第28話 石峻、一敗を認め、謙虚に文を出す。
自然の恵み。或いは、落ち穂拾い。
兎にも角にも、蓮氏族が周辺の無主地を善意の管理者として保全していく中、僕の天幕も徐々に立派になっていた。
具体的には、どこかの誰かが天の恵みで遺してくれた豪華な絨毯や天幕である!
勿論、軍師的には贅沢がしたいのではない。ただただ、士大夫的に竹林で清談を行うが如き高尚な日々を過ごしたいのみなのである。
ただ、僕は己の士大夫的特性によって大きな失敗をしていたことを認められる程度には賢者でもあった。
ずばり、僕は……『彼女』の手紙によってとんでもない罠に嵌っていたことを自覚する。
己の天幕で、僕は今……猛烈な自己嫌悪と戦っていた。
「……してやられるとはっ!」
きっかけは、北部の諸都市に流れた風聞を耳にしたことだ。
何でも『袁瑞、発病』とかいう重大情報である。
最初はまた『彼女』の悪戯かとも考えたが……どうも、密偵、我が方の内通者、はたまた関市に赴いた部族民の報告全てを統合しても『露骨に袁瑞が不活発』となっていたという事実を認めざるを得ないのだ。
無論、軍師的にはタイミングが色々と良すぎるなという疑念はある。
だって、鎮北大将軍袁瑞将軍は世間でいうところでは『成功しすぎた』わけで。
てっきり、政敵らががっつり名家袁家没落のために襲い掛かるべきタイミングも近く……などと僕なんかも算盤をはじいたのだが。
詐病どころか、実際に発病していたとなると……ひょっとするとひょっとして袁瑞将軍には天命があるのかもと疑わざるを得なくなる。
もっとも、軍師的に一番可能性が高いのは『彼女』が一服盛った可能性もあるのだが。
そうなると、『袁瑞将軍がお酒を零してしまって……』などという意味不明な以前の手紙の一文の持つ意味も明晰に理解できてしまう。
これは、僕を惑わすための『真実に限りなく近い嘘』だ。悪辣なことに、日が経過して真実を悟らなければ全く意味が分からない一文でもあるだけに苛立たしい。
袁瑞将軍に一服盛るか、兎に角、無理やり『彼女』が体調不良にさせて袁家がお返事を送れる状態ではなくしているという通知。
もう一度、お手紙が欲しいというのは『日を改めて交渉しよう』という意味だったのだろう。
僕としたことが、『彼女』相手に戦場で一手先んじたことに増長し、言葉での誘導・時間稼ぎにまんまと乗せられてしまった。
屈辱、形容しがたい葛藤、そして苛立ちまぎれに僕は『僕の失敗』を認める。
袁瑞将軍が倒れたという前提で、更に猛烈に条件闘争すれば今頃は僕の富も激増してくれていたことだろう。全く、絶好の好機を失った。
「……認めましょう。貴方は、やはり、僕の天敵だ」
手紙一通で、会戦の果実を奪われる苦しみ。
「……言葉には、悪魔が宿るという。僕はその意味を、今、本当に理解できたなぁ」
悔しい。
だけど、これは。
きっと。
「そろそろ、お手紙を出すべきタイミングだな……」
舌打ちしつつ、僕は筆を執る。
彼女に敬意を込めなければならないだろう。
愛を語るのではなく、友情と尊敬、そして敗北を抱きしめて挑む必要がある。
前回と同じ文ではだめだろう。無論、自分を『売り込む』類の手紙なわけであるから……多少は誇張が必要だろうが。
釣り合いこそが、この場合は肝心だ。
一勝一敗の現実を踏まえれば、文調は整えなければならない。
それも、こちらの敗北を微塵たりとも文意に滲ませずに、だ。
軍師お手紙術の応用が望まれるところだろう。
一世一代の名文書を書き上げねばならない。
これは、正しく僕にだけ分かる軍師的緊張感であった。
しくじりは許されず、さりとて遅延も許されない。
『彼女』に先制されることなく、僕が機先を抑えなければ後々まで響くのだ。なんとしても……と僕が焦りを覚えかけた瞬間、足音で僕は咄嗟に意識を切り変える。
接近者。
足取りは普通。
だが、僕の天幕に……。
「あ、単軍師、ちょっといいかな?」
「また、ですか。お願いですから、レンさん。人の天幕に顔を突っ込んでから聞くのはやめてください」
軍師抜刀術でうっかり殺しそうになるのだけどなぁ。
なんて、僕は困りつつ注意を繰り返す。
だが、こっちの困った様子など先方は全く関心なし。
「細かいなぁ……。ほい、これ」
ぽん、と投げてよこされるのは……既視感のあるブツ。
結構厳重に梱包された、手紙と乏しき小包。
「なんです、これ?」
「単軍師宛ての手紙。じゃ、確かに渡したよ?」
ありがとうございます、と形式的に返事をしつつ僕は……震える手でそれを見やる。
開封すれば、ああ、嫌な予感の通りじゃないか。
『彼女』からの手紙だ。
それも、ご丁寧にご無沙汰を詫びつつ『愛しい貴方からの手紙が欲しいです』なんてふざけた例のそれ。
ああ、畜生め。
こんな時期に、こんな頃合いに、『また、お手紙が欲しいです』とだけ書かれた空虚な文を受け取る羽目になるとは!
勝ち誇った様子もなく。
前回と変わった様子もなく。
超然主義の極みここに極まる手紙だ。
いっそ、僕を哂えばよいものを。
哂えよ、『我が怨敵』。
君は、僕の心を散々に弄んで勝利したんだ。
「いいだろうっ……! そっちが、その気ならば、こっちにも考えがあるぞ」
拳を握りしめ、僕は誓う。
二度と、二度と、『彼女』のことを忘れまい、と。
侮りはしない。油断もなしだ。
魂を込めて、軍師として、勝ちに行く。
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