第25話 微妙な空気

 眠い。


 頭に靄がかかったような感覚のまま、私は学校に向かっている。原因は昨夜の蛇だ。

 結局あの蛇はその後現れることも無く、無事に朝を迎えることができた。だけど布団に入った後も、あの燃えるような眼が頭から離れず、ほとんど眠ることができなかった。


 昨夜の事を思い出していると、同時に朝霧君の顔が浮かんでくる。昨日朝霧君からのメールを見て、同じ悩みを持つ彼を思い出すことで、蛇の視線にさらされながらも落ち着きを取り戻すことができた。


 蛇のこと、朝霧君に話してみようか? そんな思いが頭をよぎる。

 何か実害が出たわけじゃないけど、何も無かったからこそ、変に心配をかけることなく話せるかもしれない。


 すると、学校に着き校門を潜ったところで、まさにその朝霧君の姿を見つけた。校門の脇にある自転車小屋の更に隅っこで、こちらに背を向けてて立っている。


(何してるんだろう?)


 蛇の事、話すかどうかはまだ決めていないけど、せっかくだから挨拶くらいはしておこう。だけどそう思って近づいたところで、朝霧君が誰かと話していることに気付く。女の子だ。

 自分たちと同じ一年生のようだけど、同じクラスの子じゃない。少し癖のある髪と、スラリとした足が目を引く、なかなかに可愛い子だ。

 だけど今、彼女の顔はクシャリと歪んでいて、見るからに悲しそうな表情をしていた。

 それを見て、頭の中に一人の人物が思い浮かんだ。


 女の子は少しの間朝霧君と話をしていたけど、やがて逃げるようにその場を走り去って行く。その瞬間、その子が一瞬だけこっちに顔を向けた。思わずドキッとしたけど、それがはたして私を見たのかはわからなかった。

 

 再び朝霧君へと視線を戻すと、彼は暗い表情を浮かべながら、ガックリと肩を落としていた。どう見ても、良い状況ではなさそうだ。


 どうしよう。声をかけてもいいのかな? そんな風に迷っていたけど、そうしている間に朝霧君がこっちを振り返り、目が合った。


「五木……」

「お……おはよう」


 とりあえず挨拶をするけど、どうにも空気が重い。それから何を言うでもなく、二人とも自然と校舎に向かって歩き始めたけど、お互い何も言う事は無くて、何となく気まずかった。

 そんな沈黙に耐えきれなくて、思いきってさっきのことを聞いてみる。


「ねえ、さっきの子だけど……」


 だけど、その言葉は途中で途切れた。急に、朝霧君が尚更顔を強張らせたのが分かったから。

 やっぱり聞かない方が良かったかな。今更ながらそう思ったけど、朝霧君は途中でやめたその質問をきちんと理解していたようだ。


「俺がふったの……あの子なんだ」


 短くそれだけを言って、またさっきと同じように黙る。


 やっぱり、思った通りだった。名前は後から聞いたけど、確か隣のクラスの鶴羽明菜つるばあきなさんだったはずだ。

 朝霧君は、無言のまま力無く沈んでいる。やっぱり聞くべきじゃなかったかもしれない。

 これ以上、この事には触れない方が良いだろう。私はほんの少し事情を知っているだけの部外者だ。面白半分に首を突っ込むべきじゃない。

 


 だけど、どうしても気にせずにはいられない事もあった。


 どうして嘘をついてまであの子のことを振ったんだろう。前に話しているのを偶然聞いた時、朝霧君は断ることができれば理由はなんでもよかったと言っていた。

 それに関しては今でもどうかと思っている。朝霧君にとって彼女の告白は真剣に向き合うようなことでも無かったのか。そう思うと腹も立ってくる。

 でも、それから朝霧君の事を少しずつ知っていくうちに、そんな行動はらしくないように思えてきた。


 もちろん私だって、朝霧君の事を全部知ってるわけじゃない。前より距離が少しだけ近くなったことによる贔屓目が出てきたのかもしれない。それでも、少なくとも人の真剣な気持ちに対して、そんな不誠実な応え方をするようには見えなかった。


 それに……


 そっと、朝霧君の横顔と、そこに浮かんだ表情を見る。

 もし彼女が朝霧君にとってその程度のものだというなら、どうして彼は今こんなにも悲しい顔をしているのだろう。

 聞いちゃいけない。そう思いながらも、それは私の心の中に引っかかったままだった。


 結局、微妙な空気は晴れることなく、一言も交わさないまま、教室に入ったところで朝霧君とは別れた。

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