第24話 嫌な気配


 夕食を終えた私は、お婆ちゃんと二人で食器を洗っていた。朝だと私は学校があるから、食後の後片付けや洗いものは、パートの出勤が遅いお婆ちゃんにやってもらっている。けれど夜はこうして、二人で片づけをすることが多かった。

 最後の一枚をすすぎ終えると、布巾で拭いて水気をとる。


「そう言えば麻里ちゃん。もうすぐテストなんじゃないの?」

「うん、来週から」


 うちの学校ではテストの一週間前から、つまり今日から、テスト準備期間という事で部活動は全て休みになっている。私は部活には入って無いけど、他の人がいつもより早く帰ったり、普段は学校に置きっぱなしの教科書を持って帰ったりしているのを見ると、嫌でもテスト勉強を意識させられる。

 美紀も、普段教科書の類は机や部室のロッカーに大量にため込んでいるから、持って帰るのが大変だと言っていた。


 部屋に戻ると、普段は漫画や図書室から借りてきた本を読んでいる机の上に教科書を開く。私の成績は悪くは無いけど、波は激しい方だ。それに、高校に入ってから始まった、商業高校ならではの科目は、まだ経験が浅くて自分でどれくらい理解できているかよく分かっていない。


 教科書を読み返していると、傍らに置いたスマホが目に入る。

 家に帰った後、ちゃんと届くかどうかの実験として朝霧君にメールを送ったけれど、返信はまだ来ていない。

 返信には時間がかかるかもしれないと言っていたけど、そもそも読んでくれているのだろうか。


 少しだけ残念に思いながらも、再び教科書に目を移す。


 教科書を一通り読み返した後、問題集を広げ解いていく。だけどどうにも進みが悪い。なんだか気が散って、ちっとも集中できないでいる。


 メールが返ってこないのが気になっているんだろうか?


 違う。送ったメールの返事が遅いなんてしょっちゅうあるけど、そこまで気にしたことは無い。読んでくれたかは確かに気になるけど、だからと言ってこんなにも落ち着かなくなるだなんておかしい。


 それなら、何が私の集中力を奪っているのか? いや、それだけじゃない。さっきから、どうにも心を騒がせている奇妙な感覚があった。


 私が感じていたのは不安だった。それはまるで近くに誰かがいるような、ずっと見られているような感覚だった。

 ハッとして、シャープペンを握っていた手の動きが止まる。


(そうだ、これは妖怪の気配だ)


 第六感とでもいうのだろうか? これまでにも、妖怪の姿は見えなくても、近くにいると何となく感じることがあった。

 今の感覚は、まさにその時のものと同じだった。


 (探したほうがいい? それとも……)


 もし探して、私が見えることに気づかれでもしたら危険が増すだろう。けれど近くにいるのは確かなのに、それがどこだか分からないというのも心配になる。結局私は、そっと部屋を見渡す事にした。決して妖怪を探しているのだと悟られないよう、背伸びをしながら、教科書を見るふりをしながら、さり気なくいろいろな方向へと視線を向ける。


 そして、見つけた。


 そいつがいたのは、部屋の中じゃなかった。窓の外へと顔を向けた時、視線の先にそれはいた。夜の暗闇の中、じっと私のことを見つめていた。


 それは、真っ黒な体をした蛇だった。あまりに黒いものだから、周りの暗闇と同化して見えなくなってしまいそうだ。

 体長は数十センチくらいで、妖怪の中でも小さな方。その黒い体の中で、たった一つだけ他とは違う部分があった。目だ。


 全身真っ黒な体の中、目だけがまるで炎のように赤かった。そしてその燃えるような赤い目で、そいつはまるで射抜くかのようにこの家の中を見つめていた。

 その視線に恐怖を感じながらも、それを顔に出さないようにして再び机に向かう。


 気づいたことを悟られていないように願う。

 幸い、今まで家の中まで妖怪が入ってくることは少なかった。例外はあったけど、妖怪にも人の空間というか縄張りのような場所にはうかつに立ち寄ろうとしないのか、明確な目的や執念が無い限りはそうそう入ってはこない。

 だからきっと、今回も大丈夫。そう自分に言い聞かせる。たまにあった例外には、今は目をつむろう。

 念のため、決して窓の外を見ないように。蛇を無視するように、私は机に向かった。


 それからどのくらいたっただろう。机の上に置いたスマホが鳴りだして、メールの着信を告げた。ディスプレイには朝霧晴と表示されていた。

 

『返信遅れてごめん。メールありがとう』


 手に取り内容を確認すると、ただそれだけの短い文章が現れた。絵文字も顔文字も一切使ってなくて素っ気ない。だけど朝霧君らしいと思った。もしかしたら、慣れずに四苦八苦しながら必死に打ち込んだものかもしれない。


 メールを見たことで、少しだけ落ち着くことができた気がした。

 大きく息を吸って呼吸を整えると、再び怪しまれないようにちらりと窓の外を見る。


 そこにはもう、さっきまで覗いていた蛇の姿はどこにも無かった。

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