第34話 宿主は彼女
張り詰めた空気の中、今まで一定の距離を保ったままだった恨縄が、朝霧君に向かって勢いよく首を伸ばしてきた。
朝霧君は、とっさに横に跳んでかわすけど、恨縄はそれを追いかけ、再度その牙を向ける。今度も何とかかわしたけど、すれすれのところをかすめていた。
今のところなんとか当たってはいない。でも、このまま何度もかわし続けるなんて不可能だ。しかも、襲ってくるその牙はナイフのように鋭く、鱗で覆われた太い体は、まるで丸太のようだ。もし一度でもまともに攻撃を受けたら、それだけで立ち上がれなくなるかもしれない。
朝霧君が何度目かの攻撃をかわしたところで、私と彼との間に距離ができた。それを恨縄は見逃さなかった。今まで朝霧君を優先して狙っていたのを、急遽私へと戻してきた。
それに気づいて何とかして逃げようしたけど、まだ痛みの残る体ではとても間に合わない。
「五木!」
その時、朝霧君は私の名を叫びながら、何を思ったのか右手を振り上げ恨縄の方へと突き出した。そして次の瞬間。
バチッ
一瞬、空気が震え、恨縄の体がまるで見えない何かに殴りとばされたみたいに、大きく後ろに飛ばされた。そのまま床へと叩きつけられ、辺りに鈍い音が響く。
「何、今の?」
あの恨縄の巨体が、一瞬宙を飛んだ。目の前で起きたことが分からずに目を丸くしていると、再び朝霧君の声が飛ぶ。
「逃げるぞ!」
そう言って、私のそばへと駆け寄り腕を引く。痛みはまだ残っているけど、何とか走ることはできそうだ。
倒れている恨縄の横を通り抜け、駆け出そうとする。
けれどそんな私達の前に、その行く手を塞ぐかのように、一人の姿が立ち塞がった。
それは女子生徒、それも私達の知っている人だった。虚ろな目をして肩を落とすその姿は弱々しく、それでいて不思議な存在感があった。
「鶴羽……」
朝霧君から驚きとともにその名がこぼれた。私たちの前に現れたその人は、鶴羽明菜さんだった。
私は、朝霧君と比べるとまだ冷静でいられたかもしれない。だってこれは、予想していたことだったのだから。
鶴羽さんは私達を一瞥すると、ゆっくりと恨縄のそばへと歩み寄って行った。恨縄はさっき弾き飛ばされたことで傷を負ったのか、血を流しながら苦しそうに体をうねらせている。鶴羽さんは、そんな恨縄の傷口にそっと手を当てた。
その途端、恨縄の体から黒い霧のようなものが溢れ出た。それと同時に、今まで傷口から流れて出ていた血が止まり、見る見るうちに新しい皮膚が再生されていった。
「なに、あれ……」
驚く私に、朝霧君が顔をゆがませながら、私の予想を決定づける言葉を放った。
「……鶴羽が、恨縄の宿主だったのか」
恨縄の宿主。予想はしていたとは言え、実際に告げられたのはショックだった。彼女が私を恨む理由。思い当たるのは一つしかない。
鶴羽さんが恨縄に当てていた手を離し、私達の方にゆっくりと体を向ける。相変わらず虚ろなその様子は、まるで夢遊病のようにも見える。その異常ともいえる状態から、彼女がすでに正気でないということが理解できた。
その隣では、完全に傷の消えた恨縄が、再びその体をおこす。それどころかその姿は、さっきまでよりさらに太く大きく変貌していた。
朝霧君が庇うように私の前に立つ。恨縄はそんな朝霧君を見据えると、再びその身を躍らせ襲いかかって来た。
攻撃方法はさっきまでと変わっていないけど、大きくなったその見た目とは裏腹に、スピードは少しも落ちていない。
「――っ!」
朝霧君が私の手を引っ張りながら何とかかわそうとするけど、とても庇いながら凌げるものじゃない。
大きく開けた口が、朝霧君の腕をかすった。直撃は避けることができたみたいだけど、体勢が崩れて足が止まる。恨縄はその隙を見逃すことなく、さらなる一撃を加えようとその身を躍らせた。
「くっ!」
とっさに、朝霧君が恨縄に向けて大きく手を振るった。
その途端、校舎の中に激しい風が巻き起こった。まるで小さな竜巻が突然現れたようだった。
予想外の出来事に恨縄も怯んだのか、その動きが止まる。私も何が起きたのかわからずに、一歩も動けずにいた。
そんな中、朝霧君だけは、固まっていた私の手を引っぱると、今度こそ逃げるようにと促した。
「今のうちに早く!」
そうだ。何が起こったのかは知らないけど、今が逃げ出すチャンスというのは確かだ。朝霧君に手を引かれ、目の前で起きた事態に混乱しながらも、それでも必死で校舎を駆け抜けた。
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