第17話 打ち明けた秘密

「話は、歩きながらでいいか?」


 朝霧君はそう言うと、私が頷くのを待ってから歩き始めた。土地神は、この道だと遠回りになると言っていたけど、話しをするにはちょうどいいだろう。

 道幅は狭く、時折横から木々の枝が飛び出している。朝霧君が私の前に立ち、それを取り除きながら先行する。自然と私は、朝霧君の後ろについていくような形になった。


 口を開いて、、だけど何も言えないまま再び閉じる。この僅かな間にそれを何度繰り返しただろう。本当は歩きはじめてすぐに話を切り出すつもりだったのだけれど、思った以上にそれは勇気が必要だった。

 なにしろ私にとって、今まで誰にも言ってこなかった秘密にかかわる事だ。そう思うと、簡単に言い出すなんてできなかった。

 この前の夜といい、なんだか朝霧君と二人でいると、いつもこんな沈黙がおこる気がする。

 だけど、いつまでもこうしているわけにはいかない。私はその沈黙を破るため、今度こそ言葉を紡ぐ。


「どうして戻ってきたの?」


 本当はこんなことが聞きたいんじゃない。けれど本題に入るのは勇気がいるから、まずは話しやすい内容から聞いていくことにした。


「暗い中、女の子一人で歩くのは危ない。それに、あんなふうに人がいなくなったんだ。心配にもなる」

「心配してくれたんだ」


 それでわざわざ戻ってきてくれたのか。それは素直に嬉しくて、少しだけ横に並んで朝霧君の顔を覗き込んだ。それが恥ずかしかったのか、朝霧君は僅かに目を逸らした。


「お守り、見つかってよかったな」


 朝霧君が話題を変えるように言った。それを聞いて、さっき土地神から返してもらったお守りをポケットから取り出すと、目の前にぶら下げて眺めた。


「大事なものなのか?」


 朝霧君が不思議そうに訪ねてくる。確かに、普通なら必死になって探すほどのものでもないだろう。けれど、私はそれに頷いた。


「うん。お父さんとお母さんとの、最後の思い出だから」

「最後って……」

「私の両親、亡くなったの」


 私が中学校二年の夏、家族旅行の帰りに両親は事故で亡くなった。このお守りは、その旅行中に両親が買ってくれたものだった。



 小さいころから妖怪の姿に怯える私に、両親はそれを子供の空想だと思いながらも、何とか安心させてやりたかったんだろう。これがあれば怖い事から守ってくれると、小さいころからお守りやおまじないのグッズを、まるでオモチャをくれるような感覚でもらっていた。

 私が人に妖怪の事を話さなくなってからもその習慣は残っていて、旅行でどこか大きなお寺や神社に行った時は、何かしらのお守りを買ってくれた。残念ながら私の体質はお守りの力を持ってしてもどうにもならなかったようだけど、それでも私を安心させようとする両親の想いは嬉しかった。

 そしてこれは、両親が亡くなった最後の旅行中に買ってもらった物だった。


 私にとって、このお守りは効力以上に大切なものだ。両親が無くなった時の事も一緒に思い出してしまうけど、それでも大切な思い出だ。


 朝霧君は良くない事を聞いたと思ったのか、申し訳なさそうな顔をしている。私が両親の話をすると、殆どの人が最初はこんな表情になる。

 それは無理も無いことかもしれないけれど、私はそういう反応をされるのを望んではいない。だからこういう時はあえて明るく言うようにしていた。


「同情とか別にいいから。そりゃあ寂しいとは思うけど、そのせいで自分が不幸だなんて思った事は無いわ」


 最後のは少しだけ嘘。両親が死んですぐは、それこそこの世の不幸を一身に受けているかのような気がしていた。

 だけど一人じゃなかったから、お婆ちゃんを始め周りの人が支えてくれたから、だから今ではこんな風に言えるようになっている。

 

 少し話をしたおかげで、だんだんと落ち着いてきたような気がする。


 静かに息を吸い込み、いよいよ本題に入ろうと、私は覚悟を決めた。途端に、それまでおとなしかった心臓がドクンと大きな音を立てた。

 どれだけ落ち着いたつもりでも、いざ言おうとするとやっぱり怖い。口の中が渇いて、代わりに嫌な汗が流れ出る。

 それでも、ここのまま聞かないでいるなんてできなかった。小さく息を吸うと、なおも鼓動が高鳴るのを感じながら、言った。


「朝霧君って……見えているよね……」


 あえて何がとは言葉にしなかったけど、もちろんそれは妖怪の事だ。

 この質問はただの確認作業だ。現に朝霧君は、さっき私と一緒、に妖怪の――正確には土地神だけど、その姿を見て会話までしている。わざわざ聞かなくても、すでにその答えは明らかだった。


