第5話 返事は嘘
放課後。ホームルームも終わり、みんなが続々と教室の外へと出ていく。もちろん私達も例外じゃない。
「美紀はこれからソフトボール部行くの?」
「そう。しごかれに行ってくるよ」
美紀はそう言うけれど、その表情は楽しそうだ。部活としてソフトボールを始めたのは高校に入ってからだけど、元々体を動かすのが好きで運動神経の良い彼女のこと、きっと上手くやっていってるのだろう。
「麻里も部活やればいいのに」
「私はいいよ。やりたいことも無いし」
そう言って美紀と別れる。
私は別に運動音痴と言うわけではないけれど、得意と言うほどでもない。入学時に一応全ての部に目を通してはみたけれど、体育系、文科系を含めて、特に興味を惹かれるものは無かった。私にとって、唯一の趣味と言えるのは読書くらいだ。
だけど他に趣味が無い分、読書量はそれなりに多いと自負している。今もちょうど、図書室から借りていた本を読み終えたところで、これから図書室に返しに行くつもりだった。
返却をすませ、ついでに他の本を借り、図書室を後にする。今借りた本は、家に帰ってからじっくりと読もう。そう思いながら廊下を歩いていると、近くにある窓の向こう側に、二人の男子生徒の姿が見えた。
(朝霧君だ)
そのうち一人は、昼休みに話題に上っていた、クラスメイトの朝霧君だった。
何か用があるってわけでもないし、ついさっきまで同じ教室にいた彼。それでも、昼間の話の印象がまだ残っているのか、こうして見つけると、つい視線を向けてしまう。
次に残ったもう一人にも目をやると、こちらも同じクラスの
朝霧君、まさかあんな噂になっているなんて、思ってもいないだろうな。
そんなことを考えながら、二人のそばを通り過ぎようとする。だけどその時、偶然その会話が耳に入った。
「お前の好きな子知ってるか聞かれたんだけど、3組の子ふったってマジか?」
たまたま聞こえてきたその言葉に、私の足が止まる。二人は迂闊にも、窓のすぐ向こう側にある地面に座りながら、すぐ傍に私がいることにまるで気づかないまま話をしていた。
ここで聞いていたら、朝霧君の好きな相手が誰かわかるかもしれない。ふと、そんな考えが頭をよぎる。
もし何か分かったら教えてほしい。そう頼まれてはいたこともあるけど、本音を言ってしまうとただの好奇心だ。とはいえもちろん盗み聞きなんて良くないし、みっともない事ってのは分かっている。
いけない。何か言い出す前に、早く離れないと。そう思ってこの場を立ち去ろうとしたけれど、幸か不幸か、その前に話の続きが聞こえてきた。
「ああ」
小さく肯定する朝霧君。あまり触れられたくない話題のようで、口が重くなっているのがわかる。
「でもお前、好きな奴って――」
相良君がためらいがちに何かを言いかけると、朝霧君もそれを察したのだろう。最後まで言い終わる前に、答えが返ってくる。
「いない。断るためにそう言った」
「……やっぱりか」
答を聞いて、相良君が小さく声を上げる。一方、それを告げた朝霧君は、淡々とした様子で更にもう一言付け加える。
「断ることができれば、理由はなんでも良かったんだ」
やっぱり盗み聞きなんてするんじゃなかった。ようやくそう思った頃には、私はすっかり嫌な気持ちになっていた。
好きだといわれても、その気持ちに応えるかどうかは本人しだいだ。けれどこんな嘘をついて断ろうなんて、勇気を出して告白してきた相手がかわいそうだ。断るにしたって、もっと他にやり方があるだろうと思って、腹が立った。
これ以上聞いていられない。そう思い今度こそ立ち去ろうとするけど、急に動いたのがまずかった。動いた拍子に、持っていた鞄が壁に当たって、小さく音を立てる。そして不運な事に、その小さな音は、話をしている二人の耳にも入ってしまったようだ。
二人が同時に顔を上げ、私の姿をその目に捉える。
「――――お前、五木か」
見つかってしまった。今更ながら、盗み聞きをしていたという事実に気まずさを感じる。
けれど今の私は、それ以上に二人の会話に、朝霧君のやったことに憤慨もしていた。だから、構うものかと開き直って一言告げる。
「――――最低」
それだけをぶつけると、後は二人に背を向け歩き出す。
