第26話 蛇の襲撃
3時間目の授業が終わり、休み時間になる。と言っても次の授業は体育なので、着替えでほとんど潰れる事になるだろう。
女子が多いこの学校では体育の授業の際、女子は各教室で着替え、数の少ない男子は、どの学年度のクラスも、たった一つの更衣室で着替えることになっている。
そのための体育の前の授業が終わると、男子はただちに教室から退散し、終了後は女子の着替えが完了するまで、教室の周りでたむろしているというのが見慣れた光景となっていた。
「麻里、なんだか顔色悪いけど大丈夫? もしかして具合悪い?」
すでに体操着へと着替え終えた美紀が、心配そうに尋ねてくる。
実は今朝から続いている眠気はまだおさまってなくて、相変わらず頭が重い。おまけに、前の授業が国語だったのがさらに眠気を後押ししている。
国語は嫌いでも苦手でもないけど、担当の先生の話し方がゆったりとしていて眠気を誘ってくるんだ。
普段なら何とか耐えられるけど、今日は元々の調子が悪かったせいで、授業中は何度かガクッと頭を落としては起き上がるといったことを繰り返していた。もちろん、授業の内容なんてちっとも耳に入ってこなくて、ノートもろくに取れなかった。我ながらテスト前だというのに不安になる。ノートが取れなかった分は後で美紀にでも借りて何とかするしかない。
それでも、身体を動かしていれば少しは目も覚めるだろうと思って、体育の授業には出ることにしていた。
「平気。大丈夫だよ」
「そう? 私、先にグラウンド行くけど、きつかったらすぐに保健室行きなよ」
そう言って美紀は教室から出ていき、私も着替えの続きを始める。
だけどやっぱり動作が遅かったんだろう。私が着替え終えたころには、教室にはだれも残っていなかった。
もうすぐ授業が始まるし、急がなきや。グラウンドまで走ろうとしたけど、そこでまた眠気が襲ってくる。
気分が悪い。もし授業中これより酷くなったら、美紀の言うとおり保健室に行って寝ておいた方がよさそうだ。
グラウンドに向かう途中、体育館のそばを通る。その時、私の目の前を黒い影が横切った。
立ち止まり、影の向かって行った草むらの方を向く。
すると、私の目に一匹の妖怪の姿が飛び込んできた。それは昨夜窓越しに見ていた黒い蛇とそっくりな姿をしていて、とぐろを巻きながらこちらを見ていた。
けれど、昨夜見たのと今目の前にいる奴では、同じ黒い蛇でも決定的な違いがあった。それは、体の大きさだ。
昨夜見た蛇は、せいぜい数十センチ程度という小さなもの。けれど今目の前にいるそれは、なんと一メートルを超えていた。
その蛇は、昨夜私が見たやつと同じように、その燃えるような赤い目でじっと見つめている。
「――――っ」
出かかった悲鳴を飲み込み、眼を合わせないようにと慌てて視線をそらす。見えている事に気付かれなければ、たいていの場合向こうもこっちを無視するはずだ。
だけどそんな中、頭にはある疑問が浮かんでいた。
この蛇は、昨日見たのとは大きさこそ違うけれど、特徴はよく似ている。妖怪の中には姿や大きさを変える者もいるから、もしかしたらこれもそうなのかもしれない。そうだとしたら、もしや家の外にいたあの蛇が、わざわざ学校まで追ってきたのか?
