第15話 恐怖と後悔



 暗い山の中を一人で進むのは恐かったけれど、そうまでして取り戻したいくらいあのお守りは私にとって大切な物だった。それに実は、戻る理由はもう一つある。


 もしこの状況が妖怪によって引き起こされたものなら、事態を何とかするには直接その妖怪と会った方が良い。

 それは、私自身も危ない目にあうかもしれない。自ら進んで妖怪に会いに行くなんて、普段なら絶対にしない。それでも、今はいなくなった人達のことが心配だった。


 お守りと一緒に、蘇った一つの記憶がある。

 とある妖怪の記憶。それは、私にとって最悪と言っていいくらいの苦い記憶で、今でも思い出すたびに胸が締め付けられるように苦しくなる。

 そして今、もしここで何もしなければ、そんな苦しい思いをする事になりかねない。そう思うと、震える足でもなんとか前に進む事が出来た。


 決して恐怖がやわらぐ事は無い。途中、何か物音がするたびに体は震え、自分の後ろに何か潜んでいるのではと不安になる。それでも、そんな気持ちを打ち消すように、一歩、また一歩と祠への道を急いだ。


 再び祠が見えてくる。これだけ戻れば、私達の後から出発した子達と出会ってもおかしくは無い。だけど、道を引き返してから今までの間、ただの一人の姿も見ていなかった。

 やっぱりおかしい。改めてそう思いながら祠の前に立つ。だけど、さっきまでそこにいたはずの妖怪の姿は、今はもうそこには無かった。

 せっかくここまで戻ってきたというのに無駄足だ。残念な気持ちになるけど、同時に会わずにすんでホッとしたという思いもそれに混じる。


 みんなのことは心配だけど、ひとまずはお守りが落ちていないかと、祠の周りをライトで照らしながら探してみる。

 けれど、どこにもそれは見当たらない。念のため祠に前にあるびっくり箱の蓋を開けてみたけれど、なにも変わったことは無く、以前と同じようにバネのついた人形が飛び出して、辺りを無駄にやかましくしただけだった。

 ただし、箱の中に入っていたカードは、さっき見た時よりも数が少なくなっていた。ということは、少なくとも後続の何人かはここまで来たという事になる。

 ここから出口までのどこかでいなくなったのだろうか。だけどそれが分かっても、それ以上の手掛かりが無ければどうしようもない。

 仕方なく、出口までの道のりを、誰かいないかと見回しながら歩くことにする。


 そうしてどれくらい進んだだろうか。後ろから、微かに人の声が聞こえてきた。久しぶりに聞く自分以外の声だ。


「誰かいるの?」


 声のする方を見てみると、遠くに小さくライトの明かりが見えた。クラスの子達だ。

 あちこち探しながら歩いていたから、いつの間にか歩く速度が遅くなっていたたのだろう。その間に後続の組が追いついてきたみたい。

 ようやく見つけた他の人の姿。それに安堵しながら、話を聞こうと近くへ駆け寄っていく。ところがその時だった。


 それまで真っすぐに歩いていた二人が突如その向きを変え、そのまま脇にある茂みの中へと入って行った。


(えっ?)


 何があったのかと驚きながら、二人の入って行った茂みの方を見ると、そこには小さな脇道が伸びていた。道と言っても細く粗末なもので、もちろん決められたルートじゃない。わざわざこんな所を通る理由は無いし、間違って入ったにしては、それはあまりに不自然だった。


「ちょっと、どこ行くの!」


 その異常な行動を見て、呼び戻そうと声を上げてる。この距離なら十分に届くはずだ。

 けれど二人とも、立ち止まるどころか振り返ることも無く、どんどん脇道の奥の方へと進んで行く。まるで、私の声なんて聞こえていないみたいだ。


 何が起きているのかわからない。けれど、どんどんルートを外れ進んでいく二人を、このまま放っておくわけにはいかなかった。呼びかけてもダメなら直接止めるしかない。そう思い、私も脇道に入って追いかけようとする。

 だけどその時、私の前に立ち塞がるように一つの影が姿を現した。


「――っ!」


 はっと息を呑み体が強張ったのは、その影が突然現れたからだけじゃない。

 ライトで照らされ、影の正体がはっきりと見える。ぼろぼろの着物に顔には包帯。それは、祠にいたあの妖怪だった。


 妖怪は道を塞ぐように私の前に立つと、包帯の隙間からわずかにのぞく目で私を見た。


「邪魔をするな」


 低くつぶれた声でそう言った。

 その瞬間、戦慄で体が震える。今のセリフは間違いなく私に言ったものだった。それはつまり、私が妖怪を見えているとい事実に気付かれたという事だ。

 そうなった時大抵の妖怪は、驚いて逃げだすか、興味を持って寄ってくるかのどちらかだった。はたしてこの妖怪はどちらなのだろう。


 身構えながらじっと反応を待つと。妖怪もまた、そんな私を黙ったままじっと見ていた。どうやら多少なりとも私に興味は持ったみたいだけど、はたしてそれがプラスになるかは分からない。


