【40】誓いをもう一度

「吉田」という表札を掲げている家のうち、二件目がビンゴだった。インターホンのカメラ越しに覗く、全く記憶にない男女の姿を不審に思ったのだろう。少し間が空いてから声が聞こえた。

 前回訪れた美優の家の時と同様、翔はまず自分たちの状況を説明することから始めた。そして「話を聞きたい」と、あえて質問内容をぼかした。何故なら、茜の家で聞きたいことは、事件の話よりもむしろ茜と家族についてだったからだ。

 インターホンはまた沈黙した。

 美月と翔は、話を聞く段階に持っていけると思っていた。わけの分からない死を遂げた自分の子どもと同じ目に遭っていて、そんな死が迫っているともなれば、それは大変だとドアを開けてくれるだろうと。――たとえそれが、知らない家の子どもであろうと。

 けれど吉田家のドアは、開くことはなかった。茜の母親と思われる女性の声が、インターホンを通して拒絶したのだ。

「分かりました。でもすみません、一つだけ聞かせてください。『桐生みゆき』という女性の名前に聞き覚えは?」

 翔は女性を刺激しないよう、努めて感情的にならないようにした。

『……知らないわよ、そんな名前』

 これが最後の会話になろうとした。恐らく女性の手は、インターホンの通話を切ろうと、その手が伸びている。美月はその手に待ったをかけた。

「茜ちゃんに! 娘さんに、相談されませんでしたか!」

『――は?』

 突然大きな声を出した美月に、一番驚いたのは翔だった。彼女は時に、思い切った行動に出る節がある。

「前に茜ちゃん、言ってました」

――私、今回のゲームが終わったら、家族に相談してみます。辛い思いをしたって。

 その茜に何があったのか。

『相談? ああ……なんか言ってたかしらね、殺人ゲームがどうのとかって』

「それでなんて」

『だから言ってやったわよ、勉強できないだけじゃなくって、普通の思考もできなくなったのかしら、ってね』

 美月の言葉に先手を打つかのようにして、インターホンの声が畳みかけた。

 茜の母親らしきこの女性は、茜に相談されたにもかかわらず、まともに聞こうとしなかったらしい。それどころか冷たい言葉を彼女に浴びせた。

 美月は唇を真一文字に結んだ。茜の気持ちを想像したら、自然と口が開いていた。

「っ茜ちゃんは! ……苦しんでました。孤独とか、恐怖とか。そういうのをたくさん経験したんです。でも、一番安心できるはずの自分の家でも、寂しさを抱えていてっ。そういうのを話してみよう、って言ってたんです。彼女なりに、あなたたち家族と向き合おうとしたんです!」

 美月の目からは、涙が溢れていた。それを拭うこともせず、インターホンに訴えた。

 翔はそんな美月の様子を見ながら、インターホンを盗み見た。これはまだ繋がっている・・・・・・。切れた音はしない。つまりこの向こうにいる人間は、美月の話を聞いている……!

「茜ちゃんが話したっていうゲーム、あれで死んじゃうと、『変死体』っていうかたちで実際に死んじゃうんです。……信じられないかもしれないですけど。けど茜ちゃんのニュースを見た時、驚きました。だって『自殺』って言ったから」

 茜の死には、自発的な意味が込められている。

「茜ちゃんが家族に相談するって言ったあとです」

 ここでようやく、インターホンの声に反応があった。

『じゃあ何よ! あんたは、あの子の死は私たちのせいだって言いたいわけ?』

 唐突な怒鳴り声に、美月も翔も、反射的にビクッとなった。しかし、明らかに怒っているにもかかわらず、インターホンは切れない。

『知らないわよ、あの子が死んだ理由なんて。いっつも何考えてるんだか分かんない……あんな可愛げのない子』

「そんな言い方しないで!」

 美月の怒号が、沈みかけている夕日を揺らした。

「チャンスだったじゃないですか……。何を考えているのか分からない子どもの話を聞く、チャンスだったのに……。どうして聞いてあげなかったんですか。そんなの、分かるわけないじゃないですか」

 翔は、美月の向こうに伸びた影を見つめた。さっきまであんなに高い位置にあった太陽が、もうその姿を地平線に隠そうとしている。

「茜ちゃんがあそこまで追い込まれたのは、きっとゲームのせいです。でも、それだけじゃない、とも思います」

 美月は真っ直ぐにインターホンのカメラを見た。

「私は後悔しています。もっと茜ちゃんに寄り添ってあげてれば、って。一度彼女の自殺を止められたことで慢心してました。でも、それじゃ足りなかった」

 ぐい、と涙を拭った。

「私たちは、一人でも多く生き残るための道を探しています。今日はそのための情報が欲しかったのと、茜ちゃんが亡くなったことをご家族がどう受け止めているのかを知りたかったからです。……失礼しました」

 美月はインターホンに背を向けた。翔もそれに従い、歩き出した。そこでやっとインターホンにの通話が切れた音を耳にした。



 茜の母親は、インターホンの終了ボタンから手を下ろした。リビングには茜の妹がいて、インターホンの会話を全て聞いていた。

「――お母さ」

「ごめん。ちょっと部屋で休んでくるわ」

 彼女は娘に背を向けたまま、寝室に向かった。扉を閉めたことを確認すると、枕に突っ伏した。

「……なんなのよ」

 自分でも理由は分からない。それでもじわじわと目頭が熱くなった。それが枕を濡らすのに、そう時間はかからなかった。顔を押し当て、声を押し殺した。そうしているうちに、同じようなことが昔にもあったのを思い出した。確か夫が不倫をして、結局その不倫相手と一緒になりたいからと、彼は離婚を申し出てきた。

 茜も大きくなかったし、二人目はまだ幼稚園に入園したばかり。自分一人では厳しくなる状況は理解しつつも、怒りに任せて、彼を追い出すように離婚に合意してしまった。

 ほどなくして会社でミスをしてへこみ、この日と同じように隠れて泣いていた時のことだった。

――お母さん、いつもありがとう。

 部屋に入ってきた茜が、頭を撫でてくれた。何も聞かず、大丈夫かと問うこともなく、ただありがとうと言った娘を、彼女は抱きしめた。

 それからは一人前の母親になって、強く生きる、娘たちもしっかりと育てると決めた。……決めたはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろうか。

 後悔しても茜は戻ってこない。けれど、まだある命を、温もりを、今度こそ失わないようにしようと誓った。



 リビングに残された少女は、母親が出ていったドアを見つめながら、今の会話を反芻した。

 母親同様、「桐生みゆき」の名前に聞き覚えはなかった。けれど、「みづき」という名前は最近目にしたような気がする。どこだったか――と記憶を辿っていると、ある手紙を思い出した。

 少女は階段を駆け上がり、姉が使っていた部屋から、机の上に置いたままになっていた封筒を手に取ると、急いで玄関に向かった。

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