第52話 抱えていたもの

 朝霧君の話はさらに続いた。


「妖怪の体と力を持ちながら人の中で生きようとするのだって、簡単じゃない。人には見えないモノが見えてしまう。その辛さは五木にだってわかるだろ」


 言い返せなかった。私もそのせいで、何度も孤独や寂しさを感じてきたから。


「俺のそばに寄ってきた妖怪が、人に怪我を負わせたこともあった」


 私の両親の命を奪った事故を思い出す。私がそうだったように、朝霧君もまた、誰かを巻き込んだことをずっと悔やんでいたんだと思い知る。


「他の誰かじゃなく、俺自身が直接人を傷つけたことだってある。昔、喧嘩をしたときに、ふとした拍子に妖怪の力を使って怪我をさせたんだ」


 恨縄と戦った時に見せた、自在に風をおこす力を言っているのだろう。妖怪の姿とともに、朝霧君が人間とは違う証しだ。それを使って人を傷つけたと言うのなら、その時いったいどんな気持だったんだろう。

 そう言えば、前に朝霧君が、周りの子に怪我をさせたと言う話を聞いたことがある。


「そんな事があるたびに思うんだ。やっぱり俺は、人間じゃないって」


 朝霧君の抱えてきた苦しみが次々に語られていく。人とは違うと言う孤独。それは私が抱えていた、妖怪が見えるという秘密とも少しだけ似ていて、だけどずっと大きいように思えた。


「なるべく人と関わらないようにして、迷惑をかけないようにって思ってた。だけど人の中で暮らす限り、繋がりは無くならない。どこかで縁を欲しがって、誰かに惹かれるのを止められなくなる。惹かれるたびに、自分が人で無いのが辛くなる。それならいっそいなくなって、全部の繋がりをなくした方がいい」


 人間が嫌になったわけじゃない。誰かに惹かれると語る姿は、それとは真逆だった。けれど、自分にそんな資格は無いと思い、いなくなればいいと言う。それは悲痛な叫びのようだった。


 抱えているものがあまりにも大きかった。私にはその痛みをわかってあげることも、想像することもできないのかもしれない。

 それでも…………


「朝霧君はそれでいいの? みんなの前からいなくなって、誰からも見えなくなって、それで平気なの?」


 それでも、引きとめたかった。それは、彼の痛みのわからない私の、自分勝手な言葉かもしれない。けれど、例えそれが朝霧君の決めたことでも、そんな悲しい決断を認めたくはなかった。


「平気だよ。いなくなること、俺はずっと前からそうなることを望んでいたんだ」


 朝霧君は突き放すように言う。けれど私には、とてもそれが本心とは思えなかった。いなくなりたい。そう思っているのも事実の一つには違いないだろう。けど、きっと全てじゃ無い。

 だって──


「だったら、どうしてそんなに悲しい顔してるのよ!」


 朝霧君は気づいていなかった。最初は平静を装おうとしていたその顔が、語っていく間にだんだんと悲しみの色に染まっていったことに。いなくなりたいと言った時、どれほど辛そうだったかに。


「そんな顔して平気だなんて言っても、誰も信じないわよ。誰かに惹かれるってことは、大事に思ってるってことでしょ。大事なものを手放して、平気なわけがないじゃない」

「……っ」


 朝霧君が動揺するのが目に見えてわかった。

 だけど引きとめるにはまだ足りない。だからもっと踏み込む。もっと言葉を重ねる。


「鶴羽さん、朝霧君と話してる時、とても楽しそうだった。一緒にいて、嬉しいと思ってた」


 私の中に残っている鶴羽さんの記憶は、温かさに溢れていた。


「お母さんだって、朝霧君のこと大事に思ってる。たとえ苦しくても、そばにいてほしいって言ってたわ」


 私よりもずっと彼の身を案じていた人は、今ここにいない。だから私が変わって、その思いを伝えなきゃいけない。


「鶴羽さんを傷つけたこと後悔してるなら、帰って何とかするくらいしなさいよ。お母さん、一人にさせないでよ。私だって、朝霧君が抱てるもの、わかりたいって思ってる」


 息がかかるような距離まで近づいて叫ぶ。この言葉が、思いが、少しでも届いてほしかった。閉じられている心のドアを破りたかった。


 けれど、朝霧君は顔を歪めて言った。


「無理だよ!」


 もう、さっきまでのように平静を取り繕うとはしていない。そんな余裕もないのかもしれない。ただ悲痛な表情を浮かべながら私の肩を掴んだ。

 そしてそばにあった大きな木の幹に私の体を押し当てると、退路を塞ぐように顔の両側に手を押し当てた。


「―――っ」


 突然の事に声をあげる間もなく、体の自由が封じられる。そしてそんな私の目の前で、朝霧君の姿が徐々に妖怪のものへと変化していった。

 髪の色は白く変わり、顔のそばに押し当てられた両腕には羽毛が生え、背中から出てきた白い翼が、私を覆うように広がっていった。


 放課後、朝霧君がいなくなった時と同じ状況だった。この姿に私は怯え、引きとめることができなかった。そして、それは今も変わらない。あの時と同じように、私の体は震えだしていた。


「この姿を見て、まだ同じことが言える?」


 朝霧君の漏らした小さな声が、胸へと突き刺さった。

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