 そんな中、さっきコイツが言った言葉の意味を考える。


 『邪魔をするな』。それが、クラスメイトを引き留めようとしていた事を指しているなら、やっぱり今回の事態はこの妖怪が引き起こしたと見ていいだろう。


「み、みんなをどこにやったの」


 意を決し、妖怪に問いただす。元々そうするのが目的でここまで来たんだ。だというのに、私の声は震えていた。


 怖い。今すぐここから逃げ出したい。なんとかしようとあれだけ意気込んで来たというのに、いざ妖怪を目の前にすると恐怖で身がすくんでしまう。

 まともに口を動かす事もできなかった。みんなをどうしたのか、もっとハッキリ問い質したいのに、声が擦れてうまく言葉にならない。

 それでも逃げるわけにはいかなかった。今にも崩れ落ちそうな体を支えながら、再び妖怪へと問いかける。


「答えて!」


 だけどいくら叫んでも、妖怪はそれをさほど気にした様子もなく、もう一度私をじろりと見まわした。そして一言。


「珍しいな。どうやら本当にワシが見えるようだ」


 妖怪が驚いたように言う。どうやらこの妖怪にとっては、私の言葉の内容よりも、見えている人間という事実の方が大事らしい。

 だけど相手にとっては珍しいかもしれないけど、私にとってそんな反応を見るのはしょっちゅうだ。そんな聞きあきた感想よりも、まずは答えがほしくてイライラする。

 けれど妖怪は私の質問には答えず、急にハッとしたようにその顔つきを変えた。

 

「こっちに来い!」


 いったい何がきっかけになったんだろう。突然そう言ったかと思うと、力ずくで肩を掴まれ体を引っ張られた。それだけで、私に恐怖を与えるのには十分だった。


「嫌っ!」


 とっさに振り解こうとするけど、妖怪の力は私よりずっと強く、どれだけ暴れても決して離してはくれない。


「離して!離して!」


 もちろん私だって、そう簡単に諦めるつもりは無い。手足を大きく振りながら、何とか逃れられないかと必死で抵抗を続ける。だけど、とても元々の力の差をひっくり返すには至らない。あっという間に、ズルズルと脇道の方へと連れて行かれる。


「静かにしろ」


 妖怪は、暴れる私を無理やり押さえつけ、さらには手で口を塞いで声が出せないようにした。もうこの時点で、既にに私の頭の中には恐怖しかない。


 怖いッ。怖いッ。怖いッ!


 やっぱり無謀だったのだろうか。一人でこんな所へ来たことを、今更のように後悔する。そうしている間にも妖怪は私の体をがっちりと押さえつけ、ついには身動き一つできなくなってしまった。

 他の皆もこんな目にあったのかな。そんな思いが頭をよぎり、体が震え、この後に起こる何かを想像しては、まるで現実から逃げるように目を閉じる。


「………………………」


 ところが、妖怪は、その体勢のままそれ以上は何もせずに、ただ押し黙っていた。身体の自由を奪い、口を塞いでおきながら、あとはそのままじっとしているだけだ。

 いったい何をしたいのか分からず、恐る恐る目を開け妖怪の顔を見る。包帯の隙間からわずかに見えたその目は、私が元来た道の方を見ていた。

 私も、押さえつけられたまま、目だけをそっちに向ける。するとその道の向こうから何か現れるのが見えた。


 そこにいたのもまた妖怪だった。けどそれはこの包帯の妖怪とは違う。祠の先にある道にいた、何体もの妖怪達だった。


「―――っ」


 驚いて悲鳴を上げそうになるけど、そのとたん再び妖怪の手が私の口に強く押し当てられ、声が出る事は無かった。


「黙ってろ」


 妖怪はそうボソリと言うと、私を掴んだまま小さく身を縮めた。なんだか、向こうにいる妖怪から隠れているみたいだ。

 あっちの妖怪の群れは、何やらガヤガヤと話をしながら歩いて行き、やがて道のさらに向こうにある藪の中へと消えていく。


 しばらくしてそれまで聞こえていた声も届かなくなり、辺りに再び静けさが戻った。

 ふっと、私の口を押さえていた手から力が抜ける。同時に体を掴んでいた手を離し、包帯の妖怪が立ち上がった。

 手足が自由になった私は、何が起きているのか分からずにその妖怪の姿を見上げる。

 その時、妖怪の腕から何かがぶら下がっているのが見えた。


「そのお守り!」


 それは、紛れもなく私の探していたお守り袋だった。声を上げた私を、妖怪は再び睨みつける。

 我ながら情けないけど、それだけで身が竦んで、続く声が出なくなる。


 返してほしい。でも怖くてそれを言う事が出来ない。だけどその時、その場に別の声が響いた。


「そのお守り、この子のなんだ。返してくれないか?」


 驚いて、声のした方を振り返る。聞き間違いじゃなければ、今の声には確かに覚えがあった。

 そうして向けられた私の視線の先には、思った通りの人物がいた。そしてその事が、なおさら私を困惑させる。

 どうして彼が?そう思わずにはいられなかった。


 朝霧晴。私は呆然としながら、妖怪に語り掛ける彼の姿を見つめた。

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