【26】GAME6―限界―
つかつかと、しかし用心深く周囲の鏡を気にしながら、鷹雄は歩いていた。その少し後ろを、茜が時折小走りで追いかける。例え彼女の足音が小さくなろうと、彼には関係ないことのように、歩くペースは変わらなかった。
彼らは、椅子のあった場所に来た道から、ちょうど左に折れる道を歩いてきている。
「……待って」
茜が小さく声に出した言葉は、鷹雄に届くことなくその場に落ちて消えた。そんなに歩く必要があるのかというくらい、彼はひたすら進む。しかし、そんなことを指摘する勇気は、彼女にはない。
「……おい」
鷹雄が足を止めて、茜を見ていた。彼の鋭い目つきに、距離を保ったまま、茜は近づくことができなかった。
「いつまでついて来る気だ?」
「え?」
茜には、鷹雄の言っていることが理解できなかった。なのに彼は、茜の行動がさも普通ではないように言う。
「『え?』じゃねえ、いつまでついて来るつもりだって言ってんだ。拓海とはぐれた。俺は拓海を探す。お前と二人で歩く義理はねえ」
「で、も、殺人鬼が――」
「お前と二人でいても、足手まといなだけだ。失せろ」
鷹雄はそう吐き捨てると、そのまま歩き出してしまった。残された茜は今度こそ、助けを求める合図を無視することができなかった。切りつけられた背中の痛みを思い出し、恐怖がどんどん増長していく。
「う……っく、も、やだ……誰か……誰かーっ!!」
茜はその場に崩れ落ち、すべてを吐き出すように声を上げて泣いた。
鏡の移動が終わり、美月は胸をなでおろした。
「ふう、危なかったですね。また鏡に分散させられちゃうところでした」
鏡が動く可能性を鑑み、あまり距離を取らずに進もうと提案した翔も、前のように龍之介と美月を二人きりにさせずに済んで一安心した。これで万が一彼が暴走しても、彼女を守ることができる。
龍之介は顔を上げて、鏡をぐるっと見まわした。
「最近、よく動くっすねー、鏡。もしかして、誰かがいじってたりするんすかね?」
「それって……あのモニターの男が?」
美月の考えに対し、翔は顎に手を当てながら否定した。
「いや、それはないかも。それだったら、スイッチなんて置いてないと思うんだ。でも、それにしてもよく動くとは思うけど」
一度歩いたことのある道でも、よほど目印になるようなもの――翔が座った椅子など――がない限り、鏡の仕掛けが作動するスイッチを見つけ出すのは難しい。しかし、最初のうちはほとんど動かなかった鏡がこうも動くようになると、さすがに誰かがこっそりとスイッチを作動させているのだろう、と翔は考えた。
「でも、そんなことをするのって――」
美月の不安げな目に、肯定してしまう罪悪感のようなものを感じながら、翔は頷いた。
「うん。殺人鬼だろうね。龍之介くんじゃない、もう一人の殺人鬼が動き出した」
翔は、先頭を歩く龍之介を、背後に留意しながら監視していた。翔が見た限り、今のところ彼は怪しいそぶりを見せていない。となると、もう一人の殺人鬼がまだ生きていて、そちらが何か仕掛けようとしていると考えるのが妥当だ。
殺人鬼がもう一人いるとほぼ確信し、一層気を引き締めて歩くことにした。
そうしてしばらく歩いていると、何やら小さく声が聞こえ始めた。
「あれ、っすかね?」
龍之介が指差した先には、赤地に白く浮き上がった、「6」の数字があった。その番号の持ち主は、バスケットボールのユニフォームを着ていた吉田茜だ。彼女は美月たちに気づかないどころか、しばらく様子を見ても動く気配がない。
嫌な予感がした美月は、咄嗟に駆け出した。もしかすると殺人鬼に襲われたのでは――そんな焦燥に駆り立てられた。
「茜ちゃん!」
ある程度近づいたところで、美月は茜の異変に気づき呼びかけた。茜はビクッと反応すると、勢いよく背後を振り返った。泣きはらした顔はとても痛々しかった。美月は足を止めず、茜に駆け寄ろうとした。
