【7】GAME2―手にした武器―

 ターゲットであるコックの女性の命は、間一髪、少年の機転により救われた。ピエロがナイフを出した時点で駆け寄っていた俊一は、着ている服――さながら警官のようだった。タックルと頭突きをお見舞いし、ピエロはその場に寝転がっている。

 すぐに真由美たちを追いたい気持ちを察したのか、CAの女性がこの場は任せて、と言ってくれた。その言葉に甘んじて宗介と俊一は先を行く二人を追ったものの、追いつくことができずにいた。真由美はどこまで美月を引っ張ったのだろうか。

 殺人鬼、ピエロが追ってくる気配はなかったが、引き返すわけにはいかない。

「あの二人いないですね。あの真由美って人、ターゲットなんだから大人しくしててほしいんですけど」

 ため息と同時に不満を洩らしたのは俊一だ。先のピエロとのことが影響しているのか、額に冷や汗をかいている。

 早歩きで戻ってきたので、幅の細い箇所はすでに抜け、少しずつ道幅が広がってきていた。

 このまま進めば、間もなく翔と喜一が巻き込まれた椅子――動いて柱となってしまったが――があった十字路に辿り着いてしまう。

 美月ももちろん、特にターゲットとなっている真由美の安否が気がかりであったが、そこにいたのは意外な人物だった。俊一は思わず声を上げる。

「あれ、あなたは……!」

 そこには柱を背に座り込んでいる男性の姿があった。喜一だ。

 元々老けているわけではないが、今見る彼は別人のようだった。まるで生死を彷徨さまよった海賊そのもの。疲労を隠しきれていない喜一を見て、宗介と俊一は思わず顔を見合わせた。

 まさか今日のうちに合流できるとは思っていなかった二人は、その意味でも驚きを隠せない。

 疲労している彼には申し訳ないが、あれからどうしたのか、翔とは会ったのかなど、二人はいくつかの質問を喜一に投げかけた。

「青葉くんとは一度も会っていないよ」

 喜一の話では、せり上がった椅子が停止した後にすぐ翔の方を振り返ってみると、そこにいたのは鏡に映る自分だったそうなのだ。

「それからこの鏡の道をひたすら歩いたけど、他の誰にも会わなかった」

 ということは、喜一はあれからたった一人でこの鏡だらけの道を進んできたと言うのか――。そう考えれば彼の精神的疲労は測りかねない。

「それと、これ……」

 喜一は少し躊躇いがちに、ズボンの右ポケットからそれ・・の半分程度を宗介と俊一に見せた。それが何かは、引き金が見えれば誰もがそれを判別できる。

「喜一さん、それって……」

「ああ。桐生くんも分かるだろうが……拳銃だ」

 言いながら喜一は再びポケットの中にしまい、手に入れた経緯を二人に話した。

「……なるほど。では、歩いていたら床に二つの宝箱のような物があり、その右の箱を開けたら中に入っていた、と……?」

「そう。鍵はかかっていなかったけど、左の箱も開けようとしたら開かなかったよ」

「開けられるのは片方だけってことでしょうか?」

 宗介と喜一の会話に、俊一も自身の見解を示した。

「元々左は開かなかったということも考えられるけど……とにかく武器を持つ人がいて心強いですね。もし襲われても対処できそうです」

 確かに、と頷く俊一だったが、すぐさまツッコミを入れた。

「イヤイヤ! この人が鬼だったらどうすんですか?!」

 しかし宗介はいたずらっぽい笑みを浮べながらこう言った。

「こんなに冷や汗をかいている人が殺人鬼だとは思えないよ」



 CAの女性が歩くその少し後ろを、コックの女性がぶつぶつと何か言いながらついて来る・・・・・。前を向いていてもたまに鏡にその姿が映るのだが、小さくて横に太めの図体は、さらに小さく見えた。

「……全く、なんなのよ……なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないのよ……!」

 先ほどの一件があるまで、ターゲットであるコックの格好をしたこの女性は小言が目立った。時には耳障りとさえ感じるほど。あれ以降はずっと無言だったで、やっと静かになったかと思うのもつかの間、一転して彼女は再び口を開き始めた。

 特に何も答えなかったCAの女性だが、すぐ後ろから聞こえる小言よりもさらに後方――誰かが追ってきやしないかと、そちらの音に耳をそばだてていた。

 置き去りにされた弘がこちらへ来るとは思えないので、足音が聞こえるとしたらそれはピエロである可能性が高い。自分たちは真由美があの言葉を口にするまで、弘を疑ってのけ者にしていたのだ。当然気まずさが残る。どうせ一緒に行動するのなら、自分の疑惑を晴らしてくれた人としたいと思うのが自然なはずだ。

