妖しいクラスメイト

無月兄

プロローグ

第1話 私だけに見えるモノ

 殆どの学生にとって、起きてから登校に至るまでの時間というのは慌ただしいものだろう。それは私、五木麻里いつきまりも例外じゃ無い。たとえ住む場所が変わっても、高校へ進学しても、朝は慌ただしいという認識が変わることはなかった。

 今日もいつもと同じく部屋中に鳴り響いた目覚ましを止めると、今だ残る睡魔を振り払うようにかぶっていた布団をはぐ。


 私は別に朝が弱いという事は無く、時間にだらしないとも思わないけど、それでも朝の布団というものには何か特殊な魔法でもかかっているのか、私を離すまいとする引力のようなものが働いている気がする。

 何とかその引力を振り切った私は、近くに置いてある机に手をかけ立ち上がる。すると、ぼやけていた視界がはっきりしてきた。


 時計を見ると朝の6時前。高校生の平均的な起床時間からすると少々早めだけど、これから朝食と、学校に持っていく弁当の用意をするのが私の日課だ。部屋の戸を開け、台所へと向かうと、そこにはすでにお婆ちゃんがいた。


 両親を亡くし、この家でお婆ちゃんと一緒に暮らすようになってからもう二年が経つ。

 お婆ちゃんと言っても年配の方が元気な昨今の傾向に違わず若々しく、私以外の人がお婆ちゃんと呼ぶと腹を立てるような人だ。


「おはよう、お婆ちゃん」

「ああ、おはよう。何だか眠そうだけど、大丈夫かい?」

「平気。お弁当、用意するね」


 お婆ちゃんに挨拶をすると、流し台の前に立つ。

 朝食の用意は私がここに住み始めた頃からやっている。お婆ちゃんは自分一人で大丈夫と言うけれど、暮らし始めたころは何か手伝えることはないかと探していた。少しでもやる事を見つけ、寂しさをごまかしていたんだと思う。高校に入学してからはそれに弁当作りが加わった。


 作ると言っても冷凍食品や昨夜の残り物を入れることも多い。それから今作っている玉子焼きなんかをつめたりもするけれど、朝は実際に調理をするのは全体の半分くらいだろう。料理は苦手ではないけれど、朝起きてから全てを作ろうとすると時間も手間も随分とかかってしまう。

 今流行りのキャラ弁なんて、どれだけ大変だろう。毎日作っているという人は本当に尊敬する。そんな事を考えながらおかずを詰めていき、最後に空いた隙間に適当にフルーツを飾り、彩りを添える。これで本日の弁当は完成だ。もし足りなかったり、途中でお腹が空いたりしたら購買を利用するつもりだ。


「こっちももうすぐできあがるよ」

 隣を見ると、お婆ちゃんが焼きあがったトーストをお皿に置き、その上に目玉焼きを乗せていた。

 出来上がった朝食を茶の間へと運び、そのまま二人して腰を下ろす。

 五木家の朝はパンが多い。最初はお婆ちゃんが私に気を使っているのかと思っていたけれど、聞いてみると、わざわざ朝からご飯をよそうのが面倒なのだそうだ。


 朝食をすませると自分の部屋へと戻り学校へ行く準備にとりかかる。

 制服は少し前から夏服へと変わっている。シャツにそでを通し、スカートをはくと、鏡を見ながら髪を整え始める。


 肩まで届く黒髪をそろえ、前髪に櫛を入れ始めたけど、両目へとかかり始めたそれを整えるのは思ったよりも苦戦し、時間がかかる。

 少し長めにしている前髪だけど、ここまで伸びると少しうっとうしい。鏡を見ながら髪先を分け、眼鏡の奥にある、わずかにつりぎみな両目がようやくあらわれる。近いうちに切ろうと思いながら、私は鞄を手に取った。