これまでの経験からすると、妖怪は基本、野生動物のような縄張りを持っていて、それを超えてまで追ってくるやつはあまりいなかった。たまに例外もあったけど、そういう時は決まって、自分が相手の妖怪から強い執着や関心をもたれた時だった。
それならあの蛇も、何か私に強い関心があって、ここまで追ってきたのだろうか。それともそんなのは杞憂で、たまたま良く似た別の妖怪なのか。けれど相手は、それ以上考える時間を与えてはくれなかった。
黒い蛇はその細長い体を縮めたかと思うと、まるで全身をバネのようにしならせ、私めがけてその身を宙へと躍らせた。
「きゃっ!」
声をあげながら、それでも間一髪なんとか避けることができた。すると今度はニョロニョロと地面を這いずりながら、予想もつかないような俊敏さでこっちへ迫ってくる。
明らかに私を狙って攻撃している。見えていることがバレて興味を持たれたのか。それとも、やっぱり元々私を追ってきたのか。
どっちにしろ、このままじっとしているわけにはいかない。
逃げないと。そう思い、蛇に背を向け一目散に走り出す。
だけど後ろからは、シュルシュルと地を這う音が耳に届いて、すぐ傍を追ってきているというのがわかる。
どこへ逃げる? 誰かを巻き込むといけないから、人のいるところには行かない方がいい。だから、グラウンドはダメだ。そう思った私は、とっさに体育館横にある剣道場の裏手へと回る。めったに人が来る場所じゃないし、剣道場自体、今の時期は放課後に剣道部が使うくらいだから、人目につく心配はない。
だけどそれは、もし私に何かあったとしても、誰も気づかないということでもある。
後ろを振り返ると、蛇はすぐそばまで迫っていた。充分に距離を詰めたと思ったのか、さっきと同じように跳躍すると、私に向かって飛んでくる。
なんとか避けようとしたけど、遅かった。飛んできた蛇が、私の腕に触れる。
「っ!」
蛇はそのまま、私の腕に体を器用に絡めながら巻きついてきた。その見た目と気持ちの悪い感触から、声にならない悲鳴がこぼれる。
そこまで大きくない体の割に、意外なほど締め付ける力は強く、巻きついたまま離れない。何とか引きはがそうとするけど、うまく手に力が入らない。
それは、単に締め付けられているからだけじゃない。蛇がまきついてきた途端、全身を急に疲労感が襲っていた。それはまるで、この蛇に力を吸い取られているようだった。
言いようのない気持ち悪さと、逃げることのできない現実から、恐怖に震えた。そんな私をあざ笑うかのように、さらに蛇は、その頭を私の顔へと近づけてくる。
だけど、蛇が大きく口を開いて、その中にある二本の牙を見せたその時、私も持てる全ての力を使って動いた。
「こ……の…………」
大きく腕を振って、蛇の体を剣道場の壁へと叩きつけた。勢いをつけた分威力も大きかったのか、締め付ける力が急に弱くなる。それと同時にそれまであった疲労感もすっとぬけ、全身が楽になる。そのチャンスを逃しはしない。
今のうちになんとか蛇を引き離そうと、その体を掴み思いっきり引っ張った。素手で蛇にさわるだなんて、普通なら絶対にやりたくない事だけど、必死になっていてそんなことを考える余裕も無かった。
蛇も離れないよう抵抗したけど、何とかそれを腕から外し、そのまま地面へと放り投げる。
叩きつけられた蛇は地面をのたうちまわった後、頭を起こして一瞬私を睨んだけど、思いのほかダメージを受けたのか、すぐに近くの草むらへと姿を消していった。
「ハァ…ハァ……」
ひとまず危険は去ったみたいだけど、激しく動いたせいで息は荒れ、苦しい。何より、今になって湧いてきた恐怖心で力が抜け、足が崩れる。
思わずその場に座り込むと、呼吸が落ち着くのを待った。
今のは何だったんだろう。いつものように、偶然出会っただけの妖怪かもしれない。けれど、昨夜家で見た蛇と、大きさは違うものの特徴はよく似ていた。
(私を追ってきたの?)
思わず身が震える。
だけどいくら考えても答えなんて出てこない。代わりにどっと疲れが押し寄せてきた。
これではとても、体育なんてできそうにない。
壁に手を当て、重くなった体を支えながら何とか立ち上がると、私はそのまま体を引きずりながら保健室へと向かった。
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