第22話 彼女と決戦前夜
満を持して、双方が全力をもって他者を叩き潰さんと兵を繰り出す夏。
いよいよ、決戦が訪れようという時期。
僕は……初夏の恵みを、腹いっぱいに堪能する。
白い食事。
遊牧民の家畜が提供してくれる乳製品。
中つ国では高級品が、ここでは食べ放題!
貰った茶葉はまだ余裕があるし、お茶を飲み、肉を喰らい、乳製品を楽しみ、天幕で日差しを避けつつゆっくりと午睡を楽しんでから起床。
完璧な竹林ライフとまではいかぬまでも、おおよそ、士大夫らしい生活姿勢は崩さずに済んで幸いだ。
勿論、僕も軍師的警戒心を捨てたわけではない。
天幕には侵入者感知用の鈴を用いた罠をセット。
軍師剣術用に名刀だって勿論完備だ。
安眠するためには、いかなる努力を惜しんでもいけない。
「ああ、ほんと、こんな気持ちのよい季節に戦争とは」
全くもって、『彼女』は我儘だ。
だが、僕は袁瑞将軍同様に付き合いの良い士大夫である。
向こうがやりたいというのであれば、仕方がないことだ。
「単の兄貴、そろそろ『予定』の時刻です」
「ああ、お夕飯の時間ですね。今日は羊肉でしたっけ?」
唖然とこちらを見つめる護衛の顔には、ごっちゃまぜになった言葉の切れ端が纏わりついて、何が言いたいかもさっぱりだ。
「どうかしましたか?」
「そ、その、もうすぐ衝突ですが……夕食の事ですか?」
「双脚羊は、食べたくないんで別にどうでもいいです。それに、ほら。勝っても負けても、僕らは移動するわけですから」
移動前の腹ごしらえ。
長距離を移動するときは、ちゃんとご飯を食べておかないといけない。
「温かい食事を食べられるということは、物事が順調だという証拠です。さ、皆で夕べを楽しもうじゃないですか」
馬乳酒はちょっと酒精が強いが、こんな日に少しぐらい空けるのは悪くない。
緊朝からすれば北の果て、荒野で石峻がささやかな宴を楽しむとき。
彼女は、鎮北大将軍府の置かれた城内で一人無言のまま書籍をめくる。
指がなぞるのは、文字の羅列。内容は、当の昔に暗記し切った兵法の理。
けれども、不思議と読みたかった。
「叔父上は、そろそろ、ですか」
煩いところもあるが、自分にとっては唯一対等に向き合ってくれる話し相手。
オトモダチでないのが惜しいけれども、それはそれ。
きっと、オトモダチのしゃれこうべを叔父さんが持ち帰ってくれるだろう。
お土産の一つぐらい、期待したいものなのだから。
策は練った。
手探りの、初作業だっただけに……どうしても無理をしたという実感はある。
護境校尉らをもう少しうまく使えれば。
いや、悔やんでも仕方のないこと。
十全に拘泥することなく、望みうる準備を全て整えた。
「オトモダチは、きっと、私の埋伏計を見破ったつもりでしょうね」
かくれんぼの大好きなオトモダチ。
軍師として、警戒すべき要点を忘れるとは思えない。
でも、それが陥穽。私の用意した悪戯。
「『看破した』と確信した瞬間、人はもう一つの穴に自信と共に埋まる」
人を誑かす術は、宮中でも学んだ。
おじい様や、老人たちから、私が学んだ全てを注ぎ込んである。
ただの裏切りではない。
一翼、丸ごと、取り込んだ。
一人、二人という規模がかわいらしい限り。
オトモダチは、ここまで予期し得ただろうか。
「……でも、オトモダチが迂闊であることを前提とするのはすごく失礼ね。私が彼の立場ならば、どうしたかしら」
疑わしきを全て斬る?
だめ。そんなことをしていては、疑心暗鬼で戦う前に軍がつぶれてしまう。
では、逆に裏切れないように前衛としてすり潰す?
あり得なくはないけれど、その前に離反されるのが目に見えて仕方ない。
いっそ、逃げ出すかしら?
実際に行えるかはさておき、理屈の上では一番に全うだ。
「ありえない」
そう、そんなことは。
「軍師が、そんな全うな性根ではなし。違って?」
手鏡を覗き込み、自分に問えば答えは知れ切っている。
迷うまでもなく、私だって『違う』道を選ぶだろう。
ああ、判らない。
読めない。この、私が、判らない謎。
どうするのだろうか。どう対応してくれるのだろうか。
彼は、私と、どう、遊んでくれるのだろうか。
「ふふ、オトモダチって素敵ですね」
叔父上の退屈な朋友関係は分かりませんけれども、退屈しない関係というのはおじい様の言われたように『生きている』という実感をくれるもの。
私という個人が、彼という個人と、生きとし生ける存在として対峙し得るという充足感。
「あとは、叔父上次第」
鎮北大将軍、使持節都督、袁瑞将軍。
叔父上には、肩書が多く、相応の実力もある。
王林都督の二の舞にはならないだろう。
会戦に持ち込んでしまえる環境を整えた時点で、ある程度以上は期待していい。
……この点、将としての叔父には何の不安もないといってよし。
けれども、と私は憂いを込めて嘆く。
「あの方は、愉悦を解しませんからねぇ……」
亡き母といい、亡き父上といい、全く。
私の近親は、皆がそうなの。
おじい様以外、どうして楽しまないのかしら。
義務で、戦争なんてやるのかしら。
火で遊ばないのは、どうしてなのかしら。
わからない。
わからないことは、キカナイト。
でも、誰に?
ああ、と彼女はそこで手を合わせてよいことを想いついたとばかりに微笑む。
「オトモダチを撫でながら、一緒に考えてみればいいですね」
決戦前夜。
後に、北蓮会戦と号される大会戦を前にして。
彼女は、ワクワクと寝台の上で身じろぎしてしまう。
「ほんとうに、ほんとうに、楽しみ……」
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