【12】死んでほしくない

 美月が目を開けると部屋はぼんやりと明るく、窓に雨粒が当たる音が聞こえた。昨日の予報では午後には晴れる予定だと言っていたので、出かける頃には止んでいるかもしれない。

 鏡一面の銀の世界に、ゲーム終了のブザー音が鳴り響いた。こうして三度も同じ夢を見ているのだから、これはただの夢ではない。モニターの男が用意した、意図して創られた世界だと言わざるを得なかった。

 夢のせいで朝からのアルバイトはかなり億劫おっくうだが、重い体に鞭を打って支度を始めた。

 ゲームが終わる直前、ブザーに掻き消されそうな声量で翔は確かにこう言った。

――明日の三時、所沢駅。

 美月の住む場所を彼は知らないはずなので、賭けだったのかもしれない。

 幸運なことにアルバイトはお昼に終わるし、美月が住んでいる国分寺市から所沢までは二十分もかからない。行こうと思えば可能だ。

 日曜日にしては客入りは少ない方だった。アルバイト先であるファミレスをシフトどおりに上がると、一つ年上の弥生やよいに声をかけられた。ショートヘアでも可愛らしい。

「友原ちゃん、私も上がりだから、お昼ついでにどこか寄らない?」

 彼女からの誘いを断るのは残念だったが、先約があるので、お昼ご飯だけならということで了承した。

「友達が最近始めたアルバイト先のカフェなんだけどね、割引券もらったから誰かと行きたかったの」

 弥生に案内されたのは、ベージュと黄緑色をベースにした外観で落ち着いた雰囲気のお店だった。普段はアルバイト先のまかないで済ませてしまうのだが、たまにはこういうのもいい。

 三つ編みを左側に作った女性スタッフに、奥のテーブル席に通される。弥生の友達で、割引券をくれた張本人だそうだ。「可憐」という言葉がよく似合う。

 美月と弥生はオススメされたミネストローネを注文した。このお店はパンがメインのお店らしく、選んだスープも含めおかわりは自由だ。

 十種類ほどあるパンのうち、いくつか選んで席に戻る。ふわふわのパンを咀嚼そしゃくしながら、美月の予定まで居座らせてもらうことにした。

「今日はお友達と約束してるの?」

「あ、えと……」

 弥生が何気なく振った話題は、当然の疑問であるが答えにくい。美月が言葉を詰まらせたので彼氏かと思ったのか、弥生からあれこれ質問が飛んできた。

 適当な嘘が咄嗟とっさに思いつかず、説明がややこしくなるが、相談の意味も込めてあのゲームの話をしてみることにした。彼女がどう受け止めるのか気になるところでもある。

 最初はただの夢だと思ったのか、ふんふんとテンポよく聞いていた弥生だったが、途中から心配そうな表情になった。

「じゃあ、今変死体だって騒がれてるやつが?」

「多分なんですけど……」

 多分どころではない。関係していることはほぼ間違いない。

 人に話したのは初めてだったが、弥生が真剣に聞いてくれたおかげで、少し楽になったような気がした。

 弥生はテーブルのどこかを見つめたまま、少しすると、鞄の中からスマートフォンを取り出した。

「今日のニュースは確認した?」

「あ、まだです!」

 彼女の言葉に急いで今日のニュースを確認する。すると、新たな変死体が発見されたことが記事になっていた。

 記事によると、不可解な点が多いために司法解剖に回されるらしいが、詳しい内容は載っていない。ただスマートフォンには前と同様、「ゲームオーバー」の文字が表示されていたようだ。

 犠牲者は木田達彦きだたつひこ。ネットの記事では顔写真が見当たらず、誰なのかは分からない。

 遺体の発見場所は、深夜も営業するファミレス。店で寝てしまった彼を起こそうとしても起きてもらえず、店員は警察に通報した。警察が到着した頃には、すでに彼は死んでいたらしい。

 達彦は犯罪者だった。過去に母と妹を殺し、少年院に入っていたことも記載されている。

 そして彼が所持していたスマートフォン。そこにはまた、黒い画面に赤い文字が表示されていた。



 『あなたはゲームオーバーです

count:5 木田達彦』



 うーん、とうなりながら、弥生は顔を上げた。

「これで五人目? さすがに偶然じゃなさそう――友原ちゃん?」

 弥生が遠慮がちに声をかけても応答はない。まるで美月の魂が抜けてしまったような感じだった。顔が真っ青だ。

 モニターの男の冗談ではなかった。本当にいた、殺人を犯した人間が。このように変死体として報道されるのは、次は美月かもしれない――外部の音が遮断され、鼓動の音が耳にはっきりと聞こえる。

