第7話 思わぬ遭遇

 妖怪に襲われ、地面に叩きつけられ、痛みと恐怖で一杯だった。もうだめだと覚悟を決め、震えながら最後の時を待つ。だけど―――


 ………………?


 ところが、いくら待っても一向に妖怪が追ってくる気配はなかった。


 どうしたんだろう。痛みをこらえながら恐る恐る顔を上げ、あたりを見回す。だけどそこにはさっきまで私を追いかけていた妖怪の姿はなかった。


 戸惑いながらもう一度周りを見る。一発殴ったのが効いたのか、それとも単なる気まぐれか、やはりあの妖怪はどこにも見当たらない。


(助かったのかな?)


 未だ激しく高鳴る胸の鼓動を抑えながら、ふらつく足でゆっくりと立ち上がる。

 転げ落ちてきた坂を見上げると、思っていたよりも高さがあった。

 転がっている時にあちこちぶつけたけど、下手をすると打ち所が悪くてもっと大きな怪我をしていたかもしれない。そう思うと改めてゾッとする。


 とりあえず、この坂を上って元の道に戻らないと。そう思ったところで、不意に転げ落ちてきた道の方から人の声がした。


「誰かいるのか?」

「は…はい」


 落ちるところを見ていたのだろうか。声の主は上からこちらを覗き込むと、上ってこれるかと言いながら手を差し出してきた。

 念のため、近くにあの妖怪がいないかもう一度確認する。どうやら本当にいなくなったようだ。不可解だけど、今までにも驚かすだけ驚かして、急にいなくなるという奴は何人もいた。妖怪の行動なんて元々理解できないものだ。それよりもまず助かったという事実に安堵する。


 だけどホッとしたのもつかの間、その途端、右足に強い痛みを感じた。さっき転んだ時にぶつけた所だ。

 今までは怖さと必死さで我慢できていた。というより、痛みを感じる余裕なんて無かった。

 だけど安心したことで、忘れていた痛いという感覚が一気にやってくる。


「痛っ……」


 立っているのも辛くなり、思わず声を上げてその場に倒れ込んだ。


「もしかして、ケガしてるのか?」


 そんな私の様子を見て、上にいた人がこっちへ滑り下りてきた。痛みをこらえながらも、なんとか大丈夫だと伝えようと、改めて相手の姿を見る。

 それは、今まで気がつかなかったけれど同じ学校の男子の制服だった。そしてその顔を確認した時、私は思わず声を上げた。


「朝霧君……」


 驚きに満ちた表情で相手を見つめる。今まで気づかなかったけど、そこにいたのは放課後学校で会ったばかりの朝霧晴だった。


「五木…か…?」


 向こうも私に気づいたようで、私と同じように驚いた顔をする。

 だけど、朝霧君はそれ以上何も言わない。あんなことがあって間もなくの再開だ。きっと驚きのあまり言葉が出ないのだろう。私も同じだ。

 そのまましばらくの間沈黙が流れた。


(どうしよう)


 わざわざ気づいて助けに来てくれたのはありがたいけど、つい数時間前には面と向かって最低と言い放った相手だ。気まずくて何を言えばいいのかわからない。


 朝霧君もそうなのだろう。しばらくの間一言もしゃべらないでいたけど、やがて私の右足を見て言った。


「足、大丈夫か?」


 気遣うように言葉をかける。痛くてずっと抑えていたし、本当はとっくに怪我をしているという事に気づいていたのだろう。改めて見ると赤く腫れあがっていて、一目で捻挫だとわかる。

 だけど、私はそこで意地を張ってしまった。


「だ…大丈夫」


 たどたどしくそれだけを伝える。本当はすごく痛いけど、朝霧君相手に弱音は言いたくなかった。


 すると朝霧君は、持っていた鞄の中からタオルを一枚取り出し、私に差し出した。


「顔、汚れてる。これで拭いて」


 言われて気づいた。鏡が無いから確認することはできないけれど、何度も地面に体をこすりつけていたから、きっと全身泥だらけでひどい事になっているだろう。よく見れば眼鏡や制服も汚れているし、顔にも冷たい泥の感触がある。

 そんな姿を見られた事が恥ずかしくて、顔がカッと熱くなるのが分かった。


「こういう気遣いはできるんだ」


 恥ずかしさを誤魔化そうと、出されたタオルをとりもせず、つい意地悪な言葉を投げかける。


 だけどそれはすぐに後悔した。朝霧君は親切でしてくれたというのに、これではあまりに失礼だろう。

 だけど朝霧君は私の嫌味な発言に何一つ言い訳することなく、代わりに困ったように言った。


「なに言われたって仕方ないと思ってるし、これだって余計なお世話かもしれない。だけど意地になって受け取らないのならやめてほしい」


 意地を張っていることはすっかり見透かされているみたいだ。だというのに文句も言わず、ただ申し訳なさそうな顔のままタオルを差し出しているのがなおさら罪悪感を増長させた。


「ごめん……」


 小さくそう言ってタオルを受け取り、沈んだ表情を見られないように顔を覆った。


 それから付いていた泥を落とそうとしたけど、その前に息を整え、言った。


「タオルありがとう。使わせてもらうね」

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