【31】リタイア
美月と同様、翔もまた、自身の疲労を隠せないでいた。ここのところ、同僚や上司に心配されることが増えたのだ。
仕事への影響は避けたい。そう思いつつも、気がつけばゲームのことを考えてしまう。会議や打ち合わせの時はかろうじて差し支えないが、メールを打っている時、資料を作成している時……一人でデスクに向かっていると、どうしても頭をよぎってしまう。あまつさえ彼は、デスクの上にゲームに関するメモまで用意してしまっている。重症だ。
この日も打ち合わせに使用する資料の作成を行いながら、頭の一部はゲームのことを整理していた。
これまでの犠牲者は七名。うち一人は殺人鬼だと自白した。そしてターゲットもまた一名、殺されている。残りは十三名。龍之介の告白により、彼が殺人鬼であることが分かっている。
残りの殺人鬼が龍之介だけならいいのに――翔は手元のメモを見て、ため息をついた。そうすれば生死を問われることなく、モニターの男を突き止めることに注力できる。彼を説得さえできれば、全員が助かる道も見つかるかもしれない。
翔が怪しいと踏んでいるのは、宗介と芽衣だった。宗介は武器を所持していないにもかかわらず、どこか余裕があるように感じられる。しかし彼はモニターの男に、「殺人鬼でない者」として証明されている。ここまで緻密なゲームを仕組んでいることから、モニターの男は嘘を言っていないだろうという前提のもと、翔は彼を一応は信用していた。けれど、得体の知れないモヤモヤを拭い去ることはできていなかった。
一方の芽衣は、「殺人鬼でない者」と証明されていない。腕っぷしに自信があるらしく、真由美に武器を譲ったり、その使い方をレクチャーしたりと協力的な姿勢は見られる。それが真由美の信用を得るためだとしたら危険極まりなく、そんな実力の持ち主を絶対に敵に回したくない。また、本人は殺人鬼であるピエロを殺したと言っているが、事実かどうかは分からない。
昼頃になり、たまには、と同期に定食屋に誘われた。ここは昼時のスピードにしっかり対応してくれる。翔も何度か足を運んだことがあり、かなり定評のある店だ。
豚の生姜焼きを注文し、待つ間に素早く「変死体」についてのニュースがあるかどうか調べた。
「――ふう」
どうやら現時点では、新しい情報はないようだ。
「どうした、青葉? なんかここ最近疲れてない?」
向かいに座る同期が、心配そうに翔を覗き込む。大丈夫だと答えたものの、心配性の彼の表情は変わらない。
「そうだ、今夜あたり飲まないか? あいつらも誘ってさ」
あいつらとは、同期の中でも親しくしている二人のことだ。
「……ごめん。今、ちょっと忙しくてさ」
「え、そんなに案件立て込んでんの?」
彼は先ほどよりも眉にしわを寄せた。やっぱり疲れているんじゃないか、と本気で心配されかねないので、プライベートでと濁して、翔は無理やり仕事の話題に変えた。
「そう言えば、お前の部下の
「え、藤山? なんで?」
翔はうっかりそう言ってから、自身の部下である藤山が、ここ最近体調不良による欠勤が増えていることを思い出した。
藤山は入社当時、翔が指導した男だ。ハキハキした姿が印象的で、新入社員の中でも仕事の吸収が圧倒的に早かった。藤山が新入社員を指導する立場になってからもちょくちょく相談を受けていて、翔も参加している新しい企画のメンバーとしては一番若い。それでも先輩に必死に食らいつこうとする姿勢が評価され、大役を任されたばかりだった。
しかし彼は今年度に入ってから休みが増え、仕事でのミスも目立つようになった。翔自身も新しい企画では重要な役割を担っているため、彼を気にかける余裕がなくなっていた。加えてここ一週間くらいはゲームのこともあり、翔は自分のことで精いっぱいだった。
翔の苦い顔に、同期は苦笑いした。
「まあ、お前自身も色々大変みたいだから、無理にとは言わないけどさ。声かけてやれよ」
「……だな。今度飲みに誘ってみるよ」
美月はこの日を、母親と過ごしていた。本来なら講義がある木曜日だが、夏休みに入りそれがない。一人で家にいても憂鬱なので、仕事を休みにした母と一緒に、夕方からのバイトの時間まで買い物に出かけた。
母との買い物は久しぶりだった。若い子向けの店で彼女は、最近の若い子はこんなの着るのね、と終始ウキウキして、美月よりも楽しんでいた様子だった。
家に帰り、バイトに備えて早めの夕食をとる。リビングに置いたままの、今日買った洋服が入ったショッピングバッグを美月は見つめた。
何回着られるだろうか――そんな思いが、美月の頭に浮かんだ。レース素材の黒いタンクトップ。秋になっても重ね着をすれば活用できるが、それは無事にゲームを乗り越えられればの話だ。母親に勧められて選んだ、美月にとっては少し大人っぽいデザインのもの。
天気予報が終わり、気づけばニュースの時間になっていた。そうめんを口に入れながら耳を傾けている間、「変死体」というワードは聞こえてこなかった。
しかし、安心したのもつかの間、美月がバイトから帰ってきた夜だった。まだスーツ姿の父親が、テレビをつけながら新聞を読んでいる。普段なら入浴を済ませ、寝間着に着替えている時間だ。
「あれ、お父さん、今日遅かったの?」
リビングに入ってきた美月に気づくと、父親は疲れた顔で笑った。
「ああ、ちょっとした会食があってな。もう美月が返ってくる時間だったか……悪いけど、風呂もうちょっと待ってくれるか?」
「うんいいよ。どうせ夏休みに入ってるから」
父親は新聞を片づけると、夏休みが羨ましいと言って風呂場へ向かった。
父が付けっぱなしにしていったニュース番組をそのままにし、美月はリビングのソファでスマートフォンをいじり始めた。
『自殺を図ったとみられるのは、神奈川県川崎市に住む吉田茜さん十四歳。目撃した人の証言によると、通学途中に遮断機の下りた踏切に進入したものと思われ、所持していた学生証から、茜さんであることが――』
美月はスマートフォンをいじる手を止め、顔を上げた。まさかとは思ったが、テレビに映し出された「吉田茜」の顔写真は、紛れもなく美月と同じくゲームに参加していた茜だった。
ゲーム参加者の死。美月は反射的に、ゲーム内での死を思い浮かべたが、そうではなかった。茜は彼女自身の足で踏切に入ったところを、何人もの人に目撃されている。
フラフラと立ち入る彼女を制止する声があった。ある人は車両の緊急停止ボタンを押した。それでもすぐそこに迫っていた電車は、彼女の体に突進することを避けられなかった。
同じ中学に通う生徒が、女子を中心に映されている。茜は学内でのトラブルは特になく、代わりに、クラスメイトに家での悩みを相談していたらしい。このことから、家庭内での事情ゆえの自殺だと判断された。家族はインタビューには応じておらず、無言のインターホンがそれを物語っているとさえ思えた。
美月は茜の泣き崩れる姿を思い出した。バタバタと階段を駆け上がると、自分の部屋のベッドに突っ伏した。声を押し殺す代わりに、次から次へと涙が溢れてくる。
「ごめん。ごめんね、茜ちゃん……」
茜のことを何も分かっていなかった。それなのに自分は偉そうなことを言ったと、美月は後悔した。彼女は傷ついていた。美月が考えていたよりも、ずっと深く。
涙を拭いながら、美月は翔にメッセージを送った。茜の家を訪ねたい、と。
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