第38話 袁瑞という『巨星』

袁瑞将軍にとって、それは他に道などあり得ぬ選択だった。


『一門の引き締めと使用人の徹底した洗い出し』


経歴ばかりか、根本からリスクチェック。古参の人間をも含め、いかなる例外もなく『背後関係』を徹底して確認。


内外の不和がある情勢下、家の結束を乱しうる危険な一手。

けれども、それを行わないことには家政の秘密すら保ち得ないという真剣な危機感が袁瑞を突き動かした。


なにしろ、軟禁されている『彼女』が軍師同士の恋文とかいう戯言に擬態した連絡を取っているという一言があったのだ。


袁瑞としては、水漏れ口を抑えぬことには安眠一つおぼつかない。単純な話をするのであれば、袁家にとってみれば『至極単純な防諜』である。


主観として言えば、それは内輪の話にすぎぬ。

誰に憚る必要があるでもなく、袁瑞個人の安心が得られた時点で終わる調査だ。


……袁家としては。





北辺の地よりはるか離れた震旦が中央。

中つ国の中にあるそれを都という。

人よんで、京師。


「……袁瑞将軍が、我が方の間者を狩りだしている?」


「間違いありません。それも、並々ならぬ力の入れよう」


「例の……そう、館が襲われたことへの対応という話は?」


陰が、囁く。


権力の傍にある汚濁の淀み。

彼らは、ただ、そこにある。


「どうも不審がかさみます。袁瑞将軍にとって余りにも時機が良すぎる襲撃でした。そもそも、頭の目出度い賊とて……輔国大将軍の居館を高々100人で襲えると妄想するものですか?」


暗黙の裡に示唆される意味合いは、『偶然』ではないという可能性。


宮中雀であれば、そこから一歩も、二歩も踏み込んで妄想を膨らませうる。なにしろ、彼らは常日頃から謀略と誇大妄想の境界線上を彷徨っているのだから。


「……自作自演?」


なぜ、とは誰も問わない。


「襲われて、間者がいた。だから、間者狩り? いやはや、とんだ偶然があったものですな」


賊を手引きした輩を探すと言われれば、なるほど、尤もらしい。

道理にかないすぎて、逆に疑わしいのだ。


そして、彼らは『首輪』を猫が外すのを嫌がる。


だって、怖いから。


鎮北大将軍という重責を使持節都督という強大な権限と共に担っていた袁瑞将軍。

北で失敗を犯せばよいものを、なんと王林都督という武人が敗れた遊牧民を相手に連戦連勝。


潜ませている手勢の報告によれば、会戦において正面から数的優勢を誇る遊牧民の一翼を『文字通りに全滅』させる大戦果まで。


戦果を握りつぶそうにも、権門かつ先の外戚。袁家という名家を相手取っての妨害は甚だ難しい。しかも、戦果の規模が規模だけに……過小評価しようにも、ごまかしようがない。


直後に、袁瑞将軍発病の確報が得られなければ『手段』を考えるものが数多出てきたことだろう。そして、時期の絶妙さからして多くが詐病を始めに疑った。裏付けが取れる迄、京師の噂は『袁瑞将軍の本心』に関することで持ち切りだったほどである。


もっとも、確報を掴めていた宮中の人間は『袁瑞将軍という有能すぎる外戚』が自然死してくれるやもしれぬという可能性に喜色満面を隠せなかったのだが。


いっそ病没すれば……欣喜雀躍のあまり、宮中雀の舞いが見れたやもしれない。


けれども、奇跡的に回復。幾分、彼らの願望は外れるも……袁瑞将軍の予後は望ましからぬという風聞があり『希望』は持てた。


だが、彼らの楽観は袁瑞の手による『外交手腕』でものの見事に吹き飛んでしまう。


北部、北夷の服属。

凡そ、群臣の誰もが予期し得なかった巨大な功績。


よもや、と誰もが耳を疑った。


それは、開祖、太祖の二人をして困難だった巨大な実績。

更新2年の吉日に上奏されるや、誰もが目を見張る。


文字通りに、北夷が許しを請うそれ。

羈縻政策の完璧な成就を前に、常日頃ならば袁瑞の脚を引っ張ることを考える高位高官ですら魅力的すぎて諸手を挙げざるを得ないそれ。

巨大な歳費が浮く、となれば官吏なればこそ反対できぬ。


誰が、反対できようか。否。巨大利権を生み出しうる提案に、正面から対峙など不可能だ。派閥政治を知っている政治的動物にとって、平和という金の卵を産む鶏は喉から手が出るほどに欲しくてたまらないもの。


……だからこそ、表向きは袁瑞将軍の功績を賞するしかない。


強すぎると危惧されていたにも関わらず、袁瑞将軍もまた功績に見合った報酬を得る。


鎮北大将軍から、輔国大将軍への叙任。

元外戚にすぎぬ一介の武人が、皇族並みの待遇を受けるという時点で穏やかならざる人々は一定数を越えるものだが。


それでも、実績……もたらされた『平和』という現実は否定できぬのだ。

巨大な歳費が浮く、となれば官吏なればこそ反対できぬ。

そして、余剰と化した軍費の分配をめぐって彼らは暗闘を始めなければならなくなってしまう。


それは、まぁ、いい。よくはないが、宮中雀にとってそれは優先順位の問題なのだ。


だが、それでも。


彼らもまた、袁瑞という巨大な外部の雄に対する警戒心は怠り様がない。


……だからこそ、一様に顔を顰めるのだ。


袁家が、動くのだ。

北部で『間者』を根こそぎにしようと!


その意図を、誰もが疑う。

疑わざるを得ない。


忠臣であれば、憂いる。国家の先行きを。

奸臣であっても、憂いる。強大な対抗相手の存在を。


誰もが、巨大すぎる功臣を疎むのだから。


小さな火種にすぎぬとても、しかし、それは、火種である。

平和だからこそ、その火は燻るのだ。

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