第53話 掴んだ手

「怖いよな……」


 妖怪の姿に変わった朝霧君が、切なそうな声で言った。

 まただ。あれだけ悔やんだというのに、また私は朝霧君の姿を恐れ、震えている。


 このままじゃいけない。そう思い、何とか震えを止めようとした私に、朝霧君が言う。


「無理しなくていい。本当は怖いのに、我慢して平気な顔なんてしなくていい」


 初めて妖怪が見えると打ち明けてくれた時と同じように、朝霧君は優しく囁いた。


「ごめん。できれば怖がらせたくなかった。でも、これが俺なんだ。人からは理解されないか、でなければ恐れられる。自分でも嫌になるけど、紛れもない俺の一部なんだ。そんなやつが、人の近くにいていいはずがない。わかってくれなんて言えない」


 今すぐ震えを止めて、その言葉を否定したかった。こんな姿なんて関係ないと言ってやりたかった。でもどれだけ必死になって震えを止めようとしても、体は言う事を聞いてくれない。


「もう、俺のことは忘れてくれ」


 そう言うと、私を覆うように広げていた翼を閉じ、両脇に置いた腕から力を抜く。全てを言い終えて、立ち去るつもりなんだと分かる。


 止めたかった。せっかくここまで追いかけてきたのに、これじゃあ何一つ変わらない。

 今の私が何を言っても意味は無く、震えも収まってはくれない。それでも、このまま何もしないでいるのは嫌だった。


「……っ」


 何も言えない代わりに、朝霧君に向かって手を伸ばす。遠く離れていくその姿を繋ぎ止めようと、その腕を掴む。


 だけどどうすればいい? 掴んだところで、すぐに振り解かれて終わるのは目に見えていた。


「もう、いいんだよ」


 予想していた通り、朝霧君は私の手を外しにかかる。この震える手で握っただけでは、彼の体を、そして心を、離さず繋ぎ止めておくなんて出来やしない。

 だったら―――


 朝霧君の体から手が離れた瞬間、捕まえるように、今度はその手を彼の背中へとまわした。


「なっ――――!」


 朝霧君が驚きながら声を漏らす。抱きつくような形になっているけど、それを気にしている余裕なんてない。なにしろ、妖怪の姿を見ただけでも震えだすんだ。当然こんなことをしたら震え方もその比じゃなく、痙攣したのかと思うくらいに激しく体が揺れた。


「五木!」


 そんな私の様子を見て、朝霧君が慌てて人の姿に戻ろうとする。けれど私はそれを止めた。


「そのままでいい……その姿の……ままで……いい……から……」


 呼吸が苦しくて、言葉が途切れ途切れになる。全身から汗が滝のように流れ、体の奥底から恐怖がとめどなく湧きあがってくる。


 それでも、抱きしめたこの手は離さない。どんなに怖くても苦しくても、絶対に離したくない。

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