 どこからか荒い息づかいが聞こえた。走っているようだ。

 二人の意識は後方に向き、姿を現すのが誰なのかと身構える。

「や、やっと追いついたぜ……」

 その息づかいの主は二人の姿を捉えると、足を止め、そして息を整えながらゆっくりと近づいてきた。カラフルな服とは対照的な、ベージュのような、グレーのような服が鏡に映る。

――弘だった。

「……こっちに来るとは思いませんでした」

 CAは表情を変えないまま、目だけ見開いた。コックは正気かとでも言いたげな目をして、弘を見上げている。

「だ、だって仕方ないだろ? あいつらと違って、おまえらは殺人鬼が気を失ってから道を選んだ……こっちに賭けるしかないだろ」

 殺人鬼をいざ目の前にして、誰かと行動したいと弘は思ってしまった。美月たちが進んだ方向を、ピエロは知っている。

 そして誰もピエロを殺さなかったし、殺せなかった。

「でも、あんたの話を聞く限りナイフを持ったあいつはあの女の子たちの方へ行く可能性が高いってことよねえ……」

「まさか戻るなんて言いませんよね?」

 有無を言わさぬCAの目に、背の低いコックは精一杯威張ってみせた。

「そんなわけないでしょう! 私だって一応、ターゲットなんだから」

 CAから顔を背けたコックだったが、鏡に映った白い服を見ると、しかしその視線を徐々に下げた。

 CAはそんなコックを見てため息をつくと、再びゆっくりと歩き出した。すぐ近くまで迫る自分の姿を見ながら、武器があれば、と呟いた。もちろん弘やシェフには聞こえない程度の大きさで。



 一方、宗介と俊一が追いつくことができない美月・真由美ペアはと言うと、椅子があった場所までの間に別の道へと足を踏み入れていた。美月が真由美に追いついた後に見つけた、隠し扉を進んだからだ。

「ねえどうしよ、行き止まりだよ……」

 真由美がか細い声で美月に訴えた。どうやら真由美は美月のことを完全に信用しきっているようで、美月の左腕に抱きついている。

 体力の限界に到達した真由美に美月が追いついた時からずっとこの状態だ。信頼されているのは嬉しいが、いざとなったらすぐに動ける体勢ではないため、美月は少々複雑な気持ちだった。

「ごめんなさい、あの、もうちょっとだけ離れてもらえないですか。歩きづらくて……」

「何よ、ターゲットってだけで不安なんだから、少しくらいいいじゃん!」

 口をとがらせる真由美は可愛いのだが、美月が何を言ってもこのような感じで、その左腕が解放されることはなかった。確かにターゲットなら仕方ないかと、観念することにした。

 隠し扉の先は直線だった。二、三十メートルほどで行き止まってしまい、どうしたものかと後ろを振り返ってみると、小さくではあるが人影が確認できた。二人は反射的に身を寄せ合う。

 向こうが近づいて来ればこちらに逃げ道はない。

 ところがすぐに違和感に気づいた。人影は近づいてこない。彼女たちが見ているのは、鏡に映ったお互いの姿だったのだ。

 ふぅ、と息をつき、肩の力を緩める。真由美はこの道を選んだことを後悔していた。

 この道に入ることになったのは、美月がドアノブに気づいたことがきっかけだった。

 美月は真由美に追いつくと、宗介と俊一との合流を勧めたが、混乱していたのか彼女は留まることと戻ることを拒んだ。

 一刻も早くこの場を離れたいらしい真由美は、この時美月が偶然見つけたドアノブを勢いよく開け、これまた勢いよく中へ入っていった。

 仕方なく美月も中へと重い足を進めたが、ドンッと音を立てて閉まった扉にさっと血の気が引いた。そのドアの内側にはドアノブは付いていなかったのだ。

 もちろん押してもびくともしないし、周囲にスイッチのような物も見当たらない。先に進むしか道はなかった。

 直線に閉じ込められてしまったため、途中に何か仕掛けがないか、左右の鏡を分担して調べて半分ほど戻った時だった。

 二人揃って思わず足を止めた。カチッという音がどこからか聞こえたからだ。目を彷徨わせ、音がした方を探る。

 真由美にそっと声をかけると、美月は耳を澄ませた。

「……なんか、音がしたような」

 やけに近かったような気がすれば、少し遠くから響いたような気もする。どこからどう聞こえたのかの判別が難しかった。

 徐々に心臓の音もうるさくなり、美月と真由美はこれ以上ないくらい強い力でお互いの手を握っていた。

 自分たちが入って来た方のドアを向いていると、ふと後方からギギ……という嫌な音がした。

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