 だと言うのに、私の声は震えていた。もしかしたら、見当違いの答えが返ってくるんじゃないか。そんな不安がぬぐいきれない。

 なにしろ今まで妖怪の姿が見える人なんて、私以外には誰もいなかった。その事をわかってもらおうとするたびに、変な子だと思われ、嘘つきと言われ、気味悪がられた。


 そんな記憶が次々と浮かんできては、私の心を締め付ける。

 実は全部私の思い違いで、朝霧君も本当は妖なんて見えずに、私の事を異常だと思うんじゃないか。この辛さをわかってくれる人なんて、どこにもいないんじゃないか。

 嫌な想像が渦巻いて、今言った言葉を取り消してしまいたいとさえ思ってしまう。

 いつの間にか足は止まり、ただ朝霧君の答えだけを待っていた。彼が口を開くまでの数秒が、永遠とも思えるほどに長く感じた。


「見えるよ」


 朝霧君は、静かにそう言った。


「俺にも妖怪が見える。その……五木と同じように」

 

 もう一度、言った。妖怪が見えると。

 私はしばらくの間、時が止まったようにその場で固まっていた。


 朝霧君の言った言葉が何度も胸の中で繰り返され、ゆっくりとその意味を噛み締める。


 妖怪が見える。その一言が、私にとってはどれほどの重みがあるだろう。


「五木?」


 名前を呼ばれて、弾かれたように体を震わせた。そこで私は、初めて自分の視界がぼやけている事に気づく。いつの間にか、目には涙がたまっていた。


「あれ……なんで……」


 戸惑いながら溢れてくる涙を手でぬぐう。


「五木、大丈夫か?」


 急に泣きだした私を見て、朝霧君が焦ったように言う。

 私だって、どうして自分が泣いているのかわからない。けれど、悲しいわけでも無いのになぜか涙は止まろうとしない。そればかりか、胸の奥から痛みや想いが、溢れ出るようにこみ上げてくる。

 その事に戸惑って、同時に泣いている姿を見られているのが恥ずかしくて、いたたまれなくなって、そこから逃げ出そうとした。


 朝霧君に背中を向け、駆け出そうとする。けれどそれよりも早く朝霧君の手が伸びて私の腕を掴み、そのまま体を引き寄せた。その拍子に、朝霧君の顔が一気に近づく。


「……本当に……見えるの?」


 嗚咽の混じる声で私は聞いた。

 もしもどこかにそんな人がいるのなら、自分一人で抱えている秘密を打ち明けることのできる誰かがいるのなら、会ってみたいとずっと思っていた。

 だけどいざ現実に現れた今、その衝撃に心が追いつかない。


「見える。だから五木も見えないふりなんてしなくていい。本当は怖いのに、無理して平気な顔なんてしなくていい」


 息のかかるくらいの距離で、朝霧君が優しく言った。私を少しでも安心させようと、精一杯の笑顔を見せていた。


 けれど、近くにいるからわかってしまった。その手は私と同じように震え、笑顔は微かに強張っていることを。


 その理由はきっと、私が秘密を晒すのを恐れていたのと同じだ。朝霧君もまた、この事を打ち明けるのを怖がっていたんだと悟る。

 それに気づいた瞬間、それまでどこかにあった、怖れや不安が消えて行くのを感じた。


 自分だけが。そう思うのがずっと苦しかった。誰にも打ち明けられないのが辛くて、何でもないと周りにごまかすたびに孤独を感じていた。

 だけど、それは私一人じゃなかった。そのことがただ嬉しくて、その思いは涙となって零れていった。


「うぅ……っ……」


 嗚咽が混じり、喉が、胸が、苦しくなる。

 涙はますます溢れ出し、頬を伝って足元を濡らしていった。


 ポン———―


 不意に、頭の上に柔らかな感触が広がった。

 僅かに目を向けると、泣いている私を落ち着かせようと思ったのか、朝霧君の伸ばした手が私の頭を優しく叩いていた。


 ポン————ポン————


 何も言いはしなかったけど、その代わり私が泣きやむまで、何度も何度も優しく叩いた。

 その手の感触を受け止めているうちに、不思議と穏やかな気持ちになっていく。


 そっと顔を上げた私に、朝霧君はもう一度笑いかけた。ぎこちなくて不器用で、それでいて優しい笑顔だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る