第37話 彼の秘密

 どれくらいの間こうしているだろう。校舎の隅にある一室で、私は扉に背を向け、膝を抱えながら一人うずくまっていた。

 今は物置として使われている部屋で、中はせまく、ごちゃごちゃと散らかっている。一応鍵はあるけど簡素なもので、はたしてどれくらい役に立つかはわからない。

 いつこの扉が破られ、この身が危険にさらされるかも分からない。恐怖に怯えながらも、頭に浮かんでいるのは朝霧君のことだった。


 危ない目に遭うたびに、何度も助けてくれた。物静かだけど、時折見せる控え目で不器用な優しさが嬉しかった。

 ずっと会いたいと思っていた、自分と同じものを見える人、抱えていた秘密をわかってくれる人、そう思っていた。

 だけど今は、そんな思いも全て不信へと塗りつぶされている。


 そんなこと考えたくはなかった。全てが自分の勘違いだったらいいのに。そんな、ありもしない妄想にすらすがりたくなってくる。

 けれど彼の見せた不思議な力が、異形の腕が、そして人間ではないという彼自身の言葉が、残酷なほどに現実を突きつけた。

 騙していたのだろうか? 初めて仲間に出会えたと思って喜び、心を許していた私を、どんなふうに思っていたのだろう?

 そんな思いが頭の中でぐるぐると渦巻く。胸の底から、恐怖がとめどなく湧きあがってくる。


 トントン


 後ろから、小さく扉を叩く音がした。

 びくりと身を震わせて、出かかった悲鳴を必死になって呑み込む。


 扉の向こうから、小さく声が聞こえてきた。


「……五木」


 朝霧君だった。

 けれど私は、扉を開けようとも、振り向こうともしなかった。むしろ、より自分を守るように膝を抱えなおすと、それまで以上に深く顔を伏せた。


「来ないで…………」


 涙の交じった、消え入りそうな声でそれだけを言う。立ち上がる力も、叫ぶ気力さえも残っていない今の私にとって、これが精一杯の拒絶だった。

 それでも、朝霧君は続けた。


「……このままでいいから、聞いてほしい」


 もう何も聞きたくない。そう思ってとっさに耳をふさぐ。それでも、扉を挟んだ向こうから、朝霧君の声はたしかに届いていた。


「俺は、人間じゃない。けれど、妖怪とも少し違うんだ」


 話す声は穏やかだ。けれど、時々途切れそうになる言葉と、伝わってくる微かな息づかいから、朝霧君もまた震えているのがわかった。

 少しだけ、耳を塞いでいた手を緩める。


「母は人間だ。五木と同じように、妖怪を見ることができた」


 それは、以前に朝霧君から聞いていたことだった。でもそれが本当なら、彼が人間でないこと言う話と矛盾するのではないだろうか。


「母は昔、一人の妖怪と出会った。そしてその妖怪のことを好きになって、やがて俺が生まれた。俺は、人間の母と妖怪の父との間に生まれた、どちらでもない中途半端な存在なんだ」

「───っ!」


 理解が追いつかなかった。

 そんなことがあるのだろうか。確かに、妖怪の中には意思疎通ができる者や、人間に近い姿の者もいる。それなら、両者の間に子どもを作る事だって、あるいは可能なのかもしれない。

 けれどいくら言葉が通じ、姿が似通っていたとしても、妖怪が恐怖の対象でしかない私にとって、それは信じられない話だった。


「俺は、普段は妖怪が見えること以外は普通の人間と変わらない。姿も人間と変わらないし、人間には見えないなんて事もない。けれど、やろうと思えば妖怪としての力が使えるし、力を多く使えば、姿だって徐々に妖怪のものへと変わっていく」


 これまでに見てきた朝霧君を思い出す。普段見ていた彼の姿は、たしかに人と何も変わりはなかったし、その一方で、たった今明らかに人ではない姿を目にしている。


 朝霧君の言うことが本当なら、それはまさしくに本人の言葉通り、人でも妖怪でもないと言えるだろう。

 すぐに信じられる話じゃなかった。それでも、静かに、それでいて必死に訴えてくるその声を聞くと、嘘や作り話だとも思えなかった。


「黙っていて、ごめん」


 その言葉を信じるなら、朝霧君は何も私を騙していたというわけじゃない。今まで聞いていたのは、自分も妖怪が見えるということだけだった。


 でも、隠してはいた。それも、最も重要と言えることを……

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