第29話 石峻と彼女の『共同作業(初)』

鎮北大将軍、北辺の覇者こと袁瑞将軍。使持節都督の大権までも纏った権力者とみなされ共、彼には姪御一人すらままならないのが現実であった。


そろり、と自分の居室にいつの間にか現れるや『彼女』は唐突に微笑むのだ。

はっきりいって、きついものがある。回復途上の胃腸と神経が泣きそうになるとはこのことである。


「叔父上、おめでとうございます」


「……なにか、慶事でもあったか?」


半ば警戒からの条件反射的な問いかけに対し、彼女はしたり顔で微笑み続けていた。


「これは、異なことを」


「前置きはいい。軍師の言葉遊びに付き合える信協ではないのだ」


「では、本題を。ご命じになられた、北部の憐れな蓮氏族件ですが」


命じたというよりは、許可をもぎ取られた例の件か。

身構え、覚悟を決め、一度、天井を仰ぐ。

微かに震える呼吸を整えるべく、深い息を一つ。


よし、と腹をくくった袁瑞将軍は頷く。


「進展があったのだな? 話をきこう。奴らは、なんと?」


「天命を受けし緊朝に服属したいという申し出が」


おや、と袁瑞将軍は眉を寄せる。

……全く予想されなかったわけではないが、一番可能性が低いと思っていた展開になるのだろうか。


「真面目な話か? それとも、朝貢貿易狙いか?」


「金の話もさることながら……『北部塞外における支配権』を明確に認めさせたいという腹でしょう。ついでに申し上げれば、叔父上と仲良くしたいとも」


「仲良く? ……まて、敵の軍師が私と?」


ぎゅっと体の奥が痛む。

よもや、と思えどもその痛みをどうして忘れることができようか。

宿命的な苦しみといってもいいそれには、心当たりがある。


胃腸。


己の心を映し出すそれ。


それが、袁瑞の体の中で『悲鳴』を上げている。

とんでもない事態に巻き込まれる予感しかしないぞ、と。


「ええ。別段、先方も延々と戦い続けたいわけではない……と称しておりましてよ?」


「手打ちを希望すると? どの面を下げて?」


「お手紙によれば、王林都督の件は不幸な誤解だと」


「ほざく」


論じるに値しない戯言だと跳ねのけかける袁瑞だが、彼女は手紙を差し出しつつ笑う。


「今度は、ゲロを掛けないでくださいね?」


「……煩い!」


ひったくるようにして受け取り、一読するや……袁瑞の胃はまたしても警報を鳴らし始める。


曰く、王林都督は塞外へ一方的に出兵。不幸な誤解から、軍事的衝突に発展。

けれども、蓮氏族は『常に王朝を畏敬し、かつ慕っている』がために、官軍と事を構えるを好まず、王林都督の遺骸を回収に来た官軍相手には潰走。


閣下を相手取っても、戦意を抱きようもなく、連戦連敗。もとより緊朝に逆らう意思も意図も存在しな以上、酷薄な官吏ではなく……袁瑞閣下の如き信の置ける大人に仲介していただくことで改めて……云々。


「口だけならば、北夷も随分と殊勝になれるものだな。よくも、こんな出まかせを書き連ねることができたものだ」


どこの誰が書いたか知らないが、とんだ面の皮の分厚さ。この調子では、世界でもっとも宮中雀が醜悪だという信条を修正する必要すらあるやもしれん。


「……正義に適わん申し出だ。苛立たしいまでに、傲岸不遜ですらある」


「でも、叔父上がいら立っている理由はそこではないのではありませか?」


「分かっているならば、問うな」


「失礼をば」


優雅に一礼する彼女の所作一つ一つが袁瑞将軍の神経を逆なでしてやまないのだが……いや、これは八つ当たりなのだろう。


実際……『鎮北大将軍』という職分から袁瑞はこの申し出を『断るにはあまりにも魅力的』だと認識もしてしまっている。


格別の功績ということもさりながら、北部の安寧は緊朝にとって喫緊の課題である。

四方の内、もっとも強力な遊牧民族らが服属するというだけで国内の情勢全般すら改善に向かうだろう。

それこそ、北が平和になればどれほどの軍費が浮くことか。


巨額の財源。なまじ、名家の当主であり武官にして文官である袁瑞だからこそ……国家規模の利点に眼がくらむ。


これで、袁瑞個人や袁家への私的な利益供与であれば言下に断れた。


国家、ひいては天朝という弱点を露骨に突く申し出だからこそ、稀有なまでに真面目な袁瑞は苦悩せざるを得ないのだ。


「これを飲めば、一時の猶予は得られようが……先が明かるいとはとても思えん」


「そうでしょうか? 北部は安寧を。国家には兵火からの解放を。天朝には、貴重な時間を。誰もが、損をしない取引と存じますが」


至極真っ当な道理を説く姪御の姿で、改めて袁瑞は確信できる。

つまるところ、『軍師が強く勧める』策だ。

絶対に、明日もまた日が昇るくらいに、確実に裏がある。


唯一の問題は、その裏の所在を認識してなお、表向きの利点が国士として喉から手が飛び出すほどに魅力的ということにある。


胃をさすり、乾いた喉で空気を求める様に喘げども息が楽にならじ。


「それで? いかが、お返事を認めましょうか。お受けなさりますか? 不遜かつ下郎が戯言とみなして一戦を辞さない姿勢を示しましょうか?」


「……だから、どうして、貴様ら軍師は……」


『どうして、選択の余地を残さないのだ』、と先帝が呻かれたわけだ。


「それ以外の道がないのに、ご自由にお選びくださいと申すか。皇女殿下相手に言うべき言葉ではないのだろうが、敢えて言わせていただく」


「叔父上の言葉であれば、なんなりと伺いますが」


「……相手の軍師と、結託していないだろうな?」


そんな、と『彼女』は驚いたように顔を変える。


「結託などと。そんな大げさに仰らないでください。これは、二人で行うただの『共同作業』にすぎません」

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