「今日、雨降らないかな?」


 再び茶の間へと顔を出し、テレビでニュースを見ているおばあちゃんに尋ねる。しばらく雨が続いていたので、傘を持っていくべきか迷っている。

 天気予報はもう終わった後だったけど、内容はお婆ちゃんが見てくれていた。


「今日は晴れるみたいだよ」


 お婆ちゃんはお茶を飲みながらそう言った。





 玄関を開け外に出ると、家の前の舗装道を歩き出す。道幅は狭く車一台がと何とかすれ違えるくらいで、少し歩くと両側に田んぼが広がっている。

 二年前まで住んでいた街と比べるとここは田舎で、暮らし始めてすぐは、そのギャップに驚いたものだ。


 テレビのチャンネル数は少なく、家のそばには時々狸やイタチが出て、列車は片道が一時間に一本しかないディーゼルカーだった。地元の人は未だにそれを汽車と呼んでいて、少し離れたところには石炭で走る本物のSLが今でも季節限定で動いている。

 その汽車だけど、本数の少なさはそれを利用する学生にとっては深刻だ。一本逃したら遅刻確定、帰る際にもタイミングが悪ければ相当な時間待つ事になるので、乗りなれている人はみんな自分が利用する時間を暗記している。

 私が今通っている高校を選んだのも、そんな汽車通学をしたくないので歩いて通える所をという不純な動機も幾分あった。


 ようやく広い道へと出ると、目の前から小学生の一団がやって来るのが見えた。横に広がって歩いていたので道を開けてやろうと、わきへとよける。


 私の目がその姿をとらえたのはその時だった。


 目にしたとたん、サッと血の気が引き、体が冷たくなるのを感じた。とっさにそれを視界から外そうと、頭を下へと向け自分の足元だけを見る。


(私は気づいていない、何も見ていない)


 必死に自分にそう言い聞かせながら歩いた。いつの間にか手は爪が食い込むくらいにきつく握られ、今にも震えだしそうになるのを何とかこらえている。


 前からやってきた子供達は、そんな私を気にせめず、ワイワイ騒ぎながらそばを通り過ぎていく。

 私がこんなにも怖がっているなんて気づいてもいないだろう。まして怖がっている『あれ』なんて、目にも映っていないに違いない。


 子供達をよけようと端へと寄った道の脇に、それは立っていた。


 そいつは、一見若い女の人のように見えた。だけどよく見るとその顔はびっしりと鱗に覆われていて、真っ赤に充血した鋭い目でじっとこっちを見つめていた。

 もちろん、そんな人間などいるはずがない。つまりそこにいるのは人間でない何かだ。


 そんなものを見れば、普通なら悲鳴を上げるだろう。けれどそばを通る子供達は、だれ一人声を上げるどころか、それに気がつく者さえいない。


(やっぱり、私以外には見えないんだろうな)


 私は心の中でそうつぶやくと、うつむいたまま足を進めた。決してあれの方を向いてはいけない。目を合わせるなどもってのほかだ。

 ああいったやつらは、こちらが気づかなければ殆ど何もすることは無いけど、こっちが見えていることが分かると、しつこいくらいに追い回し、時に危害を加えてくる。多くの経験から、私はそれを知っていた。


 私が見えている事を気づかれないように、決して目を合わせることなく、余計な反応をする事もなく、そっと歩く。

 もういいだろうか。しばらく歩いたところで足を止める。後ろを振り返り、ついてきていないか確かめたかったけど、もしも今後ろにいるかと思うとそれも躊躇われる。自分が見えていると相手に悟らせないことが最善の対処法なのだ。

 そう思った次の瞬間、誰かに肩を叩かれた。


「きゃあ!」


 思わず悲鳴を上げ振り返る。見るとそこには自分と同じ制服を着た長い髪の女の子が立っていた。


「美紀……」


 私は驚きながら彼女の名前を呼ぶ。彼女は山江美紀やまえみき。私と同じ高校に通うクラスメイトだった。


「ちょっと麻里、いくらなんでも驚きすぎでしょ」

 美紀が呆れた顔で言うけど、こっちにも事情というものがある。


 彼女を見ると同時に、そっとその後ろを確認する。幸い、さっきの鱗の女の姿はどこにもない。うまく切り抜けられたようだ。

 ようやく安心すると、美紀に作った笑顔を向けながらゴメンと言う。

 美紀も、私が本当は何に怯えていたかは気づいていないだろう。


 美紀は私にとってクラスメイトであると同時に一番仲の良い友達だった。けれど、そんな彼女にも、今何があったのかは言わなかった。いや、言うことができなかった。

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