第43話 こんなことになるなら

 誰もいない空き教室で、私は一人目を覚ます。机にうつぶせになったまま眠っていたようだ。

 なぜ自分はこんなところにいるのだろう。ふらつく頭を振って記憶を呼び起こす。

 覚えているのはこの数日、体調がすぐれずイライラしていたこと。朝霧への想いを振り切ることができずに引きずっていたこと。そして、多分朝霧の好きな子相手に、みっともなく嫉妬して怒りをぶつけたことだった。

 いくらなんでもあんな事をするなんてどうかしていた。彼女にはちゃんとあやまらないと。


 それから先は、記憶に靄がかかったみたいに曖昧になっている。今までどうやってすごしてきたのか、どうして教室で寝ているのか、まるで思い出せなかった。

 体調が悪かったせいで眠ってしまったんだろうか?


 けれど今は体も軽く、動き始めた頭もしだいにすっきりしてきた。

 釈然としないところはあるけど、ここで考えても答えは出そうにない。すっと立ち上がると、私は教室を後にした。





              *   *   *





 鶴羽さんが去った後、私達は廊下の隅から顔を出す。隣にいる朝霧君は、既に人間の姿へと戻っている。


「鶴羽さん、いきなりこんなところで目が覚めて、変に思ってないかな?」


 心配になって言う。あの後二人で彼女を教室まで運ぶと、隠れて気がつくのを待っていた。


「少しは変だと思うだろうけど、多分大丈夫。鶴羽自身は自分が取り憑かれていたことを知らないし、その間の記憶も曖昧になっているはずだから。取り憑かれた事に限らず、妖怪が原因で何かおきたとしても、普通の人間はそういう時『そうなってもおかしくない状況』を頭の中で無意識のうちに作りあげるんだ」


 簡単にいえば、もし妖怪が何か事件をおこしたとしても、普通の人はそれが異常だと気づきにくいそうだ。もし人がありのままを認識していたら、妖怪、あるいは超常現象の類が、今よりもずっと多く認知されているだろうと朝霧君は言った。鶴羽さんも少しの疑問は持ったとしても、それを大きく引きずるようなことはないだろうと。


 ほっと胸をなでおろす。いつの間にか、随分と鶴羽さんのことを気に掛けている。その理由ははっきりしていた。


「ねえ、朝霧君……」


 私は朝霧君の方を向くと、屋上から落ちる時に見た鶴場さんの記憶を話した。彼女がずっと朝霧君を見ていたことを、ずっと好きだったことを。

 本当なら私が口出しするべきことじゃないだろうし、勝手に見てしまった人の記憶を話してしまうのも良くない事だと思う。それでも、直接彼女の想いに触れた今、何もしないでいることはできなかった。


「鶴羽さん、朝霧君のこと本当に好きだったと思う」


 私の話を全て聞き終えた朝霧君は、打ちひしがれたようにそっと顔を伏せてうなだれる。

 それから、重く沈んだ声で、ぽつぽつと語り出した。


「鶴羽とは、話をすることはあったけど、それだけだって思ってた。俺のことを、ずっとそんなふうに思っていたなんて、気づきもしなかった」


 そこで一度言葉を切ると、きつく拳を握りながら、吐き出すように言った。


「どうして俺なんだよ……」


 後悔しているのだろう。その場しのぎの嘘をついたことを。鶴羽さんの気持ちにちゃんと向き合わなかったことを。


「ひとつ教えて。鶴羽さんから好きだって言われて、何とも思わなかった?」


 それだけは聞きたかった。今更こんな事を聞いても意味はないかもしれない。けれど、届くことの無かった彼女の想いが、朝霧君の心をほんの少しでも揺らしてくれていたら。そう思わずにはいられなかった。

 祈るような気持ちで、答えを待った。


「俺は、そういうふうに考えたことなんてない。でも……」


 朝霧君は、そう言って声を震わせた。


「一緒にいる時、話をした時、本当はずっと楽しいって思ってた。鶴羽の俺に対する気持ちとは違うかもしれないけど、多分俺も、鶴羽のことが好きだったんだと思う」


 そうだろう。もし好きでもなんでもない相手だったら、こんな悲しい顔になったりはしない。

 もう一度真剣に向き合えば、今からでも何かが変わるんじゃないかと思った。たとえ返事が同じだったとしても、彼女の想いを、もっと違う形で終わらせることができるんじゃないか。

 そう言おうとしたその時だった。


「だから嘘をつくしかなかった。もしちゃんと向き合ったら、本当に好きになってしまいそうだったたから」


 小さく呟いたその言葉には、これまでに無いはっきりとした拒絶があった。


「こんなことになるなら、俺はもっと鶴羽と距離を置くべきだった」


 それは、鶴羽さんが恋をしていた時間全てを否定するようなものだった。

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