第10話 袁瑞、胃を病み、天を呪う
軍師、それは禁忌だ。
開闢のため、動乱時に彼らがなにをしてきた見れば分かる。
連中は、『戦いに勝つ』ことだけを目的としていた。
「……いや、違うか。そんな単純な連中であれば天に感謝だ」
袁瑞のような中央貴族はもう一つの真実も知っているのだ。
軍師が『脅威を徹底して排除したがる』という事実を。
これを不穏でないと思うならば、それは、完全な誤りだ。
服属しない集団がいたとしよう。
君子であれば、彼らを天子の徳のもとに帰服させることを考える。
軍師であれば、彼らを『無力化』させることを考える。
「……人間がいるから、問題が起こる。究極、焼けば無問題。連中の口癖には、ほとほと反吐がでた」
軍師らは意図ではなく、能力によって相手を判断していた。
極端な話、『脅威足りえるか』という一事だけ。
本当に、それだけだ。
名門貴族ですら、不遜であれば粛清された。
血族ですら、叛意を示せば例外はない。
開祖の覇道は、文字通りに覇道であった。
軍師らが、その覇道を白骨で以て舗装した。
だが、それすらも、その凶暴さでさえも『軍師』の闇を語るには十分ではない。
袁瑞とて、武官である。軍師と共に、遠征に出たことさえある古参だ。
戦いとは、単に武器を振るえばよいものと単純化するつもりはさらさらない。
軍師を嫌うよりも、軍師を知ろうとも努力した。
『戦う前に、勝利をおさめうる体制を確保する』という理念。
軍師らの掲げる目的そのものからは、大いに学ぶほどだ。
「だが、奴らは……共喰いをやめられん」
軍師の天敵は何か?
軍師のように悪意滴る存在は、他の軍師にとっても天敵なのだ。
だから、軍師は自分以外の軍師が存在することに『耐えられない』。
これが、開祖のような覇者の威圧下であれば例外的に飼いならすこともできた。
だが、太祖ほどの名君ですらだめだと直に明らかになる。
「王者では、覇者の道が望みえない。……分かっていたつもりだが」
緊朝の暗部を袁瑞は飲み込んでいる。
天下万民の為、確かならざる平穏の為、ひいては一族郎党の為。
外戚として、彼は秩序と安寧の守護に励んでいる。
……厄介な皇女殿下の『御守』さえもなそう。
誓いの元、彼は職務に励んでいた。
北辺に軍師がいるなどと言う姪御の戯言を聞き入れず、彼は懸命に鎮定のための任に当たる。
鎮北大将軍、使持節都督袁瑞将軍は実際、有能であった。
徘徊している匪賊、遊牧民の襲撃隊、はたまた脱走兵の討伐。
都市部の綱紀粛正と、諸官の動向を査察。
穀物庫の定数を数え、兵器庫の備蓄を確かめさせ、自ら巡察。
少しずつ、少しずつだが、彼は手ごたえを感じていく。
治国の喜び。進歩の兆し。
廃墟の上に、何かを建てられるかもしれないという歓喜。
新しい時代への予感すら抱き、その日の仕事を終えたところで彼は居室でゆっくりと竹簡を読みながら酒杯を楽しむ。
ささなかで、しかし、確かなくつろぎ。
「叔父上、よろしいですか?」
「これは……ああ、外してくれ」
珍しくお付きを連れ、しずしずと現れた姪御を前に袁瑞は目頭を押さえると使用人どもを追い払う。
無論、袁家である。袁家の付き人である。
芯に揺れがあるものなど、雇いはしない。
忠誠心のある部下だからこそ、追い払うのだ。
知るべからざることを知ってしまった部下を処断するときは、いつも心が痛むのだから。
「軍師が居ると申し上げましたが、根拠がまとまりました」
「……その根拠は?」
「小さなもので三つ。大きなもので一つ」
「まず、第一に王林都督の敗北」
綺麗な指で一という数字を作りつつ、姪御は美声のまま歌い上げる。
「北夷にしては、戦い方が『こなれすぎている』かと」
「遊牧民の戦力が侮れんのは、常なることだが」
取り分け、歴戦の部族民を侮ってはいけない。
狩猟を主とし、農耕を片手間程度にしかやらないやつらは、全員が生まれながらの騎兵でもあるのだ。
「古今東西、遊牧民の騎兵ほど恐ろしい敵はないだろう」
「ええ、おっしゃる通りです遊牧民は確かに強い。でも、そんなことは王林都督も知悉しているはず。北方防衛が長い武人が、そのことを忘れて屠られる何か例外があったと考えるべきでは?」
頷ける部分もあるが、しかし、それだけではと袁瑞は首を横に振る。
「推論ではあるな。次は?」
「関市での暴動、物資の延焼、挙句が軍馬の不足。明らかに討伐軍の脚を絡めとる策と言えませんか?」
「結果だけ見れば、その通り。けれども、こじつけだ」
むしろ、武人としてみれば予期されてしかるべき事態が自然に生じたというほかにない。
個人の武威で辛うじて抑圧していた矛盾が、突如の空白で爆発。
戦乱の時代、袁瑞に限らず数多の将帥が嫌と言うほど見てきた光景でもある。
「王林都督という重しが突如として欠けたのだ。都市暴動というのは、珍しくもない。京師のように、安定しているところの方が稀だがな」
「経験不足な乙女にご指南いただき、ありがとうございます。でも、叔父上。じゃあ、なぜ、北夷は王林都督の遺骸を送ってよこしたのですか?」
「形の上では、北部都督府の成果だが」
無論、形式的な報告書は読んだ。
読んだ上で、臭いとは分かっているが……よくあることとだ。
深く追求し、現地の面子を壊せば協力が崩れることを厭って不問にしていたが……。
「足元を見られた彼らが、どうやって? 決まっていますよ。絡めとられている。いくら北夷の集団が緊朝を探ったとしても……中原の流儀に慣れ過ぎています」
「つまり、だから、こちらの元軍師だと?」
「可能性を排除するべきではありません。違いまして?」
「違わないが。……言葉だけではな」
「でしたらば、最後に一つ」
「叔父上。私、北部に来てからずっと疼きますの」
「なに?」
恋するような乙女の声で。
憎悪するような悪意と共に。
呪詛の歌を歌いあげるかのように。
彼女は、少しだけ頬を赤らめるや言葉を紡ぐ。
「敵が居ると、私の天敵がいるのですよ? 香りで分かります。姿形も見えませんが、この敵というのは間違いない。愛おしい私の敵です」
「……つまり、軍師としての勘、と」
「ええ、小娘の稚気とお笑い遊ばせ」
「とんでもない。それを、最初に聞きたかったものだ」
それを隠していた時点で、とんだ性格の悪さ。
いよいよ開祖陛下に似ているとしか思えない。
なにしろ、軍師の同族嫌悪といえば折り紙付き。
自分ですら、知っている。
軍師が、他の軍師に抱く殺意がどれほど兇悪なものかを。
その衝動、友軍にすら向けられるのだ。
軍師は、軍師を知る。
その嗅覚だけは、嘘偽りがない。
だから、それだけ聞けば十分だ。
北夷には、滅ぼしたはずの軍師がいる
歴戦の将なればこそ、袁瑞は思わず天を呪ってしまう。
「なんたることか」
最悪、北辺を焼き払う羽目になるのだ。
これが、なんたることでなくて、なんだというのか。
ああ、胃が。胃が、痛い……。
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