

「だってずっと鏡の中を歩いているだけで、疲れるだけじゃない」

 現実は彼女の言うとおりだった。武器は見つからず、かといって殺人鬼に襲われてもいない。

「命」を懸けるゲームにしては、緊張感がなさすぎた。

「武器の一つでも見つけられれば少しは違うのに……なんで武器が見つからないんでしょうか」

 美月は思っていた疑問を呟いた。みんな口には出さなくとも、同じように感じているようだった。

「犠牲がないっていうのはいいことだけど……昨日みたいに、自分がただ歩いている間にどこかで犠牲者が出るっていうのは、正直気分が悪いな」

 そう言った翔の声もどこか締まりがない。宗介は手を頭の後ろで組んで歩いてさえいる。死人が出ているとはいえ、当初の緊張感はほとんどないに等しいほど気が緩んでいた。

 すると、そんな気持ちを叱責するかの如く、前方に変化が現れた。

――椅子だ。二つの椅子が背中を向けるかたちでそれはあった・・・。木製の薄い茶色で肘掛けはない簡易なもの。同じ色の机がセットになっていそうなタイプだった。

 椅子がある場所に向かうにつれて道も徐々に広がり、少し広めのスペースの中央に設けられていた。近づくと、椅子が置かれている部分の床は鏡ではなく白くなっていて、念のためそこを踏まないようにして調べることになった。

 喜一と翔が椅子を調べ、美月たち四人はその様子を見守った。しかし椅子はなんの反応も示さない。床に固定されているため動かすことはできず、何か別の用途があるわけでもなさそうだ。

「椅子だからね……試しに座ってみるかな」

 そう言った喜一の額にはうっすらと汗が滲んでいた。今までになかった物が突然現れたのだから、無理もない。

 翔は少し考え込んでいる様子だったが、目を閉じて一度深呼吸をした。

「座りましょう」

「あ、ああ」

 どうやら喜一の方は、翔がやめておこうと言うことを期待していたらしい。しかし、椅子の背もたれを掴む翔の手に力が入っているのに気づいて意を決したのか、ドスンと音を立てるほど勢いよく座った。それを見て慌てて翔も座る。

――ガコン

 音がしたと認識した時には、すでに翔の顔は美月の正面にあった。

「な、なんだこれはっ」

 喜一は椅子にしがみつきながら目だけを必死に動かしている。翔は驚きつつも上を見上げた。ぶつかることを危惧した視線だったが、天井はまだ先にあった。こんな仕掛けがあると、迷路というよりもむしろ迷宮に近い。

 二人の姿が完全に見えなくなると、白い床の形がそのまま柱となって沈黙した。

「――っ青葉さん、青葉さん!」

「船尾さん!」

 美月と俊一が天井に呼びかけると、翔らしき声で「二人とも無事だ」という返事が聞こえた。いつもすぐ近くにいた翔が消えたことに美月は少しの喪失感を覚えていたが、無事を知り安心することができた。

 沈んだ空気を打破したかったのか、天井から視線を下ろした警官服の俊一は務めて明るく提案した。

「進みましょう! 二人を探さないと」

 この空間には、白い部屋と同じように分かれ道が四方に一つずつある。一つは美月たちが歩いて来た道だ。問題はどの道に進むかということだったが、ここで宗介がおもむろに自分の正面の道を右手で指した。

「このまま真っ直ぐ行きませんか?」

 通ってきた道の反対側に続く道だ。真由美が何故その道を選んだのか聞くと、苦笑いをしながらなんとなくね、と彼は答えた。

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