第30話 石峻、平和の到来を希う
僕は緊朝から逃げだす羽目になった不運の士大夫である。
当然のことながら、祖国を好き好んで焼きたいわけではない。
ただ、必要だから焼く。
これは、純粋な必要の問題だ。
もっとも、僕も職人的な気質の持ち主なのだろう。
どうせ焼くならば、プロとして綺麗に焼きたい。
第一、統一王朝こと緊朝は現状においては強すぎるのだ。
たとえ、それが空虚な砂上の楼閣だとしても……なんで、僕一人で崩さねばならないのだといいたい。
僕は、士大夫である。
全ての労働を、自分ひとりで行うべき謂れは皆無だ。
てこの力を使えば、ずっと楽にできるだろう。
そういう訳で、僕が選んだ亡命先が北方の草原。
塞外の遊牧民に受け入れられる際、僕は自分の価値を示すために『秘策』を用意した。悲しいかな、多くの遊牧民は僕の頭脳を理解できなかったか、ほら吹きと笑いとばす。
だけど、蓮氏族の蓮大人は……まぁ、なんというか僕の『秘策』を拾ってくれた。
そういう訳で、僕は今、蓮大人の天幕でその計画が順調に進んでいるということを報告できる次第である。
「単軍師。天下三分の計とやら、本当になるのか?」
どこか、訝しむ顔で言われても……僕としては説明を繰り返すしかないのだが。
「ええ。先日、袁瑞将軍に送った『服属』の申し出は統一王朝である緊朝をバラバラにぶち壊す最良の一手です」
「何度聞いても、半信半疑だが」
「お言葉ですが、それは、遊牧民と農耕民の生活形態が全く異なるからです」
全人口が馬に乗り、全人口が弓を引ける戦士でもある遊牧民。
人口の大部分が農業に専念し、人口のごく少数が徴募される農耕民。
これで、農耕民の方が動員数で勝るのはひとえに『人口比率』の問題があればこそだ。
けれども、総員を戦闘員としてカウントできる遊牧民と異なり……農耕社会では兵力への動員は生産力を損なう度合いが甚だしい。
何より度し難いことに、統一までの中つ国は戦時だった。
緊朝のごとき統一国家が成立した時、朝廷は『巨大な兵力』を抱え込む。
飯を喰らい、武器を手に持ち、何一つ生産しない民。
平和が回復したのであれば、今すぐにでも帰農させたいというのが役人の本音。
僕は知っている。朝廷は、出費は大嫌いだが、税収は大好きだという真実を。
「緊朝は、なんとしても『平和』を楽しみたい」
「間違いではあるまい。誰もが、同じことを願う」
「仰る通りですが……不幸なことに、戦争が長すぎました。反動で彼らは性急です。今すぐにでも平和を楽しみたいとすら思っている」
戦時体制から、平時体制へ。
総動員体制から、動員解除へ。
軍費の歳費負荷からの解放。
「美しい夢です。誰がも抱く夢でしょう。誰もが『平和』によって『己の夢』が叶うと」
兵士たちは、帰郷して日常が回復することを願う。
官吏たちは、帰農させ戦時体制を解除することを。
宮中ですら、統一の象徴的な事業を欲するだろう。
「しかし、実際のところ……史書が物語るのは『統一』が最も危機に瀕するのは『統一』直後ではなく、『統一』を実態と至らしめるところです」
創業は成り易く守業は成り難し。
まして、と僕は心中で小さくほくそ笑む。
緊朝は、開祖によって実質的に統一王朝としての定礎を築き上げた。
開祖その人の気質について言うならば、『軍師を重用した』という事実で十二分に語れるだろう。
「僕の見る限り……夢だけ与え、兵士を帰農させる基盤などそもそもないかと」
「奇妙なことだ。まるで、統一したというのに内なる敵を抱え込んでいるような言い分だな」
「それに近いかと。緊朝は軍師が作り上げました。憎悪と怨嗟を鉄と血でもってむりやりねじ伏せたのですよ? 軍師的手腕以外で、これをどう束ね続けると?」
というより、僕が思うに無理だ。
だって、無理やり軍事力で支配下に組み込んで……太祖が辛うじて統合の努力を始めたか、始めないかで崩御。
「単軍師、そこも私には依然としてわからない。軍事力が要であれば、別段、解散する理由もなかろうに」
「失礼ですが、蓮大人ご自身が『戦士』だからこそのご意見でしょう」
「……どういうことだ?」
簡単なことですよ、と僕は嗤う。
「中つ国で、兵役というのは誰もが逃れたい苦役です。望んで従軍する兵士など、どれほどいましょうか」
僕だって嫌だ。
何が悲しくて、故郷を離れて、延々とあほな指揮官のしたで生き死にを賭して戦わなければ……となれば、気持ちはわかる。
「平和が訪れたとき、甲冑を纏い続ける気概を持てるものは多くないのです」
ところが、ここに問題が一つ。
今日平和になったとて、社会が一日もそれに伴って変わるかと言えば全然変化しないのだ。
戦乱で荒れ果てた中原。そこに、平和の希望を注ぎ込み、失望させれば反動で大いに燃えてくれることだろう。
慎重な統治者……とりわけ、太祖はこの点をよくご存じだったと見える。警戒を怒っていないのだから、あの方はそういう意味では治世の肝を抑えていたわけだ。
だが、それは『開闢』に関わった太祖という実績があって初めてできたこと。
今日、血統によって即位した陛下は『開祖・太祖』と比較され、自分なりの指針を示さねばならぬところにおあり。
こんなところで、軍縮など……魅力的すぎて自重など不可能だ。
……兵役経験があり、暇を持て余した大量の若者が世間に放たれるのだとしても、それこそを人心が望むという不条理を誰が悟ろう。
もちろん、何事もなければ、やがては社会が平時へと移り替わるやもしれない。
そこで、僕が火をつける訳だ。
至極単純に言えば、北を平和にして差し上げる。
僕も緊朝の禄を頂いていた士大夫なのだから、これは最後のご奉公というわけだ。
すると、どうか?
ただでさえ、縮小される軍備は更に『軍縮』の度合いを早めることだろう。
浮いた歳費は、当然ながらほかの事業に使われる。
……きっと、社会が収容できる以上の人口が、職にあぶれてくれるに違いない。
ああ、なんて簡単なんだ。
「そのうち、彼らが勝手に兵乱をおっぱじめてくださいますよ」
「それまで、我々は馬乳酒と茶でも飲みながら、優雅に朝貢貿易を楽しもうというわけか。中々に愉快な案だな。どこまで、うまくいくものかな?」
「賭けますか?」
「やめておくよ、単軍師。私は、結果を楽しみにしたい」
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