第32話 彼女は、平和の夢を見る


平和を望む心は、軍師特有のものではない。なんなれば、軍師というのは『次の戦争までの時間』のことを平和と呼ぶのだ。


この点、世人は少しばかり軍師と意見を異にするきらいがあるが……望むものが『似通っている』と言う点では同じだろう。


『彼女』の知る限りにおいて、望まない人間というのは稀だ。

それこそ、軍師である、軍師でない、を問わず社会全体が望むものと言っていい。


誤解されがちだが、戦争の僕である軍師であっても平和を否定なぞし得ない。むしろ、それは一つの道だ。

軍師にとって、真に望ましい『終わり』とは『覇権による平和』に他ならない。


力と権威、そして何よりも明白な目的に支えられる恒久的な揺らがぬ秩序形成。『彼女』が思うに、開祖ことおじい様の薫陶を受ければ、誰でもこんなことには思い至る。


だからこそ、と『彼女』は哂う。

叔父上の能天気さときたら、どうにもおかしくて仕方がない。

歌劇だって、退屈をここまで紛らわしてはくれなかった。


宮中随一の芸人らが、その粋を尽くした芸をしても……真実の葛藤と滑稽さには太刀打ちできないという現実。なんと、世界は驚きに満ちていることだろうか。


永遠ならざると承知のうえで、平和を求めるのであれば理想主義だ。けれども、永遠ならざることを黙殺し、永久平和を渇望するのは我慾も同然だろう。

そして、愛おしく思う。だからこそ、私に、『名前をはく奪された亡霊』に、機会が与えられるのだから。


平和。

平和。

平和。


この単語を並べるだけで、心が幸せになっていく。

なんと、素敵な単語の響きだろうか。

歴史書で読むばかりだったそれが、ついに、眼前に。


出会いたかった。

願っていた。

そして、ついにそれが門前にたどり着いたのだ。


相手の軍師がそれを仕掛けた、と分かった瞬間、彼女の眼からは随喜の涙が零れ落ちる。

オトモダチも、志を同じくしてくれているという歓喜。

常に、理解されなかった『心』を分かち合ってくれる人がでてくるというのは、理解者を失って久しい『彼女』にとっては文字通りに悦びである。


この気持ちだけは、嘘偽り様がない。


『かつての戦争』には間に合わなかった。

おじい様の世代が、全部、一人占め。

お父様ときたら、自分が御嫌いだからと好き嫌いで在りえた可能性を塞ぐ始末。


でも、もう、大丈夫。


愛しいオトモダチは、平和を約束してくれている。


平和。


素晴らしい未来を意味する単語。

きっと、次があるだろう。

戦争が終わり、平和が訪れるのならば、その次があるはずなのだ。


平和。


それは、未来に希望が持てるという確約。

薪の弾ける音を思い浮かべ、『彼女』は待ち遠しい未来を想う。

きっと眩く、一瞬で燃え尽きるような日々だ。


「今度は、私の番です」


おじい様たちは、退屈なさらなかった。

心から、生きているという実感のままに喜びを語っておられたのだ。

憧憬と渇望が交差し、手が届かぬ機会に涙するのもうおしまい。


「次こそは、私たちの、私とオトモダチの舞台」


平和という遊び場で、私は初めてのオトモダチと存分に遊べる。

きっと、きっと、きっと、それはとても素敵なこと。

考えただけでも、『彼女』は顔を真っ赤にしてしまう。


オトモダチと遊ぶ。

平和が訪れでもしない限り、夢想だにしえなかったことだった。

終戦期ではかなわぬことさえも、平和となれば別。


「なんて素敵な未来予想図。ずっと、胸のドキドキが止まりません」


はしたないことだと承知でなお、『彼女』はオトモダチのしゃれこうべを想う。

彼のしゃれこうべは、どんな風に扱えばいいのだろうか。

猫のように、撫でてあげればいいのだろうか。犬のように、私に忠実な存在として傍に侍らせてあげればいいのだろうか。


「ああ、オトモダチの好みも聞いてみないと」


志を同じくするとはいえ、オトモダチはオトモダチ。

きっと、『オトモダチ』にも自分の頭と欲があるに違いない。

それは大切で、愛おしいそれ。


平和が訪れるのだからこそ、知っておきたいそれ。


『彼女』は、乙女のように頬を恥じらいに染め、鏡を覗き込みながらつぶやく。

初めての事なのだ。どうやって、距離を詰めていくかを考えても……気になって、きになぅて、心が弾んでどうすればいいのか迷うのだ。


つまらないこと小さなことだって、甘えてみたい『彼女』の心には重大事だ。

恋に恋するという定型句が、なぜ、こうも生き延びているのかを当事者となれば心が頭よりも先に理解してくれるほどだ。


鳴き声は、どんな風だろう。

にゃーん、だろうか。

わんわん、だろうか。


こんな、他愛もない想像だって……甘美極まりない。

無為に流れるばかりだった時間に、複雑な色彩が宿り始め、世界が輝くのだ。単色の薄暗い淵から、私は光の当たる世界に平和という梯子を這うように登っていく。


今なお、脆く儚い梯子だとして、先にある光が見えてしまえば……『彼女』という軍師であってすら、執着を隠すことなど思いもつかないものだ。


「平和……ああ、本当に、なんて、愛おしいのでしょう」


そして、一日どころか一刻が、一秒が、永遠であるかのように待ち遠しくてたまらない。


だから、『彼女』は心から願う。


「はやく、平和になぁれ。平和になぁれ」

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