銀の世界

降矢めぐみ

【1】艶やかな声色

 銀色の世界は全てを映す。


 見渡す限り彼女はそこにいた。


 頬に残る一筋の涙の跡。


 存在する、彼女と自分の温度の差。


 その差を埋めよう。


 彼はそう思った。



「恐怖」「不安」「憎しみ」「怒り」「絶望」……様々な負の感情が渦巻く中。



『では、皆さんの命を懸けたゲームをスタートします』



 モニター越しの男の表情は窺えない。けれども確かに、不敵な笑みを浮かべているような気がした。

 静かな声の中にある、有無を言わさぬ力強さに、決して逆らうことは許されない。

 四方の扉がゆっくりと開け放たれ、扉の向こうへと歩き出した。

 この瞬間、殺人鬼を相手にしたサバイバルゲームの幕が開いた。



 友原美月ともはらみづきがゆっくりと起き上がると、そこは真っ白な部屋だった。部屋と表現するには大きすぎるが、屋内であることは確かだ。

 周囲にはチャイナドレスやら、警官の制服やら――とにかく多種多様な格好をした人たちがいる。まるでハロウィンの仮装パーティーみたいだ。

 年齢層も幅広く、中学生くらいの子や多少白髪交じりの人がいる。

 美月は混乱しつつも記憶を辿った。覚えている限りでは倒れたり、誰かに襲われたりした記憶はない。夕飯を食べてお風呂に入って、大学のレポートをやらなければと思いつつ、スマートフォンをいじってしまった。そんないつもどおりの一日だったはずだ。

『ミナサンコンバンワ』

 突然声が聞こえ、反射的に顔を上げた。ちょうど美月が背を向けていた壁のモニターが起動していたようで、振り返ると一人の男性のシルエットが映し出されていた。

 その声はなんとも……透き通って、綺麗な声だった。艶やかに微笑み、色っぽく口元を緩ませた端正な若い男をイメージさせる。モニターの人物は椅子に腰かけている。脚を組んだそのシルエットは、こちらを見下しているような印象を抱かせた。

 モニターの上にはカメラのようなものが取りつけられている。そこから見えている美月たちの困惑の表情を見て、嘲笑あざわらうように男は続けた。

『まずあなたがたにこの状況の説明をしたいので、まだ寝ている人を起こしてください』

 ほとんどの人が目を覚ましていて立っている状態だが、まだ何人か眠っている人がいることに美月は気がついた。

 足元を見ると――忍者の格好だろうか――若い男性が目を覚ましていないようなので、しゃがんで声をかけてみた。

「あの、えっと……大丈夫ですか? 目を覚ましてください……」

 そう言いながら軽く肩を揺すると、その男性はゆっくりと目を開けた。

「……君は?」

『全員が起きたみたいですね』

 美月が名乗ろうと口を開けたところで、モニターの声に遮られてしまい、自然とモニターに視線を向けた。

『ではこれから皆さんにやっていただくゲームの内容を説明します』

 少しだけひそひそと声が聞こえるだけで、大きな声を上げる者はいない。この時点では、謎解きゲームでも始まるのかと誰もが思っていた。

――が、その楽観的な思考は一瞬にして消え去る。

『まず肝に銘じていてほしいのは、これはあなたがたの命が懸かっている、ということです』

 美月は理解が追いつかなかった。なんとなく隣に立つ忍び姿の男性を見上げると、彼は険しい表情でモニターを睨みつけている。

「ふざけるな、俺は帰る!」

 白い軍服を着た一人の男性がモニターに背を向け、自分に近い扉へつかつかと歩いていった。

 この部屋の四方の壁には、それぞれ一つずつ扉が存在している。どの扉も真っ黒で、恐らく両開きの扉であろう幅がある。しかし、それにはドアノブなど手で掴めそうなものはない。

 男性に続き何人かが扉に駆け寄り、押したり横にスライドさせようとしたりして、扉を開けることを試みた。しかし、当然とでも言うかの如く扉はびくともしない。

 開かないと諦めてモニターの前に戻ってくる人がいる中、最後まで踏ん張っていた体格のいい男性も、無理だと思ったのか舌打ちをして扉から離れた。

『命が懸かっていると言っても、ここはバーチャルの世界。どれだけ傷を負っても、実際の体には影響しませんから、多少は無茶をしても大丈夫です』

 それなら何故、命が懸かっているのだろうか。男の言いたいことがイマイチ理解できない。けれどもそんな混乱など知ったこっちゃないと言うように、大した補足はせずに説明に戻った。

『では説明を始めますね。あなたがたにやっていただくこのゲームは……『殺人鬼とのサバイバルゲーム』です』

 男は続けた。

『扉の外に広がる迷路の中で、あなたがたの中に紛れている三人の鬼に殺されないように逃げてもらい、標的となる人たちを鬼から守り抜いてもらうというのが大まかな流れです。鬼は現実世界に存在する殺人鬼です』

 この中に人殺しがいる――その事実に、ゲーム参加者は明らかに動揺した。一般的にサバイバルゲームと言えば、BB弾用の銃を使って戦闘を疑似体験できるものだが、それを「殺人鬼」相手にやれ、ということらしい。

