第38話 踏み出す強さなんて
「なんで……黙ってたの?」
静かに問う。少し間を置いて、再び朝霧君の声が届く。
「怖かったんだ。これを知って、五木が離れていくのが。俺は確かに半分は妖怪だけど、それでも人間でありたかった。妖怪の姿が見えるだけの、人間として生きたいと思っていた。けれどこのことを知ったら、きっと五木は怖がって離れていく。そう思ったら、言えなかった。五木と一緒にいられて嬉しかったから余計にな」
悲しげに言ったその声は、私の胸に痛みと疼きを持って突き刺さった。
朝霧君の言った通り、それを知ったら私は間違いなく朝霧君には近づこうとしなかっただろう。現に、今もこうして顔を合わせることもできないでいる。
けれど私にとって妖怪とはそういうものだ。怯え、恐れる対象でしかない。
手に力がこもり、いつの間にか震える手で必死に抱えた膝を握っていた。
「一番大事なことを内緒にしたままだったけど、それでも五木といて、初めて今までずっと飲み込んでいたものを吐き出せて、悩んでいることを言い合えて、とても嬉しかった。その気持ちに嘘はなかった」
朝霧君はそこまで言うと、大きく息を吸って、言った。
「……それと、巻き込んでごめん。あいつは俺が何とかする」
はっと顔を上げる。あいつと言うのは、もちろん恨縄のことだろう。
「今更何をって思うかもしれないけど、もし、まだ俺のことを少しでも信じてくれるなら、決してここから出ないでほしい。恨みの原因が俺なら、あいつを引き付けることもできるはずだから」
扉越しに、朝霧君がここから立ち去ろうとするのがわかった。
「……っ」
立ち上がって何か言おうとしたけど言葉が出ない。
何も言えずに、何もできずに、ただ遠ざかっていく足音だけが聞こえた。
再び座り込みそうになる体を、扉にもたれ掛かることでなんとか支える。自分は何と声をかけようとしたのだろう。引き止めたかったのだろうか。それとも、本当のことを言ってくれなかった恨み事を言いたかったのだろうか?
頭がぐちゃぐちゃになる。
最初、自分と同じように妖怪が見えると告げられた時は嬉しかった。自分がずっと抱えていた秘密を、孤独を、初めて誰かと分け合うことができると思った。
それだけに、彼が人ではないという事実はショックで、裏切られた気分になった。朝霧君のことがわからず、怖くなった。
でも…………
朝霧君は怪我をした私を送ってくれた。危ない時身を呈して守ってくれた。一緒にいて、話をして、楽しかった。物静かで、不器用で、優しい。それが、私の知っている、人間としての朝霧君だった。
彼が人間でないことへの怖れはある。不安は決してなくなってはいない。
それでも、私にとって朝霧君はもう、他の名前も知らない妖怪のように、ただの脅えるだけの対象ではなかった。
去っていく朝霧君に何を言いたかったのか、考える。
多分、また話をしたかったんだ。怖がるだけでなく、謝られるだけでなく、話をして、もっととちゃんと向き合いたかった。
一人で戦いに行った朝霧君の元へ、自分も行きたかった。
扉に手をかけ、開こうとする。
だけど開こうとして、その手が止まった。
「…………っ」
扉に手をかけた瞬間、それを拒むように、再び体が震えだしてきた。
それと同時に、さっきまで見ていた恨縄の姿が頭をよぎる。
怖い。ここから出れば必ずまたあいつと対峙することになる。もしかしたら今度こそ命を落とすかもしれない。そう思うと、足がすくんだ。
自分の臆病さに愕然とする。どうしたいか心で決まっていても、結局は恐怖にかられて踏み出せないでいる。
そんな自分を情けないと思うけど、身体の震えは一向に止まってはくれない。ここから出ることが、あの怪物の所に行くのが怖くて仕方がない。
(ダメだ)
せっかく立ち上がったというのに、またその場に座り込む。
臆病で怖がりな私には、誰かのために踏み出せるような強さなんてなかった。
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