第6話 石峻、大いに改悛し、天朝の慈悲を乞う
楽しい火の祝祭日が終われば、訪れるのは平凡な日常。
中つ国の北辺の北辺。その更に北にある遊牧民族の天幕生活とて例外はない。
北辺で馬を題材に詩だけ作ってるわけではないので、やることは多いが。
天幕で僕はチマチマと墨をする。
有力な氏族、蓮氏族だけに中々いい墨があるものだ。
たぶん、王林都督の私物を略奪した奴だろうけど。
まぁ、書ければよい。
なにせ、これから僕が大量に消費するのだから。
……別に贅沢したいわけじゃないんだ。
軍師というのは、お手紙を書いてなんぼ。
むしろ、お手紙を書かない筆不精とか軍師には向いていない。
軍師ってのはね、軍師筆と軍師マウスで戦うんですよ。
というわけで、お手紙を書きましょう。
今回お手紙を出すのは、可愛そうな相手へです。
どれくらいものの哀れかというと……蓮氏族にぼこぼこにされ、指揮官の遺骸も回収できずに逃げかえり、挙句、関市で暴動まで惹き起こされても傍観していた間抜けな緊朝北部都督府の皆様です。
災異説をうっかり信じそうになるくらい、無策なおまぬけさん共。
いや、僕、石峻って表向きに名乗らないただの単石だけどね。
昔は、宮中ものぞいていたわけで。徳とか冗談だろって思うんですけれどもね。
士大夫的に、王林都督に心から同情する次第。
卿も僕の顔を覚えていなければ、生きて帰れたのに。
おお、なんという悲劇。
この哀しみを乗り越えるためにも、士大夫的に僕は北部都督府と掛け合って王林都督の遺骸を故郷へ帰れるように手配しなければならない訳です。
なんという名誉ある仕事。
「というわけで、ここに下書きを用意したので、誰か、字の汚い方に清書していただければ幸いです」
よろしくお願いしますね、と僕は蓮大人の天幕で竹簡を差し出していた。
なにせ僕の手蹟だと、北部の遊牧民族が緊朝に出すには品位がありすぎるんでね。
ばれちゃうんですよ、背後に『何か』があるって。
「……単軍師、思うのだが古典的すぎないか?」
「仰る通りですね、蓮大人。ですが、効果的だ」
「……読めば読むほど、頭が悪い文書としか見えないのだが」
北部に会って、流石に大人ともなれば字も読める。
これ、京域ではジョークだと思われるかもしれませんがホントのことです。
字は別に、中つ国の独占物じゃないんですよ。軍師嘘つかない。
「蓮大人、おっしゃる通りです。僕も頭が悪い文面だと自覚していますし、マトモな知性があれば100人が100人、同意してくれることかと」
「なのに、これを送ると?」
疑わし気な大人の視線を浴びるも、僕はしっかりと頷く。
「関市を焼いたときの話も娘からは聞いているが……『緊朝』という連中は頭がどうかしているとしか思えん。単軍師、連中は本当にこの文面を真に受けるのか?」
マジか、と蓮大人が訝しむのも道理だろう。
なにせ、書いている自分だってきつかった。
蓮氏族にぼこぼこにされて尻尾をまいて逃げ出した北部都督府へ、皇帝軍チョー強くてかなわないからお慈悲を―って『許し』を求めるお手紙ですからね。
勿論、北部都督府の武威を称揚するだけじゃないですよ。
形だけですけど、王林都督の遺徳を慕うとか。
都督府と皇帝陛下の人徳を慕うとか、天朝万歳的な。
とかく、現地文官が読みたいと思う文面をツラツラと書き連ねた甘言の塊!
「往々にして、官というのは聞きたいと思う言葉だけを聞くものです」
「おべっか野郎だけを集めることになるのだぞ? 信じがたい。そんなことで、中つ国の連中は一族をまともに運営できるのか?」
「できません」
『そうであるべき』という理想は、いつだってかなえられない。
悲しいかな、現実と言う奴は残酷だ。
超名門貴公子士大夫石峻こと僕が、こんな北辺で無聊を慰める時点で当然である。
だからこそ、軍師が付け込む穴がたくさんで僕も楽ができるという次第である。
「……で、だ。単軍師。軍師がここまでヘンテコな文を送るというからには理由があるのだろうな」
はい、と僕は頷く。
軍師と言うのは、情報収集もある程度はできる。
もちろん、盗み聞きというのは士大夫の本領ではないのだが。
お手紙や軍師耳で情報を集めるだけの清く正しい軍師聞き耳スキルである。
結論から言えば、僕は緊朝討伐軍をちょっと舐めていたことを認めるしかなかった。
「出てくる討伐軍ですが、思った以上の大物が」
「ほう? どんな奴だ」
「先帝の外戚ですね。鎮北大将軍、なんと格は使持節都督です。率いる兵の数も漏れ聞こえていますが……なにより、事実であれば禁軍も出てくるかもしれない」
「……強いのか?」
面倒事を予見し、渋い顔になる蓮大人に対して僕は満面の笑みを浮かべておく。
「調理方法次第ですね。大人は、羊をどんなふうに食べるのが一番お好きですか?」
更新2年 某日
北部都督王林、入寇せりし北夷を迎え撃ち破れ、北部諸都、大いに乱れる。
更新2年 吉日
緊朝が鎮北大将軍、使持節都督たる袁瑞将軍率いる禁軍以下七軍、北夷の跳梁跋扈を膺懲するべく京師を進発。号して三万。
更新2年 農繁期
北夷憐氏族、憐みを乞うて天朝の慈悲を求む。北部都督府、北夷を大いに天朝の徳により感化せしめるも、先の入寇を許さずこれを大いに破り先の北部都督王林の遺骸を取り戻す。
北夷、大いに慌て、和を懇願するも天朝はこれを許さず。
更新2年 某日
鎮北大将軍、使持節都督袁瑞将軍、北部に駐屯す。
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