第22話 彼も私も
「オレンジで良いか?」
朝霧君がそう言って、買ってきた缶ジュースを渡す。私はそれを、彼の顔も見ることも無く、下を向いたまま黙って受け取った。
態度が悪いのはわかってる。だけど今は許してほしい。なにしろ、恥ずかしくて顔を見ることも、返事をすることもできないのだから。
ついさっき盛大に自爆してしまった私は、そのショックでしばらくまともに話すことさえもできなくなってしまった。このままじゃ埒が明かないと、とりあえず近くの公園にあるベンチに座って落ち着くのを待っているのだけれど……
「落ち着いたか?」
こうやって顔を覗きこまれると、また恥ずかしさがぶり返してしまいそうだ。
一日中彼を見ていたという奇行を暴露した上に、今はこうして気を使われているというかなり精神的に痛い事をやっている。朝霧君だって、こんな状況は早々に終わらせたいと思っているに違いない。
なんとか小さく頷くと、消え入りそうな声で呟いた。
「……それで、話ってなに?」
元々、朝霧君がそう言ってきたのが始まりだ。何の話かは分からないけれど、黙って聞いて、さっさと退散してもらおう。
すると、朝霧君は私の隣に腰掛け、言った。
「もう一度聞きたいんだけど、五木は妖怪の事とか話をしたくて、一日中俺を見ていたんだよな?」
「言わないで!」
思わず真っ赤になって叫ぶ。黙って聞こうと決めたのに、数秒と持たなかった。できることなら、今すぐ記憶から消去してほしい。
だいたい、その事じゃないなら話って何なの? それとも、元々の話なんてどうでもよくなるくらい、私の言ったことが酷くて呆れてるの?
涙目になりながら朝霧君を見る。
「ご……ごめん」
圧倒されたように謝ってくるけど、本当は彼が謝る必要なんてないのに。そう思うと、ますます申し訳なくなってくる。
「べ……別に謝らなくていいわよ。私が……そういう事してたの本当だから……ごめん」
「いや、五木だって謝る必要は……」
朝霧君はそう言うけど、これは十分に謝らなきゃいけないことだ。
「だって……一日中ジロジロ見ていたなんて、嫌でしょ……」
自分で言っていて悲しくなってくる。嫌というか完全に引くだろう。これからは普通の会話すらできなくなったかもしれない。
「えっと……五木はやっぱり、自分が同じことされたら、嫌?」
「……そりゃあ、嫌よ」
私がそう言うと、とたんに朝霧君はがっくりと肩を落とした。そして、なぜかとたんに暗い顔になる。
なんなの?
「やっぱり……ごめん」
なぜか再び謝ってきた。
「だから、朝霧君が謝ることなんて何もないじゃない」
それとも今のごめんは、もう話したくないという意味かもしれない。
胸が苦しくなる。だけどここまできたなら、もうバッサリ切り捨ててもらった方が良いかもしれない。
「ええと……そうじゃなくて……」
朝霧君は歯切れ悪く言うと、そこで一度言葉を切る。
そして、意を決したように言った。
「俺も、今日ずっと五木のことを見てた」
一瞬、時が止まったような気がした。
朝霧君が、私のことを見てた?
「なんで……?」
「理由は、五木と同じ。妖怪のこととか、五木となら話せるって思って」
朝霧君は、そう言って、少しだけ恥ずかしそうに続ける。
「だから、五木が言ってた……ずっと見ていて、嫌だとかキモいとか、全部俺にも言えることだから……ごめん」
つまり、朝霧君も私と同じように、もっと話をしたいって思っていたってこと?
何だかむず痒くなって、それ同時に胸の奥が熱くなる。見ていたのが、話したいと思っていたのが自分だけじゃなかった。その事が、純粋に嬉しかった。
「俺は、五木ともっと話がしたい」
震える声で、真剣な声で、朝霧君は言った。
だけどここにいたるまでの経緯はグダグダで、お互いにかなりかっこ悪い状況だ。
それでも、その言葉を聞いて自然と笑みが浮かんだ。
「もっと早く言ってくれたらよかったのに」
と言っても、私だって同じように言いだせなかったんだからお互い様だ。それなのに、朝霧君はそれを聞いて小さくゴメンと呟いた。
「私も、もっと早く言えば良かった」
そうしたら、さっきまでのような醜態をさらす事も無かったのに。そんな私の心境を悟ったのか、朝霧君が小さく笑う。
「おかしいと思うんならもっと笑えばいいでしょ」
いじけて怒った顔を向けると、朝霧君は少しだけ困る。
「…………そんなことないよ」
なんだか返事に間があった気がするけれど、とりあえずは気にしないでおこう。それより、まだちゃんと返事をしていない。
とは言っても、朝霧君も話の流れから、返事は大体わかっていると思う。
それなのに、変に緊張するのはなぜだろう。
「よ……よろしくお願いします」
出てきた言葉は、ひどくたどたどしいものだった。お互い表情はまだ硬くて、交わす言葉もぎこちない。だけどさっきまでよりも、確実に距離が縮まったような気がした。
ここから始まるんだ。今まで心の奥に閉じ込めたまま、誰ともすることの無かった話を。
そう思うと、次第に胸の音が大きくなっていくのが分かった。
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