第43話 石峻、挫折を味わう

彼女は、思う。


どうして、私を、置いていくの?


ほかの木偶の坊は連れていくのに、どうして、私とは遊んでくれないの?


私が、悪いの? 私が、お外で遊べないのがいけないの?


どうして、貴方は私のことを置いていくの?


私は、私だけは、貴方とちゃんと遊べるの。


貴方のやりたいことなんて、私にだってわかるのだから。


「混水摸魚に始まり、趁火打劫に至り、最後は隔岸観火」


囁く声の主は、寂し気に涙をぬぐう。


「そうですよね? だって、貴方は、軍師なんですもの」


彼女は、憂いと哀しみを混ぜしっとりとした吐息を零す。


軍師ならば、軍師の意図はわかる。だって、余りにも『自明』なのだから。


惚れ惚れする『丁寧』さで愛おしい貴方はやるのだろう。


きっと、ううん、間違いなく。それは、素敵な真面目さの反映。


でも、と彼女はそこで小さく首をかしげてしまう。


「あれ? 変ですね?」


軍師というのは、本質的に混沌を制するもの。

間違っても、手筋は読ませぬように取り繕う。

陰陽のバランスをどちらかに傾けるが如き愚行はあり得ない。


「混水摸魚に始まり、趁火打劫に至り、最後は隔岸観火?」


自分の口にした言葉を繰り返し、口の中で弄び、そして……彼女はふと想う。


今は亡き、師父こと軍師たち。

手筋を、ただの一度でも彼らは読ませてくれただろうか。


「否」


小さく呟き、彼女は古き日々を思い出す。


僅かに教えを請うた先人は、全てが『混沌』だった。


『分かっていても避けられない謀略』を仕掛けた事例もあるにはある。


けれども、それは、正確ではない。少しだけ、違う。


少しだが、しかし、決定的に違うかもしれぬ。


……『看破したところで、避けられない』というべきなのだ。


見破ったところで、避けがたい一計。それはつまり、見破ったところで『もはや手遅れ』という段階まで推し進めている。


軍師とは、とどのつまり、軍師以外に理解され得ぬ生き物だ。


だが、だからこそ、天敵種である他の軍師に読まれるような手筋は忌み嫌う。


「愛おしい背の君だから、私は、あの方を理解できる?」


乙女心には、嬉しい答え。

砂糖菓子のように甘く、甘く、心に染み入る甘美な結論。

一口含んでしまえば、それに溺れてしまいたい。


でも、それは、彼女の恋愛では許されないのである。

震旦にただ二人の軍師として、背の君たるべき愛おしい貴方。

愛すべきは貴方のしゃれこうべであって、砂糖菓子如きではないのだから。


嘘塗れの砂糖菓子?

そんな子供だましなど、お呼びではない。

叔父上にでも食べさせておけばよろしかろう。


「あら、そうですね」


ぽん、と手を合わせるや彼女は花の顔をほころばせる。


憐れにも、袁瑞大将軍は多忙を極めて久しい。


輔国大将軍府が処理すべき案件は、山積して久しいのだから当然だろう。

蓮氏族が北庵公として服属したとても、塞外の情勢に油断はできず。

とどのつまり、北の統治は一朝一夕に完遂されるものではない。


それどころか、当事者たる叔父上はさらに仕事を抱え込む。

部曲の兵を別にすれば、官軍の兵は今や続々と帰郷中。

『平和』なのだから、大貴族に大兵を当てたくないという中央の意向もあるのだろう。


なにより、お優しい陛下が兵を帰農させたいと欲すれば。衷心から忠臣たる叔父上は、手元の兵力が減衰することも承知のうえで命に服している。


叔父上には、いまが、きっと、一番、幸せな時代だ。

夢を見せて差し上げよう。

砂糖漬けの優しく儚い幻想を。


そして、私は、『違和感』を考える。


「なんだろでしょう、この『もやもや』」




当人たちは知らないが、当人たちは酷く似ている。

故に時を同じくして、彼もまた気が付いてしまうのだ。


「なんだろうか、この、もやもやは」


輔国大将軍府に属する北夷校尉単石こと、悲劇の貴公子中の貴公子、士大夫の中の士大夫、誇りある文化人である僕、石峻は馬上で苦悩していた。


先日、緊朝が南方の領域に手反乱勃発という一報を耳にしたときは心中で喝采を叫んだものだった。


『火種がこんなにも豊富だとは』、と。


実際、もともと統一王朝たる過程で開祖陛下はなりふり構わず軍師共を活用した。


戦列にあった太祖陛下ならばさておき、今上帝はその辺の『微妙』な配慮を行うだけの経験が乏しいだろうとは見ていたのだが……着火が余りにも簡単なので僕はやるべきことが単純だなぁと苦笑したほどである。


だから、朝廷が諸々の施策でへまをやらかしているのを見れば愉快痛快そのもの。

ニマニマが止まらない……の、はずなのだ。


ところが、僕の軍師的直感と軍師的警戒心が揃いも揃って緊急の警鐘をこれでもかと乱打し始めている。


これは、不味い。酷く不味い。どう不味いかというと、糞父上が僕をぶっころそうとした時と同じぐらいだ。


「……か、考えるんだ」


状況ならば、完全に理解している。


緊朝は、冗官整理というヘマをした。


今上帝は民を愛おしむという善意で以て、破滅への坂道を転がり落ちているのだ。


このままいけば、緊朝をさっくりと焼ける。


焼け野原の跡地には、僕の素敵な竹林暮らしを確立できることだろう。


「……ん?」


ふと、僕は何か違和感に引っかかる。


坂道を、転がり落ちる。


……坂道を、転がり落ちる?


「それって、策略に嵌められた愚か者の末路……」


馬上、その瞬間、僕は思わず周囲の目も憚らず軍師的不作法をしでかしてしまっていた。


「あんの! 糞爺共かぁ!!!!!!!」


死せる性悪軍師共!

いける士大夫石峻を嬲るだと!

何たることか!


「糞ッ、糞ッ、糞ッ!」

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