第54話 伝えたい想い

「……怖がって……ごめん……」


 必死に息をしながら、何とか声を出し続ける。


「怖いし……朝霧君のこと……全部わかるのなんて……無理かもしれない……けど……わかりたいって思ってるのも……本当だから」


「いいから、無理するな!」


 しゃべることで、呼吸をするのが一層苦しくなる。朝霧君はそんな私を見て、なんとか引き離そうとする。

 だけどこうでもしないと、思いを伝えることも、彼を引きとめることもできやしない。だから必死でしがみついた。絶対に、離したくなかったから。


 どれくらいの間この状態でいるだろう。実際にはほんのわずかの時間かもしれないけど、私にはとても長く感じる。体の震えは相変わらず止まらない。けれど少しだけ、ほんの少しだけ、その震えが小さくなる。


「ねえ朝霧君、辛いこととか苦しいこととか全部わからないと、繋ぎ止めることはできないの?」


 さっきまでよりハッキリした言葉で、思っていた言葉を紡ぐ。


「朝霧君が抱えてるもの、私じゃどんなにわかろうとしても足りないかもしれない。でも、ほんの少しも、痛みを埋めることはできないの?」


 朝霧君の抱えているものは、きっと私よりもずっと大きい。けれど、その芯にあるものはやっぱり似ている気がした。


「私も、自分の見える世界が誰にも理解されない事が、ずっと苦しかった」


 妖怪が見える。それは、人とは見えている世界が違うということだ。それを自覚する度に、自分が人とは違うんだと言われている気がして、一人ぼっちになったようにも思えた。


「でも、大事にしたいって、そばにいたいって思う人はいたよ」


 両親やお婆ちゃん、友達の顔が浮かんでくる。例え辛さや苦しさをわかってくれることも、打ち明けることさえできなくても、大切に思える人たちはたしかにいた。理解してもらえない寂しさは消えることは無くても、その温かさが、心に空いた穴を埋めてくれたような気がした。

 朝霧君も、もうその中の一人になっている。


「朝霧君が大事に思っているもの全部集めても、それでも行かない理由にはならない?」


 いつの間にか、私は涙を流していた。朝霧君のことを思って、そこに自分の姿を重ねて、一人になろうとしているのを止めたいと思った。

 例え自分が人とは違うと思っても、その寂しさを埋められるものがあるんだと伝えたかった。


「帰って来てよ……」


 行かないで欲しい。ただそれだけを思い、握る手に力を込めた。


「どうして……」


 弱々しい声で朝霧君が言った。


「どうして、そんなに震えながら踏み込んでくるんだよ。怖いなら、ほっといてくれればいいのに、逃げたっていいのに」


 どうしてって、そんなの一つしかない。


「友達だからよ!」


 自分の思いをちゃんと言葉にして告げる。今の朝霧君の姿を怖がっている私に、本当はそんなことを言う資格なんて無いのかもしれない。だけど友達だと、そうありたいと思った。それもまた私の本心だった。


「―――っ!」


 朝霧君は、力が抜けたようにがくりと頭を下げた。私は肩でそれを受け止める。顔は相変わらず伏せたまま、その表情はうかがう事は出来ない。


「……俺は、戻っても良いのかな?」


 吐息さえも聞こえる距離から朝霧君の声がする。


「いたいと思う所にいて、何が悪いのよ」


「……全部をわかってくれなくても良かった。怖がってくれても良かったんだ」


 その声は湿っていた。もしかしたら、泣いているのかもしれない。


「ただ、自分はここにいちゃいけないんじゃないかって、そう思うのが怖かった」


 それは朝霧君が初めて言った本音なのかもしれない。


「いてもいいわよ。いてほしいよ。そんなの、何度だって言うよ」


 私はそう言って朝霧君の顔を引き寄せ、頭をそっと撫でた。


 そして、もう一度言う。今度こそ、それに応えてくれると信じて。


「帰ろう。一緒に」


 少しの間沈黙が流れた。聞こえてくるのは虫の声と、風が木々を揺らす音だけ。


 そして…………


「……ああ」


 朝霧君の声が静かに響いた。

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