「友原ちゃん!」

 肩を揺さぶられた。目の前には、テーブルに身を乗り出して心配そうにする弥生の姿があった。

「……大丈夫? 顔色悪い」

「あ、大丈夫です。ちょっと考え事を」

 美月は曖昧な笑みを浮かべた。対して弥生は険しい表情を向けた。

「友原ちゃん……私がどうにかできることじゃないってことは分かってるし、自分が当事者じゃないから言えるのかもしれない。でもね、私は友原ちゃんが死んだってニュースを、こんなふうに見るのは嫌だよ」

 時折唇を噛んで、顔を歪ませる。言いづらいことを言わせている、と美月は実感した。

「だからね、どうか死なないで。私にできることがあれば協力するから、小さなことでも相談して。一人で悩まないで」

 ふっと肩の力が抜けた――少し体が軽くなるのを感じた美月は、ぽかんと少し口を開けたまま涙を流していた。自覚するとどんどんあふれてくる。

 言いにくかったはずだ。弥生自身は命の危機に晒されていないのに、殺意を向けられる恐怖を知らないのに、「生き残れ」だなんて。それでも彼女は、想いを伝えれくれた。真っ直ぐに美月の瞳を見て。

 弥生にこの話をしてしまったことを、少し後悔した。彼女は無関係なはずなのに、美月とは違う、重たい何かを背負わせてしまった気がした。それでも母親や親しい友人には打ち明けられない。自分が見ている夢は単なる夢ではなく、死に繋がる可能性があるなんて、それがほぼ間違いないと分かってしまった今は特に。

 単なるアルバイト先の先輩後輩という間柄が、ちょうどよかったのだ。誰かに吐き出したかった。それでも弥生は本気で美月の身を案じ、力になろうとしてくれる。

 たったそれだけのことが、どんなに嬉しいことか。

「弥生さん、ありがとうございます」

 美月は涙をぬぐってランチを再開した。

 弥生と話していると時間はあっという間に過ぎ、翔との予定の時刻が迫っていた。何かあったらまた相談してね、と心配そうな弥生にお礼を言って別れると、美月は待ち合わせの場所へと向かった。

 予報どおり雨は止み、雲の隙間から差し込む陽の光に、美月は目を細めた。



 美月が所沢駅に着いたのは待ち合わせの時間の五分前。

 改札を出て翔の姿を探していると、彼はすぐ美月に気づいて歩いてきた。

「お待たせしました」

「大丈夫、俺もさっき来たところだから」

 とりあえずどこかに入ろうか、と翔が歩き出したので、その斜め後ろを美月はついて行った。

 夢の中での翔は忍者のような格好をしているので、私服は新鮮だった。黒いTシャツにジーンズと、シンプルな装いの彼はさらに大人びて見えた。Vネックではなくクルーネックなのが、いい。

 翔が選んだお店は女性に人気だと評判のカフェだった。「女の子を連れて行く店」について熟考していたことは、美月には内緒だ。

 人が多く蒸し蒸しとしたこの空間から一刻も早く抜け出そうと、二人は足早にカフェに向かった。



 カフェまでの道中、翔は一人、自責の念に駆られていた。何故彼女にあんなことを言ってしまったのか。

――明日の三時、所沢駅。

 そもそも彼女の住まいが北海道や沖縄であったら。元々予定が入っていたら。大体、自分の言葉を聞いただけで来てくれるだろうか。きちんと話をしておくべきだったが、あの時はほとんど無意識に彼女に声をかけてしまった。

 目が覚めてからこのことばかり考えてしまい、その度にため息をついては、両手で頭を抱えた。

「青葉さん、お店ってここですか?」

 美月の声が少し遠く感じると思ったら、翔は目的のカフェを通り過ぎようとしていた。できるだけ動揺を隠すように、落ち着いてUターンをした。

「あ、そうそうここだ」

 お昼の時間帯は外したにもかかわらず、店内はかなり混んでいた。美月たちはタイミングよく席に座れたが、その後に来た女性グループは、入口付近で待たされるようだ。

 注文した物が来るまでに、改めてお互いの自己紹介をした。翔は八王子市に住んでいて、自分はここまでそんなに遠くなかったから、と急に誘ったことを謝罪した。美月も住まいは国分寺で、アルバイトも午前中だったので問題はなかったことを伝えた。

 しかし年上の男性とこんなオシャレなカフェに来るなんて、美月にはハードルが高い。どこかぎこちない美月の様子に、やはり迷惑だったのかもしれないと勘違いをした翔は、言い訳をするように目的を告白した。

「実は、今日来てもらったのは、ここに行きたいと思ったからなんだ」

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