朝霧 晴
第45話 朝霧君のお母さん
日の傾いてきた道を、私は一人歩く。おばあちゃんには、テスト勉強で遅れると言っておいた。
朝霧君がいなくなった後、学校中を探しても見つからず、何度電話やメールを送っても、一向に返事は無かった。
もしかしたら朝霧君は、あのままどこか私達の知らない場所へと飛んでいき、もう二度と戻らないつもりなのではないか。
去り際の彼の様子を思うと、そんな想像が胸の中で渦巻いている。
勘違いや思い過ごしならそれでいい。けれどもし想像した通りなら、私がその原因を作ってしまった。
あの時伸ばした朝霧君の手を、私は恐れた。朝霧君は他の妖怪のような恐ろしい存在じゃないと、頭ではちゃんと理解している。けれどそれでも、体はその手を拒絶し、身を固め、震えた。
ちゃんと向き合いたいと思っていながら、あの姿で近づいただけで恐れてしまう。そんな自分が嫌だった。
怯える私を見つめた、朝霧君の悲しげな表情を思い出す。傷つけてしまったんだと、今更ながら思う。
傷つけたことを謝りたかった。もう一度会って話をしたかった。そんな思いを抱きながら、ほとんど唯一と言っていい心当たりに向かう。
学校の帰り道、いつもは左に曲がっている道を、今日は右へと進む。この先には朝霧君のお母さんが入院している病院がある。
朝霧君が行きそうな場所なんてそこくらいしか浮かばず、私はまだ彼のことを何も知らないんだと、改めて思った。
だけど、毎日のようにお見舞いに行っている朝霧君のことだ。こんな時でも、いやこんな時だからこそ、そこに向かったのかもしれない。そんな一縷の望みを抱いて足を進めた。
病院へとたどり着く。しかし来たのはいいけど、朝霧君のお母さんが入院しているのがどの部屋なのかは分からない。
病室には部屋ごとに入っている人の名札が付けられている。そう大きな病院ではないから、それを見ながらしらみつぶしに探してみるべきだろうか。
そう思っていると、廊下の向こうから看護師の女の人が台車を押してきた。邪魔になるといけないと思い、端によける。
「ごめんね。ちょっと通らせてもらうよ」
その人はそう言って通り過ぎようとしたけど、私の姿を見ると目を止めた。
「その制服、あなたの学校ってもしかして………」
そう言ってうちの学校の名を上げる。
「うちの子もそうなのよ。」
見ると、その人の名札には相良と書いてあった。そういえば前に、相良君のお母さんがここで働いていると言っていた。
これはチャンスかもしれない。
「相良君とは同じクラスです。あの、朝霧君のお母さんが入院しているって聞いたんですけど──」
「あら、朝霧君の知り合いなの? 朝霧君、今日はまだ来てないみたいだけど、部屋で待っておく?」
そう言って、朝霧君のお母さんの病室の場所を聞く。彼がここに来ていないという事に少し落胆したけど、待っていたらもしかしたら会えるもしれない。そう思いながら、教えられた病室へと向かった。
部屋の前に立ち、中の様子をうかがう。ここはどうやら個室のようで、部屋の前に掛けられている唯一の名札には、朝霧志保と書かれていた。
だけどこっそりと部屋の中をうかがうと、席を外しているのか、中に人の姿は無い。
いつまでも部屋の前にいたのでは周りから変に思われる。だからといって、会ったこともない人の病室に入って待つというのも躊躇われた。
そう思っていると、いきなり後ろから肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、さっき会った相良君のお母さんだった。それともう一人、その横には女の人が立っていた。柔らかそうな雰囲気の、綺麗な人だった。
「ごめんね。この人今まで検査だったのよ。入れ違いにならなくてよかったわね」
相良君のお母さんがそう言いながら、一緒にいる女性を指した。
「晴の友達?」
そう言いながら、その女性は優しく微笑んだ。ということはこの人が――
「朝霧君の、お母さんですか?」
つい疑問形になったのは、想像していたよりもその人がずっと若かったからだ。いったいいくつなのだろう?
「やっぱり驚くだろうね。私も、この人に自分の息子と同い年の子がいるって聞いた時はびっくりしたよ」
「あの子を産んだのが早かったものだから。晴の母で朝霧志保と言います。」
恥ずかしそうに言いながら頭を下げてくる。
「あの……私、朝霧君と同じクラスの五木麻里って言います」
「五木さんね。とりあえず、中に入って良いかしら」
朝霧君のお母さんはそう言うと、私にも中に入るように言った。
「失礼します」
部屋に入ると、中には備え付けのベッドが一つあって、その横には簡易の冷蔵庫とテレビが置かれていた。一人部屋だけあってゆったりとしたスペースがあり、病室と聞いて連想するような閉塞感はあまり感じられない。
「それじゃ、私は仕事が残ってるからもう行くよ」
相良君のお母さんはそう言って、勤務へと戻っていく。部屋には私と朝霧君のお母さんの二人だけになる。
朝霧君のお母さんは置いてあった椅子を出して私に座るよう勧めた。
「あの……突然押しかけてしまってすみません」
とりあえず、いきなり訪ねてきた事を謝る。クラスメイトの親と、それも初対面の人と二人きりと言う状況に緊張している。
「いいのよ。普段訪ねて来る人もあまりいないから、退屈なの」
朝霧君のお母さんはそう言って笑った。
「それで、晴に何かご用?」
そう聞かれて、すぐには返事を返せなかった。これから私は、きっとこの人が想像もしていない事を言うのだから。
込み上げてくる不安を少しでも鎮めようと、私は静かに息を吸い込んだ。
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