第五章 平和

第33話 袁瑞、平和の引き金を引く。

袁瑞将軍は葛藤に苛まれる。

提示された『服属』という提案を良しとするか。

はたまた、『軍師の戯言』と笑いとばすか。


いっそ、誰かが決めてくれれば楽だった。それを、己が。己だけが、誰にも諮れずに決めねばならない。


門閥の当主として、重責は担ってきたが……国家の大事を預かるとなれば険しさはいや増す。


まして、北方の安寧が掛かった決断だ。


難しいな、と袁瑞将軍は頭を振る。


考えても、考えるだけ思考が迷宮に落ちていくのだ。

軍師の思考を追うにも、軍師ならざれば、限度がある。


悩むあまり、睡眠不足となりがち。

寝台の上で身もだえし、苦悩し、悪夢にうなされて飛び起きたことも一度という限りではない。


周りがまたもや『ご発病か』などと気をつかってくれるのが却って癪だった。病は気からというが、全く、軍師というのは余程に気の病を引き起こす根源としか言いようがない。


ウンザリとしつつ、それでも這うようにして寝台から身を引きずり出すや、袁瑞将軍は威儀を正すや居室へと向かう。


鎮北大将軍、使持節都督ともなれば決済すべき案件は尽きず、余人をもっても任せる訳にはいかぬ。


筆をとり、朱印を押し、時に吏をして調査せしめる。武官としても、文官としても、文書という恐るべきそれは片付けねばならぬのだ。


朝からの公儀にまつわる職務がひと段落し、ようやく昼時かと言うときに扉を開ける音。


ひょっこりと顔を出すのは、『彼女』だ。


もはや、突然に表れたことに一つの説明もないまま、『彼女』は袁瑞将軍へ自分勝手に疑問を問いかける。


「叔父上、つかぬことをお伺いいたします。殿方とは、犬と猫であれば……どちらがお好きなのでしょうか?」


「一概には言えぬがな、犬ではないのか?」


「その理由をお教え頂けますでしょうか? どうして、殿方は猫よりも犬を?」


理由を『彼女』から問われるや、袁瑞将軍としては答えに窮する。

なんとなくだ、と言いたいところだが……それで『彼女』が納得しない気質であることも知悉している。


「自分の意見だが……忠実で、しかも番犬や猟犬としても役に立つ。小人閑居して不善を為すというが、犬は真逆だ。待てと言われれば、いつまでも待つ」


「つまり……殿方は、実用の道具として犬を好まれるのですね?」


「私が、犬を好むというだけの話だ。猫の自由さを愛するという者も多い。こればかりは、好みの問題だ」


「犬をめでるもよし、猫をめでるもよし。……天下が太平になるのであれば、そのようなことに一喜一憂することもできましょう」


先日来、ひたすらに『平和』をお題目のように唱え続ける『彼女』。


「とどのつまり、主張したいことは『平和』か」


軍師の説く平和である。常識的な士大夫であれば、まず耳を疑い、意図を疑い、最後に軍師相手だということを己に言い聞かせる必要がある。


袁瑞将軍ほどにもなれば、軍師に心身共に痛めつけられているのだ


『軍師平和構想』とでもいうべき蓮氏族の服属問題。

これほど魅力的ながら、これほど厄介な案もないだろう。

認めれば、間違いなく軍師共が喜ぶ。その先にあることを想えば、とても是とは言い難い代物だ。しかるに、『天下静謐』という観点からするとこの上なく利点が大きいとしか思えぬそれでもあるのだ。


だが、と表情を曇らせつつ袁瑞将軍は吐き捨てる。


「……塞外に属国を認るというのは、一歩誤れば巨大な災厄と化しかねん。私が指摘するまでもなく、軍師ならばそんなことは承知しているだろうに」


「強大な属国の前に国境をがら空きにし、人心が離反した王朝が朽ちていくとすれば、叔父上の仰る通りです。平和の回復は、この何れにも該当しません」


「それが、軍師の望む平和だと?」


くすり、と『彼女』は首をかしげて見せる。


「叔父上、叔父上は……平和が御嫌いですか?」


袁瑞将軍に言わせれば『平和』を望む気持ちに偽りはない。ただ、永久平和のために何が最善かを惑っているに過ぎないのだ。


「それが、永遠ならざるとしても、平和というのは……甘美でありますよ?」


「甘美な夢、か」


「絶対に変わらぬとは言えません。永久などとは。……けれども、短くとも平和は平和なのではありませんか?」


そうかもしれない。


短いかもしれないが、己の子供らに平和を残すことができるのであれば。

軍師が齎すそれとはいえ、平和に価値があるのではあれば。


「私の負けだ。……よかろう。平和のためだ」


「では?」


「上奏する。これで、平和だ」



更新2年

鎮北大将軍、使持節都督袁瑞、塞外へ二度出征を行い、憐氏族、これを大いに恐れる。袁瑞、敵一翼を完全に滅ぼし、打ち取った敵兵実に万余。


憐氏族、大人以下、諸人そろって北方へ逃散す。


更新2年秋口

憐氏族、北方より鎮北大将軍府へ内々に降る。袁瑞、これを天朝に取り次ぎ、もって憐氏族、天朝に服属す。

天下、悉く開祖、太祖の遺徳を偲び、もって天下泰平を祝す。


天朝、憐氏族大人をして北庵公に任じ、もって塞外の秩序を担わせたり。

北庵公、王威に服し、兵馬の騒乱、擾乱の一切を排す。鎮北大将軍、使持節都督袁瑞の功を賞し、天朝、袁瑞を輔国大将軍、使持節都督に任ず。


更新3年

天朝、天下静謐の勅を発す。郡県を設置し、もって治国の要とし、合わせて法令を発す。軍戸を諸戸へ編じ、もって、帰農せしめる。

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