第39話 帝、善意で以て万民が為に親政を行わんと欲す

軍師にとって、ポストというのは意味をなさない。

そは軍師であり、軍師であるのだからポストは自分で作る。

なにしろ、軍師の席というのは軍師だけ。

軍師自身で軍師の地位をもぎ取るしかない。


だから、軍師の敵は軍師だけだ。

……原則的には。


従って、軍師は他の軍師に対する極度の攻撃性を誇る。群れることができぬという点では、ハリネズミも同然だろう。


しかるに、王朝の官吏というのもまた『席次』と『利権』に対する嗅覚を人並以上に持ち合わせている。


清廉にして潔白な官吏ですら、『必要最小限』の派閥と縁故の力なしには一日とて永らえ得ぬ官界。


それこそ、袁瑞という輔国大将軍その人ですら……『袁家』という巨大な名家の当主、一族の代表という基盤があって辛うじて持ちこたえられるのである。一個人の力など、族閥と縁故が藤のように絡まり合った政界において意味をなさない。


軍師は、個で完成する。

官吏は、群で完成する。


従って、僕が思うに……太祖は軍師という儘ならぬ個を剪定し、官吏という群の弊害を必要悪として飲み込む道を選んだのだろう。この点、開祖は逆だ。個人的な力で動かせる軍師という個を束ね、群を為す官吏を警戒した。


時代の差が大きいのだろう。戦乱の時代と、平時へ移行しつつある微妙な時代。


ただ、それでも、はっきりしていることはある。


「……今の陛下で、官僚を使えるかな?」


軍師に比べれば、弱毒性ではある。なるほど、一応は人間でもある。だけれども、結局のところ……官僚なのである。


きっと、彼らは平和の果実を貪るだろう。

僕が彼らのために用意したんだ。食べてもらわねば困る。

……ああ、楽しみだ。


僕は種をまく。火種の種だ。後は、素敵な欲深い士大夫たちが油を注いで育ててくれることだろう。


竹林で安穏と賢者になろうとする僕のような士大夫は少数派なのだ。

こんな無害な士大夫を軍師であるという理由で迫害し、追放するなど全く天朝はご運がない限り。


きっと、天命がないんだろう。仕方ないから、焼き払うまで。きっと、焔の中から、新しい何かが生まれてくれるはずだから。






天朝というのは、天命あってのこと。

当然ながら、天子には相応の権威と力とが期待される。


さて、統一を成し遂げた『開祖』にその手の疑念は一切ない。開闢の祖として、その剛腕を誰もが知っている。


『開祖』の元で統一戦争に従軍し、実質的に緊朝の今日を築き上げた『太祖』にしても群臣は疑問を抱きようがない。


だが、二人の偉大な先達に対し、即位したばかりの皇帝はどうだろうか。


若輩、そして実績はなく……血縁による正統性だけが認められているに過ぎない天子。統一戦争時の功臣が残り、多くの列侯や王族、果ては地方豪族らが幅を利かす中で……彼が何をなしうるか。


誰もが注目してやまぬ中、しかし、更新2年、新帝の船出を祝うが如き『慶事』が北より齎される。


『袁瑞』という名門袁家の当主が成し遂げ史、北方の鎮定。

頼るべきものが限られる新帝にとって、今は亡き父が遺訓でもって『お前の藩屛たれるのは、袁瑞だけだ』と言い含めてくれた忠臣は期待以上の成果を早くも叩き出す。


ハッキリと言えば、皇帝にとっても望外の結果だろう。『己の正統性』を内外に如実に打ち立てうる成果なのだから。


だからこそ、天子は袁瑞将軍を信任した己の判断を誇る。

それは、誤りではない。事実、袁瑞という臣は野心よりも忠誠が先立つ稀有な権門の党首である。彼を信じることができる限り、彼は最後まで忠を果たすだろう。


けれども、それは、帝と袁瑞という二人の間においてのみ成立する信頼関係だ。


先帝より後事を託されたと称する多くの群臣にとって、成果を上げ、かつ皇帝という権力者の信頼を一身に集める巨大すぎる功臣の存在は余りにも目障り極まりないのだ。


最も問題をこじらせるのは、正に、『平和』という事態だった。四方に脅威があるときは、まだ強力な軍閥の長というのにも多くの官吏が我慢する。四方に敵がいる以上、防ぐために使わざるを得ないと了解するものだ。


それが、どうだ。


今や、最も恐れられていた北夷が服属!

羈縻州足らしめることすら、可能となるだろう。ただでさえ北方の歳費は巨額の軍事費が転用可能となり、北方ならず四方で新たなポストが郡県制の確定により設けられていく。


それだけならば、天子にとって害がない。


けれども、今の帝は『袁瑞』を信用していた。

なにしろ、父帝こと太祖が遺してくれた言葉通りに働く『忠臣』なのだ。北に残しておけば、一切が安心という気持ちを抱くことがどうしておかしかろうか。


禁軍すら委ねるほどに、信を置く将が北辺を守る。

これで、自分は国内に専念できる。

……真に専制君主であれば、それでよかった。


帝の不幸は、祖父、父という先代らが『専制君主』としての大権を憚りなく行使する姿を見慣れ過ぎていたことにあった。


彼は、誤解しているのだ。

帝とは、天子とは、『そういう権限がある』ものだ、と。


己の前にひれ伏した群臣は、緊朝の臣下でこそある。されども、己の個人的な臣下でないという事実を今代の帝はまだ、知らない。


若く、意欲的な天子として、今代の政を始める姿勢は……親政だ。それも、積極的な取り組み。


父に倣い、天下静謐を。

更には、父が半ばでなしえなかった平和をしっかりと固めん。

決意も露わに、彼は『朝政』へ臨む。


万民のために、と誓って。


……良い帝たらんという、純然たる善意で以て。

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