我ながら、大胆な事をしたものだ。頬から耳にかけて熱くなっているのがわかる。つかつかと音を立て、歩くペースが速まっていくのがわかる。いくら腹が立ったと言っても、こんな事をするなんて自分でも意外だった。
そうしてツカツカと歩きながら、靴箱の前へと到着する。するとその時、慌てたように私を呼び止める声が聞こえた。
「ちょっと待ってくれ!」
振り返ると、そこにいたのは相良君一人で、朝霧君の姿はなかった。彼は駆け足でここまで来たのか、息を弾ませながら言う。
「今の、他の奴には言わないでくれるか」
今更何を言っているのだろう。そもそも、なぜ本人は来ないんだ。そんな事を思いながら無言のまま圧力をかけると、彼はさらに言葉を続けた。
「あの断り方教えたの、俺なんだよ」
「……どういう事?」
仕方なく足を止めて聞き返すと、相良君はとてもバツが悪そうに話し始めた。
「あいつ、告白されたのなんて初めてだから、どう断ったらいいかなんてわからなかったんだ。それで、どうすればいいか悩んでた。力になってやろうって思ったんだけど、そんなの俺だって正解なんて分かんねえし、深く考えずに言ったんだ。つまり、その……」
「他に好きな人がいるって嘘を言えって?」
「まあ、そうなるな」
冷たい視線を相良君へと向けると、彼はますますバツの悪そうな顔になる。
「あいつは、好きな人なんていないって言ってたけど、口下手だから普通に話しても断るのに苦労すると思ったんだ。どうせ振ることに変わりは無いんだから、そう言い張っておけば良いかなって」
さすがに悪いと思っているのだろう。何度か声を詰まらせながら話す相良君の表情は硬かった。
「あんたも最低ね。人の気持ちを何だと思ってるの」
「それは本当に悪いと思ってる。晴も、自分が悪いんだから何言われても仕方がないって言ってる。けど、そう言うのに疎いだけで悪い奴じゃないんだ」
そう言って、何度も頭を下げてくる相良君。私は納得いかないまでも、その姿を見ているうちに、熱くなっていた頭が少しずつ冷えて行くのが分かった。
仕方がないと、ほっと溜息をつく。
「言わないわよ。言っても、かえって傷つけるだけだろうしね」
こう答えることができたのは、私がその振られたという人と直接面識がないのが大きいだろう。もしも、例えば相手が美紀とかだったら、怒りはこんなものでは収まることなく、直接朝霧君本人を激しく糾弾していたことだろう。
「悪い。本当に助かった」
申し訳なさそうに礼を言う相良君。だけど私は、そこから一言付け加えた。
「でも、朝霧君のしたことが、最低だってことに変わりはないから」
* * *
最低。そう言った彼女は、同じクラスの五木だった。
そう言われても仕方がない。実際、その通りなのだから。五木はこの事を彼女に話すのだろうか。けれど本当の事を彼女が知って、結果自分が嫌われるのならそれでも良い。自分のしたことを考えると当然だ。
胸に感じる痛みを否定する。そうなるのは俺が望んだ事なのだから、何も苦しいことはないと自分に言い聞かせた。
ただ、相良の事が気になった。もし俺が相談したことも一緒に吹聴されたらあいつにも迷惑がかかる。
あの時聞かれた内容だけではそこまでは分からないと思うが、一応相良の名前だけは出さないよう頼むべきだろうか。でも下手をすると、まだ知られていない事実を自ら話してしまうことになる。
「朝霧君」
名前を呼ばれて、はっと我に返る。つい考え込んでボーっとしていたようだ。
顔を向けると、白衣を着た看護師さんの姿があった。
「毎日来て偉いわね」
その人はそう言って笑いかけた。俺は小さく頭を下げて挨拶をする。
ここは学校からほど近い場所にある病院だ。半月ほど前から学校帰りに立ち寄るのが日課になっている。
看護師の人と別れると、いつものように二階にある病室へと向かう。
学校での出来事を思い出して気持ちが沈み、それを振りきるように表情を整える。
今の俺は普段通りの顔でいるのだろうか。昔から細かな表情の変化によく気づく人だけど、今の感情は悟られないように気をつけたい。
できれば何かあったかは知られたくなかった。
廊下の一番奥にある病室のドアの前に立つ。一呼吸置いて改めて笑顔を作ると、俺はドアを開いた。
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