第3話 石峻、士大夫の心を語り馬を求む


軍師というのは、とても過酷な職業だ。

具体的には、『選択』という過酷な決断を求められる。

黒か、白か。それを、僕が決めなければならない。


選べるのは一度に一つだけ。

覆水盆に返らず。

選択を間違えば、その運命を挽回することは適わない。


「単軍師、どっちなんです?」


「レンさん、お願いですから急かさないでください」


「ぱっと選んじゃってくださいよ。いい加減、炙る燃料も勿体ない」


ちらり、と視線を向ければなるほど熱湯の準備はとっくの昔に出来ているらしい。

ぐつぐつと煮立っているところからして、人間だって茹で上げられる。

僕としては、だからこそ、黒か、白かを真剣に悩むのだが。


「これは、士大夫として譲れない一線なんです。黒か、白か。私には、吟味する義務があるといっていい」


「そんな大げさな」


「文化の違いかもしれませんが、人の一生というものは定めがあるのです」


大人の娘であるレンさんには、中々、分からないのだろう。

だが、人とは定命の生き物であり、天帝の定めた理からは逃れられない。

だからこそ、一期一会の機会を大切にするべきでもあるのだ。


「単軍師って、変な言い回し多いよねー。疲れない?」


「私は、軍師である以前に士大夫なんです。レンさん、これは、私の魂だ」


「ふーん。それで、結局、どっちにするんです?」


ううむ、北方の蛮夷には惻隠の情がないのだろうか。

否、我々と風俗が違うが故の文化的衝突かもしれない。

軍師は偏見も悪意も抱かないのだ。


敵を知り、己を知って、やっと戦争というのは100戦しても危うくない。

1%でも僕という玉の生命・名声にリスクがあるとか許容できないでしょ。

勝率9割とか、つまり6回も戦えばほぼ半分ぐらいの確率で危険!


と、そこまで考えたところで僕は時間切れを悟る。

苦渋にも苦渋の決断だが、選ばなければならないのだ。


「黒か……白か……」


「たかが、お茶の葉選びですけどね?」


「そう、お茶の葉っぱ選びですよ!? これ以上、何を悩めと!? 何か名酒でも入りましたか!?」




結論から言えば、僕は黒茶を選ぶことになっていた。

やはり、北方の食生活を思えば滋養を重視せざるを得ないのだ。

しかるに、淡麗で仄かな甘みのある白茶の味わいも捨てがたかった。


天幕でお茶を淹れ、礼儀正しく所作を正しての一服。

辺境にも、こんな穏やかな一時を齎してくれるお茶は最高だ。

これでつまみの饅頭があればいいのだが。


「レンさん、レンさん。捕らえた捕虜の中に、饅頭職人は本当にいなかったんですか?」


「いや、居ましたよね。単純に単軍師が、『違う!』って言い張っただけで」


「ですから……彼らは饅頭を創れるだけで、点心師ではないじゃないですか!」


「またその言葉遊びを……」


呆れたような視線を向けられ、僕は不本意だとばかりにお茶を啜る。

全くもって困ったことに、お茶なのに点心をつまむこともできないのだ。

あれも、これも、僕をこんな苦境に追いやった天朝の悪逆非道由縁である。


やっぱり、祖国は焼かねばならない。


「ところで、レンさん。貴方は僕の天幕でお茶をしていてよいんですか?」


「一体、なんでそんなことを?」


「いや、だって蓮大人、普通に戦利品の配分でのたうちまわってますよね?」


お手伝いしなくていいんですか、なんて僕は孝道から訊ねておく。

士大夫であるからして、当然、人倫を重んじるのである。

なお、我が糞父上には心より呪詛申し上げるが。


「ああ、私の取り分はもう分捕ってるから。親父さんの仕事に、口を挟んだりしないのが軍師流に言えば……私たちの流儀ってやつですかね」


「ふーん」


「そういう単軍師はどうされました? 取り分ですよ、取り分」


「ああ、私は馬を頂きました」


討伐軍の乗っていた軍馬。ちなみに、大半が『北方産』。

なにしろ、中つ国では軍馬の飼育が中々うまくいかないのだ。

そういうわけで、北方から馬を茶で買っている。


お茶を楽しみたい自分のような士大夫も、馬を獲得すればお茶を天朝と貿易で獲得できるという寸法である。


「馬? さては……売りに行くつもりですね?」


ええ、と僕は頷く。


なにしろ敗戦で軍馬を大量に喪失した緊朝は高値で馬を買ってくれる。

出所? もちろん、不問に決まっているじゃないですか!

これだから、略奪経済はやめられないんですよ。


勿論、たった一つのことに拘泥するのは非軍師的。

軍師とは、いつも一石二鳥を狙ってこそ。


「今度の市で討伐軍の情報収集を兼ねまして。一つ、馬商人でもやろうかなぁと」


「いっそ、奴隷商人として馬と人を扱われては?」


「双脚羊は扱わないことにしているんですよ。なにしろ、彼らは馬と違ってお喋りですからね」


中つ国に、僕が北方にいることを伝えられたりしたら大問題。

証人になりそうな連中には、ちゃんと、沈黙してもらわないと困るんですよ。

これで点心とか作れる人なら価値があるんですけどねぇ……。


お喋りなお口には、ちゃんと、石を詰め込んであげないと。


「単軍師、ほんと、おっかないですよねぇ」


微かに怯えた声を向けられ、僕はつくづく文化の違いを実感する。


「何をいうかと思えば。仁義と博愛にあふれた士大夫とは、私の事ですよ」


「試しに聞くんですけど……単軍師の過去を探ろうとするやつはどうします?」


「決まっているじゃないですか。静かにしてもらうだけです」


永眠でもしてもらいますよ。

僕が安眠するために。

軍師的に考えて、当たり前じゃないですか。


とはいえ、私は士大夫である。

謂れなき暴力は、大嫌い。

むしろ、友情と友誼と信義こそが本命と申し上げても過言ではない。


利益と人脈こそが、士大夫の強み。

ここは一つ、知己との交流を深めておこう。


「さて、レンさん。よろしければ、今度の市をご一緒しませんか?」


「護衛になれってか? 取り分は?」


うーん、と僕はそこで悩む。

蓮大人のご息女を護衛となれば、顔役としてはまず間違いなし。

しかし、僕の取り分を減らされるのも困る。


「……あなたが3。僕が7です。それ以上は譲れない」


「乗ったよ、単軍師。ああ、ところで。市では、貴方をなんと呼べば?」


「単と呼び捨てにしてください」


軍師って口外したら、分かってますよね?

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