第26話 石峻、翻弄され、彼女の真意に惑う
蓮氏族の野営地は、目下、移動中である。
理由はすごく単純だ。
北蓮会戦後、なぜかご近所に空き地が目立っているので放置しておくのも不都合が多かろうと保全のために善意で確保している次第である。
遊牧民の生活は、一面ではとても厳しい。
手つかずの自然、落ちている資産、放置されている自然な生活拠点を無視するというのも勿体ないじゃないか。
そういう訳で、僕と彼らはあちこち移動し……時には部族の連絡が遅れがちだったりする。
この点で、連絡はどうしても『伝令』ありき。
駅伝でばっちり手紙が届く中原とは郵便事情で雲泥の差があるのは否めない。
手紙を託された人が届けてくれるまで、酷く時間がかかるものだ。
だから、『その知らせ』は彼にとっても予想外だった。
「単軍師、ちょうどいいところに」
野営地でばったりであったレンさんが、何かの束を振りつつ笑う。
はて、と首を傾げればポンとこちらに寄越す始末。
「なんか、急ぎらしいお手紙が来てるよ」
「僕に? 一体だれから?」
「さぁ? とはいえ、渡したから」
はいはい、と受け取りつつ僕はこの不審な手紙の束を大急ぎで目視にて見分。
重量は普通。刃物や毒物が仕込まれている確率は低いだろう。
針の可能性を無視することはできないが、軽さ、強度からして低リスク。
であれば、内容の問題か。
だが、封を確認しても問題らしいものは見当たらない。
軍師的に考えて、誰かが盗み読みしたり、封を弄った形跡はなし。
取りあえずは、受け取ろう。
だから素直にお礼を述べるや、僕は自分の天幕にとんぼ返りして入念に確認作業を始める。
鑑定だ。
軍師にとってみれば、書状鑑定ぐらいお手の物。
基礎中の基本だ。なにしろ、軍師というのは他人の手紙を盗み読みしたり、他人へ偽の手紙を送ったり、はたまた手紙の封を意図的に改ざんしたりと遣りたい放題。
軍師に掛かれば、ただの手紙一つだって恐るべき陰謀の片棒に大変化する。
破滅を避けたいのであれば、看破する目を装備するしかなし。
全く、この世は頭がおかしい人間が多すぎて生きていくのも楽じゃない。
「さて、これは……袁家のもの?」
頑丈な包み紙と封を破り、取り出せば明らかに『上質な紙』。
呆れたことに、何か、香しい匂いまで。
遠路運ばれてきたことを想えば、製紙の段階で紙の材料に手を入れたか、よっぽど高価な香料なり香木なりを使ったかだ。
手紙一枚からして、富と権力の誇示。
袁瑞将軍か、はたまたまだ顔の見えぬ『彼女』からの含みかは知らないが……金の力を信じているという無言のメッセージだろうか。
僕なんて、王林都督の遺品を大切につかっているというのに。
不幸な格差に嘆きつつ、僕は入念に手紙を確かめる。
勿論、『香しい匂い』には入念に気を付けているのは言うまでもない。
一度天幕の空気を入れ替え、可能であれば風を入れ替えられるように換気を徹底。
甘い香り、甘い言葉、或いは甘い何かとくれば『毒』を警戒しないやつが悪いぐらいだろう。人が搬送している以上、即効性の毒だとも思われないが……僕の貴重な生命と安全を思えば慎重にやって損はない。
取りあえず、半刻ほど放置するも心身に異常なし。
「どうやら、手紙のようですね」
油断なく手紙を広げ、僕は冒頭に視線を向ける。見れば、どうも、『女性から恋人』に向けるような内容の書き出しとなっている。
盗み読みされる対策か、或いは『僕の恋人』を偽装する深遠な陰謀だろう。
察するに、書いたのは『彼女』に違いない。
だが、封がしっかりしていたことなどを折り込めば『暗号』という解釈でよさそうだ。
となると、しっかり読まねばならぬと僕は頬を叩く。
散々に『煽ってやった』軍師相手からの返礼状である。
相手だって智謀の限りを尽くして僕に意趣返しを試みることだろう。
まして、変態相手である。
油断すれば、わが身の破滅すらありえる。
僕は腹を据え、姿勢を正して書状に眼を走らせ始める。
だが、黙読してもサッパリ分からぬ。
周囲を憚り、気をつけつつ素読してみても変わらない。
いっそ、毒か何かがこぼれ出るやもしれんと覚悟の上に炙りだしを試みるも変化さえなし。
「……まさか、僕がこんな」
書状一つ解読できないとは。
無論、僕は軍師を職業とするものである。
僕の本業は賢者だ。軍師的思考が弱いといわれれば、そうなのかもしれない。
だが、書状ぐらいの謎かけ如きに屈するなど。
「考えろ……考えるんだ」
恋人に宛てたかのように偽装するというのはわかる。
『愛おしい背の君へ』とか、その辺の言い回しは『首を切り落としてしゃれこうべ』にしてやりたい此畜生めぐらいだろう。
だから、妙に甘ったるい言葉遣いは『彼女』が僕に対する敵意を隠していない証左。
露骨な攻撃性だ。僕も彼女のことが気になっているので、彼女がこういう言葉遣いをする理由も察しはつく。
この辺は、男女の駆け引きというよりは軍師的駆け引きだろう。
ここまで、僕はなんの誤解もなく読める。
「だが、だからこそ分からない。……ここまで形式的に標準なのに、なぜ、こんな結論になるんだ?」
書状を受け取ったことに礼が書いているのは、士大夫的に正しい。
時候の挨拶も、恋人を装った標準の範疇だろう。
名前も名乗れぬことを詫びつつ、袁家が書状を受領したという報告書としては至極まっとうだ。
反面、僕の送った手紙に対する反応はさっぱりだというのは気になるところ。
黙殺されたわけではないが、返書の内容はすっかすか。というか、何もない。
唯一書かれている内容は、『お手数ですが、同じ手紙をもう一度愛おしい貴方様から頂ければ』という戯言。
「なんど読み解いても、この結論が変わらない。……どういうことなんだ?」
ひょっとすると、内容のない書簡を往復させることで僕の立場を嵌めようという策略だろうか?
「だが、それにしては……稚拙すぎる。『彼女』はなんだって『こんな嘘』をつくのだろうか」
幾ら僕が軍師でも分からないことだってあるのだが……この謎は特に重要だ。
「『お手紙、袁瑞将軍が間違って酒を零してしまって読めませんでした』っていくら何でも……。もう少し、輸送時のあれこれとか嘘のつき方もあるだろうに」
やはり、僕は『彼女』が理解できない。
これだから、軍師という生き物は困るんだ。
僕は一体全体、どうすればいいんだろうか。
手紙を書き直すべきだろうか。
それとも、これは計略と割り切って付き合いを断つべきだろうか?
だが、どのような計略か分からない以上、ここで手紙を断つことが正しいのか……。
分からないことが、怖い。
こんな露骨な嘘の後ろには、何があるのだ?
調べなければ。怖くて、夜も眠れない。
これだから、軍師と手紙を交わすのは嫌なんだ。
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