「殺人鬼……」

 美月が胸のあたりで服を握りしめると、忍姿の彼は大丈夫かと声をかけてくれた。

 実際に人の命を奪った人間が、自分の隣にいるかもしれないという恐怖。美月は鼓動の音が耳にはっきりと届くのを感じた。この感情は美月だけではなく、白い部屋には赤黒い戦慄が走った。

 モニターの男は、そんな空気に構わず説明を続ける。迷路の中には箱が置かれていて、その中に入っている武器を使って戦うこと。これを一度ではなく、十五回・・・繰り返すこと。

 バスケットボールのユニフォーム着た女の子が、男の言葉を反芻はんすうした。

「十五回も? これ一回じゃないの?」

『三十分間行い、十五回繰り返します。そしてゲームの前には必ず十分間の話し合いの時間を設けます。今回は初めてで皆さん戸惑っているでしょうから……三十分、にしましょうか』

 説明が始まってからは収まっていたざわつきが、再び戻ってきた。ほとんどの人が一度で済むと思っていたようで、あちこちから動揺が滲み出ている。

 その後も彼は同じ口調で淡々と説明を続けた。

 男の口からは、ゲーム終了までに参加者たちの中に紛れている殺人鬼から特定のターゲットを守りきることが、無事にこのゲームを終わらせる方法だと明かされた。他の方法として殺人鬼を全員殺すことができれば、その時点でゲームは終了し、参加者たちも解放されることができるようだ。

『あとはあなたがたの服装』

 美月はどうしてもこの服装が気になっていた。そもそもこんな服を彼女は持っていない。

『その服装はね、個人を判別する役割を果たすと同時に、ターゲットを決めるためのものでもあるんです。例えば……スポーツのユニフォームを着ている人が二人いますよね? ですから僕がスポーツのユニフォームを着た人がターゲットだと言えば、鬼たちはその二人を狙うわけです』

「ひっ……」

 バスケの服を着ている先ほどの女の子が、青ざめた顔をモニターに向けている。やがてガクッと脚の力が抜けてしゃがみ込んだ彼女を、近くにいた消防服を着た若い男性が労わった。

『ふふっ、安心してください、例えばの話です。本番でのターゲットは最後にお伝えします』

「どうしよう」「ターゲットにはなりたくない」……ざわつきとともにそんな声が聞こえる。

 参加者たちに男の表情は分からない。なのに、彼は微笑を浮かべているのだろうと容易に想像できる。それだけの不気味さが、モニターの向こうにはあるのだ。

『説明は以上です。何かご質問は?』

 丁寧な口調で説明する、ただそれだけで嫌気が差してくる。まるで何かのスピーチのようだ。しかし、内容はゲームに直接関係することに限られ、つたない説明と言える。

 美月が男の説明した内容を整理しているうちに、海賊の格好をした短髪の男性が律儀に手を挙げた。四十~五十歳くらいだが、格好のせいか妙に色気がある。

「ゲームとゲームの間隔はどのくらい空くのでしょうか。十五セット行うんですよね?」

『ええ、そのとおりです。ゲームは一日に一回行います。ゲームが行われていない間ですが、その時間は皆さんには……』

 彼は少し間を置いた。

『普段どおりに過ごしてもらいます』

「はあ? 意味分かんないわよ」

 言っている内容が理解できず混乱する中、ひと際大きな声がよく聞こえた。背が小さくぽっちゃりした、四十前後の女性。真っ白なコックの格好をしている。

 こちらの動揺を分かっていて楽しんでいるような嫌味ったらしい声が続く。

『意味も何も、言葉どおりです。ああそうだ、言い忘れていましたが、今は真夜中の十二時です。私はあなたがたの午前十二時から十二時四十分までの四十分間をお借りしています。それ以外……昼間などには私は何も関与しません』

 つまり十分の作戦タイムと三十分のゲームに必要な四十分間のみ、ゲーム参加者はここに拘束されるということになる。

「じゃあ俺からも」

 モニターの男よりも低い声。先ほど扉へと向かった白い軍服の男性だ。二十代後半くらいだろうか。そんな彼は、不安げな表情をしながらも、どこか気怠そうに軽く手を挙げた。

『どうぞ』

「さっきあんたはこれが俺たちの命を懸けたゲームだって言ったよな? クリアする方法は分かった。けど、ターゲットをゲーム終了まで守りきることができなかったら……俺たちはどうなる?」

『ああ……それね』

 待ってましたと言わんばかりに、「ふふっ」という含み笑いが聞こえた。

『先ほど説明したとおり三人の殺人鬼を殺すか、ターゲットを守りきればあなたがたの勝ちです。つまり無事にゲームを終えられる。もしくはゲームがすべて終了する前に鬼を殺してしまえば、その時点でゲームは終了します。反対に……』

 恐らく誰もが同じような言葉を予想している。美月の鼓動も速まっていた。それがまた、耳に響く。

『ターゲットを守りきれずにゲーム終了までに殺されてしまった場合、まあこれは説明する必要はないと思いますが……もしくはあなたがたが全員殺されてしまった場合は……』

 さらに鼓動が速まる。

『全員死にます』

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