第二章 鎮北大将軍、使持節都督袁瑞将軍

第9話 袁瑞、胃を患う

緊朝が列侯にして、雄大なる権門こと袁一門の当主こと袁瑞将軍は想う。


鎮北大将軍、使持節都督袁瑞将軍。

北部諸州に号令し、最上の軍権をも授けられた北の守護者。

……かつて、あれ程に憧れた称号が何と色落ちたことか。


緊朝に仕える士大夫として、なにより何れは当主となる嫡子だった自分は一門の期待を担っていた。

袁家の繁栄、袁家に未来を託した数多の夢。それは、祖国の栄えある未来と共にあるはずだった。


だからこそ、自分もまた期待を裏切らずに登りつめてきたはずだったのだ。

父の遺徳もあるのだろうが、いきなり雑号とはいえ将軍位で軍務を開始。

肩書に負けぬよう、預かった将兵に恥じぬよう、自分なり励むうちに地位へ能力が追いつく。


安堵する間もなく、姉が皇太子妃となった時点で自分はあっという間に特進に次ぐ特進。

流石に、創業の功臣らに一歩劣るとはいえ……異例ずくめ。

次代を担うと期待されたのだろう。


そして、期待を裏切らなかったという自負がある。

開祖の元で軍務に励み、太祖と兄弟のように合力して敵を撃ち破る。

なんと爽快であったことか。


だからこそ、知っていた。

太祖が『軍師』らの専横を心より憎んでいた、という事実を。

あの戦狂いども。焔に囚われていた壊れた『悪意の塊』ども。


……開祖は、統一に際して手段を選ばなかった。

選ばないばかりか、目的が手段を正当化しすぎていたと言わざるを得ない。

開祖、太祖と共に名君で在られたのは間違いないが、在り様は大きく違った。


「……天は、なんと、残酷なことをなさるものだ」


開祖は文字通り、火でもって天下を焼き尽くされた。

太祖は辛うじて残った遺灰をかき集め、砂上の楼閣にせよ箱らしきものを作り上げられた。

……時間が、それ以上の時間があの方には残されていなかったのだ。


だから、せめて、火種を断とうと最後の力を振り絞られた。

……それが、良かったのか。悪かったのか。

北部の駐屯先、関市がかつては置かれていた北都に腰を落ち着けられるようになったのもつい最近。


燻る火種は今なお強い。

強すぎるほどだ。

北夷の入寇とても、結局のところは……緊という国家の歪みかとすら疑いたくなる。


「まるで、穴だらけの革袋だ。いっそ、棄ててしまいたい」


独り言……とても、誰かに聞かせられるものではない。

袁瑞とて、権門の当主だ。

好む、好まずを問わず、必要と言う名の要請によって権謀術数は齧りなれたもの。


己の居室で一人、胸中を空に溶かすつもりで吐き出した言葉だった。


「でしたらば、棄ててしまわれては? 叔父上ならば、新しい革袋を用意することも叶いましょうに」


嫋やかな声が一つ。

玲瓏で、甘い声と人は声を揃えて称えるそれ。

毒をたっぷり含むとしる袁瑞には同意しかねるが。


己の居室で衝立の陰から姿を現した麗人がコロコロと嗤っている。


「……姫殿下? お付きの者はいかがされたのですか?」


「さぁ?」


すっとぼけた美貌は姉譲りか。

いやはや、ここ暫くいつものこととなっているとはいえ……全く、この御仁が自分の置かれている状況を理解してさえくれれば!


先帝の皇后が唯一産んだ嫡出の女子。

血統で言えば、下手をすれば今上よりも上に行きかねない系統。

それだけでも巨大な爆弾と言えるのに、それすらも可愛い。


彼女にはその父親たる太祖が憎悪した軍師共が太傅として付いていた。

……姉上が心労で斃れる訳である。

更に言えば、我が姪御は実に優秀な生徒だった。


「……はぁ」


「叔父上ときたら、運もなければ欲もなし。どちらかでもあれば、家門も助かりましたでしょうに」


「……太祖が貴女の言葉を封じたくなる理由も分かろうというもの。不遜を承知で申し上げれば、開祖によく似ていらっしゃる」


気質が本当に、よく似ている。

だからこそ、開祖は彼女を溺愛したのだろう。

太祖の意向を押し切り、自己の知識を『伝授』してしまったのだ。


「私が男であれば、卿にも苦労を掛けることはなかったでしょうにね」


そう、正しくそれ。

初代皇帝が、統一戦争で火を放った軍師共が、ひたすらに愛した悪意の結晶。

これが、わが袁家由来の後続。


疲れ果てた自分だが、中央に長居できなかった理由もその歪み故。

……先帝の皇后、我が姉の残したただ、一人の化け物。

そして、現皇帝陛下の姉君に当たる御仁。


「……率直に申し上げれば、私は帝のお気持ちを慮るばかりだ。先帝がお隠れ遊ばし、この国難。陛下は、まことに危機へ雄々しく立ち向かわれている」


「ええ、ええ、あの子はそういう子ですものね」


「我が姪御殿だからこそ、苦言を申し上げさせていただこう……憚りながら申し上げるが、陛下と先帝の勅諚あっての貴女だとお忘れなく」


「あらあら、私は叔父上あっての皇女にすぎませんよ」


何処まで本心だか、演技だか、こちらを誘導する意図なのか。

袁瑞にすら、それが分からない。

じっと端正な顔を凝視するも、見えるのは仮面の如き微笑みが一つ。


「だから、一つだけ助言を差し上げに参りました」


親し気な顔が、親しさを意味しないのは分かる。

親身な態度が、心からの友情でないのは誠実の常だ。

だが、心底にはなにがしかの色がある。


政治を齧っていれば、色は、感情は、あると知れるのだ。


なのに、いつも、姪御のことは分からない。


「別に、聞き入れよとは申しません。ただ、聞きなさい」


「それは……」


「時間は、叔父上の敵。何しろ、蛮夷には……いますもの」


「何が居ると? お伺いしようじゃないか」


いっそ、聞かねば良かったのだろうか。

甘い囁き声が、己の肺腑と胃腸を抉る。


「軍師です。ぐ、ん、し。私の同類が居ますよ、叔父上」

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