「来ないで!」
茜の声に、美月は思わず足を止めた。体を震わせながらゆっくりと立ち上がった茜の両手には、小太刀が握られている。それを今は、美月に向けていた。
「その刀――」
茜は先ほどまで、その刀を自分の首に当てていた。しかし、その刃先は震えていた。美月はまだ間に合うと思い、その可能性にかけた。
「なんでか分かんないけど、出てきたの。死にたい、武器があればって、強く思ったら。前に手に入れた武器なの。これで……これで、死ねるの。楽になれるの。邪魔しないで!」
「する!」
腹の底から湧き出た力強い声に、後から駆けつけた翔や龍之介、そして茜はもちろん、美月自身も驚いた。
変わっているのだ。このゲームをさせられる前とは。
幼少期に、よく理解しないまま参列した祖母の葬式。ニュースで報じられる事故や事件。生きる者にとっては当たり前に身近に存在する「死」だけれど、どこか自分とは遠いものだと美月は思っていた。まだ遠い。自分の近くにある生が失われるのは、まだずっと先だ、と――。
死というものは、人の命は、とてつもなく重たいものだということを、このゲームを通して実感した。目の前で失われる命があって、初めて、死は決して遠いものではないということも。
まるで自分の一部が削がれていくような、そんな思いだった。そんな思いを、もうしたくはない。
美月は茜の目を、瞳をしっかりと見た。けれどその視界は、茜同様に涙で歪んでいる。
「……するよ、邪魔。だって、死んでほしくないから。せっかく船尾さんが助けてくれた。それを無駄にしたくはないの。……辛いと思う。私じゃ、殺人鬼かもって思って、頼れないかもしれない。私じゃなくていいから、誰かに頼って。それで、生きてほしいの」
美月の言葉を聞く度に、次第に茜の顔はくしゃくしゃになっていった。息を切らしながら、苦しそうに息を吐いている。
「頼れる人なんて、いない! 誰も信用できない、家族だって、私じゃなくて妹ばかり可愛がる! その上、こんなゲーム……神様は私に、死ねって言ってるんだよ!!」
カランカランという音がして、茜の手から小太刀が落ちた。それを素早く翔が拾うと、両手で顔を覆う茜を、美月は抱き締めた。そして茜の顔を、自分に向けた。
「茜ちゃん、私たちを頼って。全部聞くから、吐き出して。それで、一緒に戦おう?」
茜は両手を、美月の巫女の服に伸ばすと、それに
「許せねーっ」
話をひととおり聞くと、龍之介は両手をわなわなと震わせた。今この場に鷹雄と拓海がいれば、その手で殴りかねないくらいだ。
「信じられないっす! 男として……つか人としてありえねっす!」
ついにその拳で鏡を叩くと、あまりに勢いがよかったのか、龍之介の顔が歪んだ。翔はその様子を無表情で一瞥し、すぐに視線を落とした。
「彼ら、敵対心が強いね。状況が状況だから仕方ないけど……自分たちだけが助かれば、他はどうなってもいいみたいな感じだし」
まあ人間の心理としては当然かもしれないけど、という言葉を、翔は飲み込んだ。
「それにしても、ゲームの設定上、こちらが守らなければいけない立場だし……。これ以上関係を悪化させたくないけど、どうしたものかな」
ゲームの話になって、美月は思い出したように、茜にこのゲームの心当たりについて慎重に尋ねてみた。落ち着きを取り戻したらしい茜は、目と鼻を赤くし、詰まった鼻でずず、と息を吸い込むと、うーんと唸った。
「誰も顔見知りの人はいません。家の外では普通に過ごしてるつもりだから、誰かとトラブルになったこともないですよ。SNSとか掲示板では、荒れてる状況に巻き込まれることはあるけど、誰かと言い合いになったことはないし」
茜の言葉に、翔はハッとした。
「そうか、インターネットだ!」
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